43話 エルフとは
薄く煤けた交易都市の石畳の上に、重たい足音が幾重にも重なっていた。金属鎧の擦れる音、槍の石突きが地面を叩く乾いた響き、馬の鼻息。正体不明の軍勢――いや、もはや正体は明らかだ。領主の私兵たちが、半円を描くようにオレたちを包囲していた。
その列の中に、見覚えのある背中があった。
マルコだ。
先程まで狼狽していたあの男が、今は安堵したような顔で軍勢の中央へと駆け寄っていく。そして、豪奢な刺繍の入った深紅の上着を纏う男――貴族然とした威圧感を放つ人物の前にひざまずいた。
「マルコ、何をしている? 不手際が過ぎるぞ!」
低く、腹に響く声。怒気を含みながらも、どこか芝居がかった抑揚がある。
「伯爵様、お助け下さい! あの魔法使いがエルフを奪った上、こちらを攻撃して来るのです!」
マルコは、泥にまみれた石畳に額を擦りつけんばかりに縋りついた。伯爵と呼ばれた男は、そんな彼を足元で踏み潰す虫でも見るような目で見下ろす。
「マルコ、約束の金を渡せ。さすれば、あのエルフたちは儂がお前に売った物となる。奴は領主の物を横取りしようとする盗賊だ」
言葉の端々に、計算と打算が滲んでいた。
マルコは震える手で、金貨の詰まった重そうなバックを護衛騎士へ差し出す。鎧越しに受け取った騎士は、無言で伯爵へ手渡した。
「伯爵様、こちらがご用意した金貨七千枚になります」
バックの口が緩められ、黄金色の光が覗く。伯爵は指先で数枚をつまみ、軽く確かめると満足げに鼻を鳴らした。
そして、ゆっくりと顔を上げ、オレを見据える。
「魔法使い。エルフは領主たる儂がこの商人に売った物だ。死にたくなければ、エルフを渡せ!」
周囲の兵士たちが一斉に槍を構え直す。空気が張り詰める。
恐らく、兵士たちは商人ギルドでの騒ぎを“収める”ために、動いていたのだろう。
――領主が拉致に関与するのか!
オレは、背後にいるエルフたちの気配を感じる。九人。震えを堪えながらも、決して声を上げない。
「オレはエルフの里から彼らの世話役を申し受けている。彼らエルフたちは、絶対に渡さない!」
声が自然と大きくなる。胸の奥から湧き上がる怒りが、言葉を押し出していた。
テザール伯爵は眉を顰める。
「魔法使い、儂はこの地の領主である。儂の領地にある物は全て儂の物である!」
即座にオレは反論する。
「エルフは物ではない! エルフには人権がある。身分に関係なく対等だ。彼らの生命、健康、自由、所有物を奪ってはならない!」
オレの声は、石壁に反響して広がった。
しかし、伯爵は冷ややかに言い放つ。
「エルフは人ではない。人ならざる物だ」
その言葉に、兵士の何人かが当然のように頷いた。
確かに、この世界の“種族名”は明確に分けられている。ゲームシステムでは、エルフはエルフ。オレは人間。
だが――。
森の中で助けられた日々。共に食事を囲み、狩りをし、笑い、泣いた時間。冒険者として肩を並べて働いた。
これらが、物との関係なはずがない。
「エルフは人間と同じだ。オレを助け、一緒に生活し、ここでは冒険者もやっている! エルフは誰のものでもない!」
テザール伯爵は、呆れたようにため息をついた。
「もう良い。これ以上犯罪者と話しても仕方がない。そうだろう、鉱山都市のムートン」
その名が出た瞬間、心臓が大きく跳ねた。
軍勢の後方から、小柄で痩せた男が歩み出る。見慣れた顔。鉱山都市でクエストを共にした、あの温厚な男。
「はい。間違いなく鉱山都市で領主の息子を殺害した賞金首、“破滅の魔術師”です」
冷たい声だった。
「ムートンさん……どういう事ですか!?」
思わず叫ぶ。
彼は、視線を逸らさずに答えた。
「カズーさん。私はあなたの顔がわかります。バルグラ男爵様よりここに派遣されていたのです。これでやっと鉱山都市に戻れます。しかも、賞金の一部と昇進もするでしょう」
そこにあったのは、後ろめたさではなく、打算と安堵だった。
――自分の迂闊さを思い知る。
バルグラ男爵の手は、既にこの交易都市にまで及んでいた。バルグラ男爵の領地を出れば安全だと、どこかで高を括っていた。
甘かった。
テザール伯爵が声を張り上げる。
「あの賞金首を討ち取った者には金貨百枚を与える!」
兵士たちの目が光る。
オレの賞金は金貨千枚のはずだ。どういう配分だ?と一瞬くだらない疑問が浮かぶ。だが、そんな事を考えている余裕はない。
敵は数百の正規兵。
背後には守るべき九人のエルフ。
突破は不可能に近い、
戦うしかない。
勝てるのか――?
兵士たちの視線が、エルフたちに向けられているのを感じる。その目には、憎悪も悪意もない。ただ、当然のような“区別”がある。
人と、人でないもの。
所有する側と、される側。
悪意なき断定。
その瞬間、オレは悟る。
差別は、怒りや憎しみだけで生まれるのではない。
無意識の中にある「当然」が、誰かを物に変える。
兵士たちの槍先が、ゆっくりとこちらへ向く。
風が吹き、エルフの一人の銀色の髪が揺れた。
オレは魔法の杖を握り直す。
胸の奥で、怒りが渦を巻く。
この理不尽を打ち砕く力が、果たして自分にあるのか。
それでも――
守ると決めたのだ。
そしてオレは学ぶ。
〈差別は無意識に行われる〉
と言うことを。




