6話 狩猟リーダー
―――エルフの里――その日の朝へと遡る。
夜明けの光が森の梢を金色に染めはじめた頃、私はいつものように狩猟リーダーとして狩猟チームの仲間二人を連れ、静かなエルフの里を出発した。森には朝露がきらめき、草木は清らかな気で満ちている。いつもならば森が目覚める音――鳥たちの囁き、獣たちの足音――がそこかしこに響くのだが、その日は奇妙なほど静かだった。
風の流れさえ、どこか落ち着きがない。
「……気配がないな。普段なら、そろそろウサギの一匹や二匹は飛び出してきてもいい頃だが」
仲間のひとりが眉をひそめる。
確かにその通りだった。草食動物が減ること自体は珍しくない。たまに肉食の獣が近くを荒らすと、草食動物たちは森の奥深くまで逃げ込むものだ。だが、今日のこれは明らかに違う。ウサギ一匹いないというのは、森が“息を潜めている”とでも言うような異常さだった。
胸の奥に小さな不安が灯る。
(何かが起きている……)
私たちは周囲を警戒しつつ、足をさらに遠方へ伸ばすことにした。すると――
「……あれを見ろ」
仲間の声に目を向けた瞬間、私は思わず息を呑んだ。
大虎と人間が並んで、巨大なトレントと戦っていた。
(ありえない……)
大虎は肉食の獣で人間には危険な存在だ。人間と共闘など、本来あってはならない。しかもその人間は、大虎の動きに合わせるように戦い、見事な連携でトレントを討ち倒してしまった。
倒れたトレントが大地を揺らし、静寂が戻る。大虎は一声だけ低く唸ると、森の奥へ消えていった。それを見届けた人間は、肩で息をしながらも周囲を確認している。
(只者ではない……)
そう確信した私は、慎重に距離を保ちつつ、その人物へと近づいた。すると彼は気配を察したのか振り向き――違和感のない、美しいエルフ語で挨拶してきた。
「やぁ、こんにちは」
あまりに自然な発音に一瞬、言葉を失う。
「ご機嫌よう。……エルフの言葉が、ずいぶん上手だね」
「ありがとうございます。エルフの文化に興味があって、独学で学んだんです。でも……ここに来るのは初めてで。エルフの街って、近くにあるんですか?」
「街なんて大層なものじゃないよ。あくまで“里”だ。私たちは“エルフの森”と呼んでいる。……君は何の目的で、そんな場所へ向かおうとしているんだい?」
「私は商人のカズーと言います。エルフに興味があって、ぜひ一度その里を訪れたくて……あと、取引もできればと。しかし、それ以上に——」
「この猫が、魔物にやられて衰弱してしまって。助けてもらえないでしょうか?」
(そんな粋狂な人間がいたとは……)
猫を助けるために必死になる人間など、私は聞いたことがない。だが、彼の目は真剣で、嘘をついているようには見えなかった。
「……案内しよう。“エルフの森”へ」
その代わり、私は道順を覚えられぬよう、あえて森を迂回し、回り道をしながら進む。だが彼はそれにも文句を言わず、ただ静かに森の景色を眺めていた。
エルフの森に差し込む光を見上げ、その度に感嘆の声を漏らしている。
(……本当に、悪い人間には見えない)
やがて里へ到着し、私は彼を来客用の家に案内した。
そこは外の者が泊まるための場所で、木の香りが心地よい簡素な造りになっている。
「カズーさん、こちらをお使いください。解毒草を持ってきます」
「ありがとうございます。えっと……お名前を伺っても?」
「失礼しました。私は狩猟チームのリーダー、エンダールと言います」
「エンダールさん、よろしくお願いします」
短く礼を交わすと、私は長老へ報告に向かった。
集会場に入ると、ちょうど一人佇む長老の姿が目に入る。銀の髪はまるで年輪のように美しく、その背筋は若者よりも真っすぐだ。彼女――シルエリア様は、里の誰もが尊敬する穏和な長老である。
「シルエリア様、お話よろしいでしょうか?」
「エンダール。今日は早い帰りね。獲物がたくさん捕れたのかしら?」
少し気まずかったが、気にする暇もない。
「実は……獲物は一匹も。ですが、里の近くで人間の商人を見つけまして。来たいと言うので案内しました」
シルエリア様はしばし瞳を閉じ、静かに思案したのち言う。
「そう……。わかりました。では、あなたが世話をしてあげなさい。私も時間を見て会いに行きます」
その言葉に私は安堵し、集会場から解毒草を持ち出して来客用の家へ戻った。
「カズーさん、こちらが【解毒草】です」
(猫に、これを食べさせられるのだろうか……?)
そう思いながら見ていると、カズーさんは猫に知らない言葉で優しく語りかけた。
「シャム、これは解毒草だ。毒を治してくれる。頼む、食べてくれ」
「主、わかったニャ……」
驚いたことに、彼らは会話しているようだった。
猫が人の言葉に応じている――私にはそうとしか見えない。
(やはり……ただ者ではない)
猫――シャムは嫌々ながらも解毒草を口にし、水とともに飲み込んでいく。
そのうち呼吸が落ち着き、表情が少し和らいだ。
「エンダールさん、本当にありがとうございました。おかげで良くなったようです。これはお礼です」
そして彼は銀貨を差し出してきた。
だが私は首を横に振る。
「お金は必要ありません。ここでは使えないのです。森のものはすべて皆のもの。取引は物々交換になります。商人であるあなたなら、何か里の物と交換して下さい」
カズーさんは目を細め、深く頷いた。
「そうですか……。では、その掟に従います。私の持ち物で、皆さんの役に立つものがあれば」
それはエルフにとって当たり前の価値であり、人間にとっては珍しい価値だ。
だが彼は素直に受け入れた。
その姿を見て、私は不思議と胸が温かくなるのを感じていた。
――こうして、私と人間の商人カズーとの小さな縁は始まったのだった。
そしてオレは学ぶ。
〈森の恵みは皆のもの〉
と言うことを。




