戦う
感情を得て、自ら思考するようになった彼女は唐突に半身の願いを思い出す。
「殺して」
半身がそう望んでいる。なら、自分の全てを賭けてその願いを実行する。
そうだ、半身を助けるのは自分だ。お前たちじゃない。連れて行くんじゃない。
私があなたの願いを叶えよう。そうすれば、褒めてもらえるだろうか、生まれてよかったと思えるだろうか。
彼女の顔に、生まれて初めて笑顔が浮かんだ瞬間だった。
傷ついた主を抱え、八雲藍は必死に相手の攻撃を回避していた。先程の弾幕を薙ぎ払った一撃の威力を考えると受け流すのは悪手にしかならないだろう。
しかも、今は意識が朦朧としている紫を抱えているのだ。いつも以上に回避に意識を向けているため反撃などできるはずもない。
「……くっ!?」
左腕を攻撃が掠り、藍の顔に焦りが浮かぶ。白夢はそんな藍をにやにやと笑って攻撃するだけだ。
速度も威力も桁違いなくらい高いのに、藍には彼女が手を抜いているようにしか見えない。
「……ふむ、つまらなくなってきたわね」
「……ぐぁ!?」
白夢の呟きと同時に鎌の速度が一気に上がる。その斬撃は咄嗟に紫を庇った藍の右肩を切り裂いた。傷は深くないが突然の痛みに紫を落としそうになる。
それを白夢が見逃すわけがない。
「最初からあんたを始末できるのは嬉しいね。……じゃ、さようなら」
「くっ……紫様!!」
下から振り上げられる凶器に体制が崩れた藍は反応ができない。彼女には自分の主に迫る刃をただ見ていることしかできない。
紫に刃が触れるまで指一本分となった瞬間―――
「……ッ!!」
白夢は咄嗟に体を捻ってその場を離れる。
次の瞬間、その場を大量のナイフと星型の弾幕が通り抜けていった。
「ほら、お前が邪魔するから外れちまったぜ」
「あら、貴女がそんな眩しい弾幕を撃つからばれたのよ」
白夢が見上げる先にいたのは二人の人間。
普通の魔法使い、霧雨魔理沙。
瀟洒なメイド長、十六夜咲夜。
彼女達の手にはそれぞれミニ八卦炉とナイフが握られていた。お互いを貶しながらも視線は白夢を捉えたままだ。油断もしていない。
二人とも藍の戦闘力が高い事を知っている。いくら紫を抱えているからとはいえ、逃げるだけなら幻想郷最速の桜花や真矢からも逃げ切れる最強の妖獣だ。そんな彼女を追い詰めて余裕がある相手である以上、油断は命とりだろう。
白夢は乱入者を相変わらずの口元を歪めた笑みで見上げるだけだった。
「霧雨魔理沙に十六夜咲夜。相変わらず、貴女達はいいところで邪魔をするのね」
「ほら、褒められたじゃないか。やっぱり私の弾幕が効果的だったからだな。照れるぜ」
「貴女じゃなくて私のナイフ捌きの事を言ってるのよ」
白夢の言葉にケラケラと笑いながらも、二人はしっかりと紫と藍を守れる位置へと移動していた。
藍も警戒しながら紫への妖力の提供を行い傷を癒していく。
「ふぅん……紫がやられるなんて珍しいな。これは新しい研究成果を試すにはもってこいな相手だぜ」
「お嬢様への貸し一つとしておくからお礼なんていらないわよ?くれるなら貰いますけどね」
二人の背中を見ながら藍は小さく頷くと、式としての能力の共有で発動したスキマの中へと紫と一緒に落ちていった。
それを見届け、魔理沙と咲夜は改めて白夢へと向かい合う。白夢は構えもせず、二人を交互に眺めると徐に口を開いた。
「はじめまして、かしら。……自己紹介はいらないわね。さっきまで見ていたみたいだし」
魔理沙はお袈裟に肩を竦めながら「バレてたか」と溜息をついた。
白夢の言う通り、二人は先程まで紅魔館の大図書館でパチュリーの協力を得て紫との会話からずっと様子を見ていた。紫が吹き飛ばされた辺りで加勢するために移動を開始していたのだ。
「あんな胡散臭いやつでも幻想郷の管理者。お嬢様の為にも黙って殺されるのを見ている訳にもいかないのよ」
「私はどうでもいいけどな。紫を倒したやつに対する単なる好奇心だぜ」
魔理沙の握るミニ八卦炉に魔力が集束し金色の魔力光が内部機関に通じて火を灯す。魔理沙の最も得意とする純粋な魔力の集束砲撃魔法であり、彼女の代名詞とも言える技。
「恋符・マスタースパーク!!」
スペル宣言の攻撃。無論、これがスペルカードルールによる決闘ではなく、本気の殺し合いである事は魔理沙も理解している。だが、彼女は敢えて高らかに技名を叫びながら放った。
真正面からぶつかり、堂々とした戦いを望む魔理沙らしい行動。
横で眺めていた咲夜は内心でやれやれと肩を竦めながらも既にナイフを抜いて何時でも動ける状態になっていた。
迫り来る光の奔流を、白夢は鎌を振りかぶり、そのまま力任せに振り下ろすことで迎撃した。
鎌は鈍い白色の光を纏っていて魔理沙の攻撃に対して余りにも弱々しく見えた。
だが、魔理沙はその鎌がマスタースパークに触れたのを見た瞬間、驚愕した。
防がれる。或いはどうにかして回避、又は無効化される可能性は考えていた。馬鹿正直に技名を叫びながら放った魔法だ。勿論、その結果もいくつか考えていた。
だが、そこには予想していた結果よりも斜め上の結果が待っていた。
―――斬られた。
白夢の振り下ろした鎌は何の抵抗もなく、料理で野菜を切る包丁よりも容易く、魔理沙の砲撃を真っ二つにしてみせた。
振り下ろした場所から一瞬で半分の距離が衝撃波で裂け、そのまま魔理沙へと向かってくる。
そのまま魔理沙自身を切り裂くかと思った衝撃波は空へと消えていく。
気がつけば魔理沙は先程の場所とは少し離れた場所にいた。何事かと考え、手を握る人物に気付き、 あぁ、と納得する。
「サンキュー、咲夜」
「貴女が珍しくまともにお礼を言うなんて、今からでもナイフの雨が降りそうね」
魔理沙の手を握ったまま、十六夜咲夜はナイフを投げ放つ。
それを合図にするかの様にナイフが突然白夢の周りに大量に出現した。
彼女の時間を操る程度の能力がなければ魔理沙は今頃左右に体がサヨナラしていただろう。
「……はっ!!」
白夢は振り下ろした鎌を再び振り上げ、今度は掛け声と共にその場で一回転しながら横に薙ぎ払う。それだけで鈍い白色の衝撃波は全てのナイフを吹き飛ばした。
吹き飛んだナイフの中には衝撃波によって粉々に砕けたものまである。直撃すれば人間の二人はバラバラになってもおかしくない。
「やっかいね」
「ああ、そうだな接近戦はヤバい」
「ナイフを投げる度に砕かれたんじゃ回収できなくて減っちゃうじゃない。何処かから調達しなくちゃ」
「……お前の心配はそこかよ」
やれやれと肩を竦めて見せる咲夜に呆れた視線を向けながらも、魔理沙は思考を止めていない。
接近戦は人間である自分達では自殺行為。しかし、相手はマスタースパークを両断できる遠距離攻撃を余裕で連射する程の力がある。
長時間の戦闘はこちらが不利になるのは明白だ。ならば考えられる対策で最も有効な手段は少ない魔力を使って牽制しつつ、援軍が来るのを待つこと。
咲夜の様子を伺うと彼女も同じ結論に達していたのだろう、魔理沙の視線に小さく頷くと少量のナイフを白夢の周りに一瞬で配置する。
時間停止からの不意打ちに難なく反応した白夢は鎌を振るいナイフを吹き飛ばした。
魔理沙はそれを見越したうえで魔法薬の入ったフラスコを放り投げる。中に入った液体が魔力に反応して強烈な光を放ち、幾つもの星型の弾幕がばら撒かれる。更にその中に紛れて小さなレーザーをいくつもミニ八卦炉から撃ちだした。
「込められた魔力が少ないわね。避ける必要さえないわ」
白夢は軽く鎌を振り回し全ての弾幕を切り裂いてみせた。
相手の反応からすれば魔理沙と咲夜の考えは気づかれているのだろう。それでも何もしないのは二人を完全に敵にならないと判断しているからに他ならない。
悔しいが激昂して特攻するようなバカな真似はしない。相手は完全に紫や桜花が全力で相手しなければならないレベルの相手だ。
「はは……二人掛かりでも軽くあしらわれるか。なぁ、咲夜のご主人様は来ないのか?あいつならそこそこ戦えるだろ?」
「残念だけど、今日は絶好の洗濯日和だから無理ね。日没まではもう少し掛かるし……」
「そっか、そりゃ残念……だ!!」
放たれた衝撃波を箒を勢いよく上昇させながら回避する。
やはり白夢は追撃も何もしてこない。完全に遊んでいる。
「完全になめられてるな」
「えぇ、きっと私達二人じゃ物足りないのよ。他の誰かが駆けつけるのを待ってるみたいね」
咲夜が溜息をつきながらナイフを手の中で遊ばせる。
きっと藍が幻想郷全体に危機を知らせて回っているはずなのですぐに援軍はやって来るだろう。
「でも、やっぱりこの私がなめたままでいられるのは気に食わないぜ!!」
だが、魔理沙はやはり捻くれ者らしく先程の自らの考えをあっさり捨て去った。
咲夜が「やっぱり……」なんて苦笑いしているのを横目に帽子の中から一回り大きなフラスコを取り出した。先程の物とは違って並々と満たされた金色の液体に魔力を流し込む。
「くらいな、とっておきの魔法薬だ!!避けるんじゃないぜ!?」
直後、フラスコが粉々に砕け散って巨大な光線が放たれた。それは、間違いなくマスタースパークだった。
「同じ技かしら、ならば結果は同じよ?」
白夢は再び鎌を振り上げて力を流す。
最初と同じくこのままなら再びマスタースパークは両断されてしまうだろう。
「いやいや……今度は倍の威力だぜ?」
白夢は鎌を振り下ろす瞬間、魔理沙がミニ八卦炉を構えるのを確かに見た。
込められた魔力は魔法薬よりも多く、八卦炉が力強く光を放つ。
「ダブルスパァァァァァァァァク!!!」
光の奔流がもう一つ追加される。
倍以上に膨れ上がったマスタースパークが白夢の衝撃波を押し返し、彼女自身を飲み込みながら湖の中に叩き落とした。
巨大な水飛沫が舞い上がり、豪雨の様に辺りに降り注いだ。
荒く息を吐きながら濡れて重くなった帽子を被り直し、魔理沙はしてやったり顔で水面を見下ろした。
「へ、ざまぁみやがれ!!」
魔理沙が急激な魔力消費のために肩で息をしながらそう言ってのけた。
そしてその時、彼女は完全に湖から意識を逸らしてしまっていた。
「―――ッ、魔理沙!!」
「―――ッ!?」
咲夜の声に反応した瞬間、魔理沙の視界は反転していた。
自分を抱きしめる咲夜と、遠ざかる箒を呆然と見上げ、自分は今、敵の攻撃から庇われて地面に向かって落ちているんだと理解するまでに一瞬かかり、慌てて咲夜を支えながら飛翔する。
愛用の箒が無いため、少しふらついたが、問題なく湖の淵に着地した。
「……ちっ、油断したぜ。咲夜、無事か!? どこか怪我とか―――」
―――ぐちゅ
「―――え?」
自分を抱きしめる咲夜を立たせようと触れた彼女の左腕。嫌な感触とぬるりとした液体の感触。思わず目を向けた咲夜の腕。そこには―――
―――肘から先が、なかった。