◆死に誘う妖怪桜
『──昔々、一人の歌人が満開の桜の木の下で眠りについた……。』
これは、とある妖怪桜と一人の少女と青い妖獣の出会いの話…。
―桜花Side―
幻想郷に帰ってきてから既に一ヶ月が過ぎた。
見回りのついでに永遠亭に住み着いた永琳達の様子を見に行ったり…。一人暮らしを始めた妹紅に差し入れを持って行ったり…。何故かついて来たチルノと妹紅が私の主導権を賭けて喧嘩を始めたり……。
まぁ、なんにせよ楽しい毎日だった。
──これは、そんなある日のこと。
いつものようにチルノと一緒に見回りを終えて博麗神社に帰ってくると、縁側に紫が座っていた。
「あれ?紫じゃん、何してるの?」
私の声に反応した紫がこちらに振り向いた。心なしか顔が微笑んでおり、嬉しそうだ。
「桜花、待っていたわ。今日はいつもより遅かったじゃない。私、結構待っていたのよ?」
「ごめんごめん、人里の稗田家に行ってたのよ。阿一との約束だったからね」
阿一に会ったのは一週間程前で、時間がある時に「幻想郷縁起」に私のことを載せたいと言われていたのだ。
紫は納得したのか「あぁ、なるほどね」と呟くと、日傘を取り出して立ち上がる。
「桜花、今から時間はあるかしら?」
その顔は珍しく真剣で、大事な話があるのだとすぐにわかった。
「…チルノ」
「わかってる。あたいは湖に帰るから、ゆっくりと用事を済ませてきなよ」
チルノに視線を向けるとわかってる、と言わんばかりに頷いてその場から飛び立って行った。
「あの子、随分と明るくなったわね。……これも貴女のおかげかしら?」
「茶化さないで、何か用事があるんでしょ?」
紫はあらあら、と口元を隠していた扇子をスキマにほうり込む。
「そんなに真剣に身構えなくていいわ。貴女に会ってほしい人がいるの」
「私に会ってほしい人?」
「ええ、私の友人よ。ちなみに、人間の…ね」
私はすぐに紫の額に手を当てる。
「紫、何があったの?貴女が友達を作るなんて信じられないわ」
「……貴女、私に喧嘩売ってるの?」
私はすぐに手を離すと、苦笑いをしながら「冗談よ」と言った。
でも、驚いたのは本当だ。あまり目立つ事を好まない紫は、基本的に私や霊那達以外で人前に姿を表さない。
そんな彼女に人間の友達ができた、と聞けば驚かずにはいられまい。
「それで?何故私をその友達に紹介したいの?…まぁ、紫を妖怪だと知っているのに友達になるくらいだから普通の人間じゃない、とか?」
私が目を細めてそう言うと、紫は少し悲しげな顔をした。
「ええ…たしかに、普通とは言えないわね。彼女は……私達みたいな妖怪…しかも強い力を持っている者としか触れ合えないのよ」
私はすぐにそれが誰だかわかった。でも、あえて名前を聞く。
「その友達の名前は?」
紫はスキマを開き、背を向けながら呟いた。
「──西行寺 幽々子。それが、彼女の名前よ」
スキマを抜けた先には辺り一面の桜の木があった。
「うわぁ…凄いわね~」
私は紫の後をついていきながら周りをキョロキョロと見回していた。
「こんな広いお屋敷、初めて見たわ」
「あら、貴女ならこれくら見慣れているんじゃないの?私よりも長生きしてるくせに」
「…紫、それはさっきの仕返しかしら?」
「さぁ、どうかしらね?」
「………」
「………」
互いに沈黙してしまい、気まずくなった。マズイわね…、と思っていたそんな時──
「……おや?紫様ではありませんか」
「…あら、妖忌じゃないの」
屋敷の中から一人の青年が現れた。
背丈は私より少し高いくらい。見た目は若いが白髪なためか少し大人びた雰囲気がある。
そして、何より気になるのが腰に挿している二つの刀と、彼の隣に浮いている白い饅頭…。
「紹介するわ。彼がこの白玉楼の庭師兼、幽々子の護衛等をしている魂魄妖忌よ」
「紫様のご友人でしたか…。お初にお目にかかります。魂魄妖忌と申します」
「あ、どうもご丁寧に…。私は紫の友人をやらせてもらってる鈴音桜花といいます。よろしくお願いしますね?」
お互いの自己紹介が終わった後、いつも紫が幽々子と談話するという縁側へと移動した。
「あら?幽々子がいないわ…いつもここにいるはずなのに…」
縁側にはお茶と団子が置いてあるだけで人の姿はなかった。
「幽々子~?何処にいるの~?」
紫は幽々子を探して屋敷の中へと入って行った。……勝手に入っていいのか?
置いていかれた私は仕方がないので、近くを歩き回ることにした。
白玉楼にはとても沢山の桜がある。今の季節も丁度春なので、桜は満開だった。
「う~ん、これは絶好のお花見日和だわ…あれがなければ、だけどね」
私は桜並木の奥に視線を向ける。
これだけ離れていても伝わってくる強い妖気…。並大抵の妖怪なんかよりもずっと強い。
私は桜並木の奥を目指して歩き出した。
──昔、一人の歌人が一本の満開の桜の下で眠りについた。
それからというもの、その歌人と同じようにその満開の桜の下で死ぬ人間が例年後を絶たなかった。
死に逝く人々の血を吸いつづけたその桜の木は、いつしか人を死に誘う妖怪桜となった。そして──
「これは……想像以上にヤバいわね」
目の前にある桜の木を見上げながらぽつりと、私は呟いていた。
それはまさに『死』そのものを見ているようだった。
ほんのりと赤く染まった花びら、脈を打つように溢れ出している妖気……どれを取っても大妖怪に匹敵するほどだ。
「これが……西行妖」
──人を死に誘う桜の木はいつしか『西行妖』と、呼ばれるようになっていた。
私の頬にはいつの間にか冷や汗が流れていた。
本能が警告している。“アレ”は危険なものだと。
「…でも」
それでも、同じくらいに感じてしまう。この桜は、なんて──
「…“美しい”でしょう?」
「…っ!?」
背後から聞こえた声に慌てて振り返る。
そこにいたのは一人の少女だった。
歳は十代半ば~後半くらい。白い肌に桜色の髪、青い着物を着ていた。身長も紫と同じくらいだ。ただ、少女の顔色は驚くほど悪い。今にも倒れてしまいそうだ。
「…はじめまして、空色の綺麗な妖怪さん。その桜には近づいてはダメよ。死にたくなければ、ね」
彼女は私から離れた場所で西行妖を見上げた。
「貴女、名前は?」
私が尋ねると、彼女は西行妖を見上げたまま答えた。
「…私は西行寺幽々子。貴女は?」
「鈴音桜花、妖怪よ」
「鈴音桜花……貴女が紫が話してくれた妖怪さんなのね」
「…紫が?」
私が首を傾げるのと、私の隣にスキマが開くのは同時だった。
「あ、いたいた!桜花ったら突然いなくなるんだから、心配したじゃないの!」
紫は不機嫌そうにスキマから出てくると、私にジト目で文句を言ってきた。
「ごめんなさい、ちょっとこの桜が気になってね」
「はぁ…、この桜は危険だからいくら貴女でも一人で近づくのはやめなさい。幽々子に頼んで探してもらったからよかったけど、万が一ってこともあるのだから」
「うん、そうする」
今回は勝手にいなくなった私が悪いので素直に謝っておいた。
「じゃあ、三人とも揃ったことだし、屋敷に戻りましょう?幽々子もそれでいいわよね?」
「そうね…桜花、何かお話を聞かせてくださらない?」
「…あ、うん!」
紫を先頭にして屋敷へ歩き出す。一度だけ振り返ってみたが、西行妖は先程とは違い、ただの桜の木と同じように静かに佇んでいるだけだった。
夕方になり、帰る頃にはすっかり私と幽々子は仲良くなっていた。
「じゃあ…幽々子、また明日来るわね!」
「…ええ、待ってるわ。桜花もまた来てちょうだいね?」
「…うん 、わかったわ!」
幽々子は帰る私達が見えなくなるまで、ずっと見送ってくれた。
~博麗神社~
神社に帰った私と紫は縁側に座ると暗くなる空を見上げた。
「…ねぇ、紫」
「なにかしら?」
私の問い掛けに紫はすぐに返事をしてきた。
「彼女は…幽々子は一体どうなってるの?」
私がした質問は幽々子についてだった。
彼女は、西行妖と同じ『死』の気配に満ちていた。妖怪ならまだ納得がいく。しかし、彼女は人間だ。人間があんなに強い『死』の気配を出せるはずがない。
「…幽々子はね、西行妖と繋がりがあるの」
「…繋がり?」
「西行妖があんな妖怪桜になった原因は、彼女の父親があの桜の下で死んだからなのよ…」
「うん、それはさっき妖忌が教えてくれたわ」
そして、多くの人が同じ様にあの桜の下で死んだ。
「彼女の力はその頃から発現したらしいの。おそらく、西行妖と幽々子には何らかの繋がりがあると見て間違いないわ」
「…成る程ね」
たぶん、あの桜の一番近くに居たからだろう。我が家の敷地内にあれば少なからず影響が出るのは当たり前だ。
「そこで私は考えたのよ。西行妖を封印できたら、もしかしたら幽々子の能力も一緒に封印できるんじゃないかって」
「…そんなことできるの?」
紫は苦笑いをすると頬をかいた。
「実は術式の大半は完成してるんだけど……どうしても残りの式が上手くいかなくて困ってるのよ」
紫は溜息をつくと立ち上がる。
「でも、私は諦めないわよ。幽々子を絶対に助けたいから…」
幽々子は私と紫の二人といる時、楽しそうに笑ってはいたものの、どこか悲しげな雰囲気が消えなかった。目を離した隙に何処かにいなくなってしまいそうなほどに、彼女の精神は不安定だ。
紫は顔には出さないけれど、たぶんかなり焦っているんだと思う。妖忌によると、彼女は以前、自殺をしようとしたことがあるらしい。紫は年々強くなる西行妖の力が、いつか幽々子を死に追いやるのではないか、ということを心配しているのだ。
「…私は封印の術式なんかの知識に疎いから、あまり手伝えないかもしれないけれど……協力はするわ」
「ええ…ありがとう、桜花」
紫は今から再び術式の構築をするらしく、すぐにスキマを使って帰っていった。
「…私にできること、か」
博麗神社にも咲いている桜を見つめながら、私はしばらくの間、儚げに笑う幽々子の姿を思い出していた。
──この日は、西行妖が満開にある一週間前のことだった。