◆幽雅に咲かせ、墨染の桜
とある大樹の下で少女は願う──
いつか、満開の桜の下での再会を──
また、あの二人と一緒に──
あの暖かい春の庭の先で──
再び三人で笑うことを──
―桜花Side―
幽々子と出会ってから三日が過ぎた。
毎日のように白玉楼に行っては幽々子の話し相手をしたり、紫と一緒に西行妖を見ながら術式の構築を手伝っていた。
今日もまた、白玉楼の縁側で桜を見ながら幽々子に話を聞かせる。
「……それで、紫ったら私が大丈夫だって言ってるのに見回りに無理矢理ついてきたのよ」
「…あぁ、そんな事もあったわね」
「それで?」
今話しているのは私が旅に出る前の話……まだ霊樺がいた時の話だ。
「うん、それでね?紫は最初は真面目にしてたのに、途中から飽きたのか私に悪戯してたのよ」
「ふむふむ…」
「だから、紫の視界を拒絶して前を見えなくしてあげたの……そしたら──」
一瞬の間をあけてから呟く様に言う。
「──目の前の木に顔面からぶつかったのよ」
「…なっ!あ、あれはただ突然で反応が遅れただけよ!!」
「ぷっ…あはは!紫が木にぶつかるところなんて想像できないわね」
「もう、幽々子も笑わないでよ!」
まるで幼なじみの会話の様に三人で笑い合う。
春の陽射しが暖かくて、眠くなってくるのを小さな欠伸一つで押さえ込む。
「…春眠暁を覚えず、ね」
幽々子がクスリと笑いながら私に微笑みかける。その顔はいつもより明るくて、私は少しでも幽々子の雰囲気が明るくなったのを心の中で喜んでいた。
思えばこの時、幽々子は既に覚悟していたのかもしれない──
「さてと…桜花、そろそろ帰りましょう」
気がついたら辺りはもう夕日で茜色に染まっていた。
「あら、もうこんな時間だったのね…」
「幽々子、私達しばらく忙しいから三日くらいの間、ここに来られないかもしれないわ」
「あら、そう…」
たぶん封印の術式を一気に仕上げるつもりなんだろう。幽々子の顔が暗くなるのを見て心が痛む。
紫が立ち上がるのを見て私も立ち上がろうとする。
すると、幽々子が私の服の裾を掴んでいるのに気がついた。そして、手招きをしているのがわかり、顔を近づける。
「…三日後、日が昇る前にここに来て。紫には内緒でね」
「…え?」
聞こえるか聞こえないか、という小さい声で幽々子は私にそう言った。
私がどういうことかを聞く前に、幽々子は私の隣を通り抜けて紫の方へと歩き出していた。
「…幽々子?」
幽々子の背中は「今は何も聞かないで…」と、言っている様で……。私は彼女の背中を黙って見つめることしかできなかった。
~三日後・早朝~
まだ暗く、静かな空を私は飛んでいた。
三日前に言われた幽々子の言葉通りに、私は白玉楼を目指していた。紫は疲れて寝ている。
春になってもまだ早朝は肌寒い。空を飛んでいることも関係しているのだろうけど、私は頬を撫でる冷たい風に思わず小さく身震いをした。
幽々子が一体何故こんな早朝に私だけを呼んだのかはわからない。しかし、私の胸の内は不安で一杯だった。
三日前、幽々子と最後に交わした言葉がどうしても頭から離れない。
私は少しでも早く幽々子に会う為にスピードを上げた。
「到着っと……ん?」
白玉楼に到着した私が最初に感じたのは奇妙な違和感だった。これまでの道とは空気が違った。
「何かしら……まるで空気が死んでいるような……」
──空気が…“死んで”いる?
「──っ!?まさか!?」
私は急いで白玉楼の奥を目指した。
目指すのは満開の桜並木の一番奥……西行妖。
夜明け前の暗い桜並木を駆け抜けていく。嫌な予感ばかりが大きくなる。
不安と緊張で激しく暴れる心臓に右手を当てながらただひたすら走った。
妖怪の私にとって、この桜並木はほんの数秒で走り抜ける距離だ。しかし、今の私はその数秒がとても長くて、まるで数時間かけて走り抜けた様に感じられた。
西行妖の所にたどり着いた時、私は思わず固まってしまった。
西行妖は開花直前の状態であり、その根本で幽々子が幹に手を当て、何かを呟いていた。
「幽々子、一体何が…」
私が幽々子に話しかけた瞬間…突然、衝撃と共に見えない何かが私を通り抜けて行く感覚がした。
例えるなら風だ。まるで突風の様に衝撃が私を襲ったのだ。それと同時に体に染み込む様にして入り込む“ナニ”か。
──『死』
「…っあ!!」
私は反射的に能力を使い、入り込んだ『死』を拒絶した。
「くっ…はぁ…はぁ…」
冷や汗が頬を伝うのを感じながら、私は荒くなった呼吸を落ち着けようとする。
今のは『死』そのものだった。直接頭の中に『死』の概念をたたき付けるようにして精神に干渉してくる。普通の人間や精神の弱い妖怪ならば先程の衝撃だけで死ぬか、発狂して自殺するか…。それ程に強い精神攻撃だった。
ふと…何気なく辺りを見渡して、私は絶句した。
先程走り抜けた満開の桜達は全ての花びらを散らしていたのだ。
しばらく唖然としてその光景を見ていた私は幽々子のことを思い出して西行妖へと振り返る。
幽々子は悲しげな表情で西行妖を見上げていた。
「もう…ダメだわ」
幽々子はぽつりと呟くと私の方を振り向いた。
「西行妖は強くなりすぎた……。このままだと、いずれこの地方全てを死にいたらしめる程に大きくなる……」
幽々子は懐から一本の短刀を取り出した。
「だから……封印しなくちゃいけない」
鞘から抜いた刃がうっすらと光る。
「私も……この力から解放される」
背中を預ける形で幽々子は西行妖に寄り掛かる。
幽々子がやろうとしていることに気がついた私は幽々子を止めようとしていた。
「ダメよ幽々子!!紫が今封印の術式を作ってる!だから……」
「…こないで!」
「…っ!!」
幽々子の言葉に思わず足を止める。
幽々子は短刀を持ったまま俯いていた。
「ダメよ…ダメなの。私が残ってもきっと解決にはならない…」
私はまるで地面に縫い付けられたように動けなくなっていた。幽々子はほんの数メートル先にいるのに。
「私と西行妖は繋がっている…。私が生きている限り、この力はきっと無くならない。…私にはわかるのよ」
「…幽々子」
「それに…」
幽々子は俯いていた顔を上げる。その顔は儚く、悲しげに、でも…とても美しい笑顔だった。
「──この子はずっとひとりぼっちだったの。最期くらい、誰かが一緒にいてあげなきゃ可哀相だもの」
幽々子は自分の胸に刃を向けて最期の言葉を呟いた。
「桜花、紫に…ごめんなさい、そして…ありがとう…って伝えて」
──朝日が昇るのと同時に、まるで満開の西行妖に抱かれる様にして、西行寺幽々子はその人生を終えた
「………」
どれくらい呆然としていただろうか…。
私はその場に力無く座り込んだまま、真っ赤な血で染まった幽々子を見つめていた。
西行妖も、妖力こそ安定しているものの、満開のままである。まだ封印は終わっていない。封印に関して素人の私にとって、紫がいなければこれからどうしたらいいのかわからない。
だから私は笛を取り出した。神奈子特製の御柱から作ったあの笛である。
少しでも彼女とこの桜が救われるように…
私の記憶にある彼女のテーマ曲を…
テンポはゆっくりと、まるで子守唄のように、私は紫が来るまで吹き続けた。
紫は数分後にやってきた。西行妖の気配を感じたんだろう。
幽々子と私を見つけると、しばらく呆然としていたが、次の瞬間には泣き出してしまい、私は冷たくなった幽々子の体にしがみつく紫を宥めるのに苦労した。
そういえば、私は悲しかったけれど涙は流さなかった。…どうしてだろう?
泣き止んだ紫は、すぐに術式の組み替えを始めた。
幽々子の体を元にして西行妖を封印することになり、それに合わせて術式を変化させる。すると、あんなに苦労していた紫の術式はあっさりと完成した。まるでパズルのピースがはまっていく様に、たったの数分で術式は完成した。
「…後はこの術式を起動すれば幽々子の体を元に西行妖は封印されるわ」
紫は術式を起動させながら私に説明をしてくれた。
「…紫、幽々子の魂はこれからどうなるの?」
「…わからない。供養できないから、転生もしない。もしかしたら、永久にこの世をさ迷うのかもしれないわ」
紫が最後の術式を組み立てた瞬間、光と共に突然、西行妖の花びらが散りはじめた。
幽々子の体が地面に沈む様に消えていく。この瞬間から、人間を死に誘う妖怪桜は満開に咲くことはなくなったのだ。
私と紫はヒラヒラと舞い散る花びらを見つめていた。
「綺麗ね…」
「…ええ」
私は再び笛を吹く。紫は再び涙を流しながら、西行妖を見上げていた。
「さぁ…もう行きましょう?」
あれからずっと笛を吹き続けていた私は、紫の声でいつの間にか閉じていた瞼を開いた。もう、花びらは全て地面に落ちてしまっていた。
私は笛を懐に入れると、背後にいる紫へと振り返る。紫は泣いて赤く腫れた目を隠すように私に背を向けた。
私が紫の背中を追いかけようと、一本踏み出した瞬間…
──あら、もう止めてしまうの?
「…え?」
私は誰もいないはずの背後から聞こえた声に振り返る。
そこには一つの丸い光の玉が浮いていた。
光の玉は徐々に形を変える。手足ができて、以前より少し薄い桜色の髪ができる。青い着物ができて、頭には同じく青い帽子がちょこんと被さる。
肌の色や髪の色は薄くなれど、顔色は悪くない。以前は見ることのできなかった満面の笑顔を浮かべなから…
──西行寺幽々子がそこにいた。
私と紫は唖然としながら幽々子を見ていた。間違いない。たった今、ここで消えた幽々子が再び現れたのだ。
「……幽々子なの?」
紫が信じられないといった表情をしながら彼女に尋ねた。
だが、彼女から返ってきたのは悲しい言葉だった。
「確かに私は西行寺幽々子よ?……でも、貴女は誰?私を知っているの?」
「………え?」
幽々子は、自分の名前以外の生前の記憶を全て失っていた。
「私、長い長い夢を見ていた気がするわ…。もう思い出せないけれど、私以外にあと誰か二人…。そう、その知らない二人と三人一緒に楽しく過ごしていた…そんな夢を見ていたの」
幽々子は目を細めて懐かしむ様に言うと、私達と視線を合わせる。
「貴女達は、私のことを知っているの?」
私は顔を俯かせたままの紫を見る。
しばらくして、紫は顔を上げると、幽々子の目の前まで歩いて行く。
「…残念だけれど、私達も貴女の名前しか知らないわ」
紫はハッキリと幽々子にそう告げると、右手を差し出した。
「私は八雲紫、妖怪よ。幽々子、よければ私と…友達になってくれないかしら?」
幽々子は「妖怪さん?」と可愛らしく首を傾げると、笑顔で紫の手を握り返した。
「勿論いいわよ。私は西行寺幽々子、えっと…亡霊よ」
自分の体を見た後、首を傾げながら言う幽々子に紫はクスリと笑う。私はそんな二人を見ながら、妖忌になんて説明しようかな…なんてことを考えていたりする。
「貴女も…お友達になってくれる?」
ハッと、我に返った私の方へと手を差し出しながら幽々子は笑顔を向けてきた。その笑顔は、雰囲気や抱く感情が違えど、私の記憶に残る幽々子と同じだった。
ああ、彼女はやっぱり幽々子なんだな…
私は幽々子の手を握り返す。ひんやりとした冷たい手だったけれど、間違いなく幽々子が今此処にいることがわかった。
「私は鈴音桜花、妖獣よ。よろしくね、幽々子」
幽々子は満足げに頷くと、私にキラキラした視線を向けてきた。
「ねぇ、さっきの曲…もう一度聞かせてくれないかしら?」
幽々子に期待を込めた視線を送られた私は、再びあの曲を吹く。ただし、さっきよりも少し明る目に、テンポを上げて…
「ねぇ、この曲の曲名は何なの?」
そう尋ねてきた幽々子に、私は笑顔で答えた。きっと、彼女にしか似合わない曲の名前だ。
「この曲の名前はね─」
──幽雅に咲かせ、墨染の桜
私達はこの時、再び三人で笑い合った。
その後、紫はこの日の事を忘れないように、と一冊の書物に記録を残した。
『富士見の娘、西行妖満開の時、幽名境を分かつ、その魂、白玉楼中で安らむ様、西行妖の花を封印しこれを持って結界とする。願うなら、二度と苦しみを味わうことの無い様、永久に転生することを忘れ…』
この記録は妖忌が白玉楼の蔵の中へと持って行き、この事は私と紫と妖忌の三人だけの秘密とした。
できるなら、幽々子が生前の苦しみを二度と味わうことが無いことを、私も願って…。
先ずは、この作品を読んで下さる皆様方に、心からの感謝を…
さて、東方神霊廟のボスとして幽々子が再登場しましたね!
今回はそのお祝い的なノリで書きましたが、ちゃんとした話になっているのか不安です(汗)
何か気づいた点がありましたら、どんどんお知らせください。
※イラストの方には幽々子を新しく追加いたしました。