41話 真相
夕暮れの空は、まるで焦燥を映すかのように赤く滲んでいた。
オレは焦っている。
胸の奥が焼けつくように熱い。呼吸は荒く、鼓動は早鐘のように鳴り続けている。だが、頭の芯だけは冷え切っていた。
――シャムの探知スキルは正確だ。
あいつが「いる」と言ったなら、間違いない。エルフたちは船に乗せられている。
時間は、もうほとんど残されていない。
エルフが拉致されてからの経過時間を必死に頭の中で計算する。港の手続き、出港許可、船員の準備……。どれも一瞬で済むものではない。ましてや夜間出港など危険極まりない。
以前、マーブル島の船長から聞いたことがある。
――夜の海は牙を剥く。
他船との衝突、暗礁への乗り上げ。灯りだけじゃ足りねぇ。夜は出るもんじゃねぇ。
その言葉が脳裏に蘇る。
(まだだ……まだ出港していないはずだ)
出るとしても、最短で明日の朝。
ならば今が最後の猶予だ。
(船を一隻ずつ確認するか!?)
だが、監禁されている可能性が高い。船倉の奥深く、何かで隠されているか魔法で封じられていれば見逃す危険もある。
(やはり……商人ギルドだ)
違法な売買。密輸。奴隷取引。
裏で糸を引いているのは、船ではなく“商人”のはずだ。
オレは踵を返し、港を駆け出す。
石畳を打つ足音が乾いた音を立てる。傾いた太陽が背後から伸び、長く引き伸ばされた自分の影が前へと走る。まるで、未来へ急き立てるように。
通りには店じまいを始める商人たちの姿。荷をまとめる音。硬貨を数える乾いた響き。
焦りが胸を締め付ける。
(選択を間違えれば、取り戻せない)
今なら痕跡を追える。
だが、時間が経てば消える。風に流される砂のように。
思考はまとまらないまま、オレは商人ギルドの前に辿り着いた。
重厚な木製の扉。鉄の装飾が施され、威圧感すら漂わせる建物。
一瞬だけ、躊躇が胸をよぎる。
だが、迷っている時間はない。
オレは勢いよく扉を押し開けた。
中は思った以上に人が多かった。
高価な衣装に身を包んだ商人、帳簿を抱えた若い使用人、取引の最中らしい者たち。
ざわめきは、オレが開けた扉の音では止まらない。
(この中に……いる)
犯人が。
確信はない。だが、勘が叫んでいる。
オレは一階フロアの中央に進み、振り返る。
そして、防御魔法を展開した。
「サンドウォール!」
床が震え、土がせり上がる。
轟音とともに扉の前に厚い土壁が形成される。退路は塞がれた。
悲鳴が上がる。
近くにいた商人が腰を抜かし、帳簿が床に散らばる。
オレは大声で叫ぶ。
「皆、聞け!オレはカズーと言う!少しだけ時間をくれ!」
ざわめきが凍る。
「今日、オレの仲間のエルフが拐われた!何か知っていることがあるなら教えてくれ!」
空気が張り詰める。
その時、奥の通路から鎧の軋む音が響いた。
完全武装の警備員が二人、剣を抜きながら近づいてくる。
「お前!今すぐその魔法を消せ!」
威圧的な声。
だが、引くわけにはいかない。
オレは攻撃魔法を放つ。
「ウィンドボール! ウォーターボール!」
圧縮された風弾と水球が放たれ、警備員に直撃する。
鎧が叩きつけられ、二人は後方へ吹き飛び、壁に激突した。
「危害を加えたいとは思っていない!だが、従わないなら魔法を使う!」
静寂。
誰も動かない。
オレはフロアを見渡し、一人を指さした。
高価な絹の衣装。指には金の指輪。胸元には宝石。
いかにも裕福そうな男。
「そこの商人。あんただ。エルフと拉致に関わりそうな人間を教えろ!」
男は顔を真っ赤にし、怒鳴った。
「こんなことをしてただで済むと思うなよ!衛兵が――」
言い終わる前に、オレは床へ魔法を放つ。
「ファイアボール!」
爆ぜる火球。
床石が抉れ、焦げた匂いが広がる。
男は悲鳴を上げ、尻餅をついた。
「次はお前だ。火達磨になるぞ!」
声は自分でも驚くほど低く、冷えていた。
「わ、私は関わっていない!助けてくれ!」
その目は泳いでいる。
嘘ではない。
だが、何かを知っている目だ。
「では、誰だ!?」
オレは天井へ向けて魔法を放つ。
「ウォーターボール!」
天井で水球が弾け、冷水が男の頭上から降り注ぐ。
「止めてくれ!話す!」
男は叫ぶ。
「マルコだ!商人のマルコがエルフの売買をやっている!」
その名を聞いた瞬間、背筋が凍った。
(マルコ!)
今日、塩の受け渡しで顔を合わせた商人。
笑顔で握手を交わしたばかりの。
「……本当にマルコか?」
喉が乾く。
「嘘なら次は当てる」
男は震えながら叫ぶ。
「嘘じゃない!ここにいる商人なら皆知っている!他の者に聞いてみろ!」
オレは周囲を見渡す。
視線を逸らす者。
唇を噛む者。
そして――ゆっくりと、全員が無言で頷いた。
胸の奥で、怒りが爆発する。
利用されたのか。
だが、感情に飲まれるな。
今は――動く時だ。
土壁の向こうで、遠くから警鐘の音が響き始めていた。
時間は、もう残されていない。
胸の奥で、何かが軋む音がした。
――マルコ。
オレは、昨日の商談を必死に思い返す。
あいつは塩を急いで売却したがった。普段なら値を吊り上げ、駆け引きをする商人が、昨日は妙に焦っていた。多少の損も気にせず、一気に手放した。
「次の大口商品を仕入れる予定でしてね」
そう言っていた。
その時は深く考えなかった。商人なら珍しくもない話だ。
だが――
(その“大口商品”が……エルフたちか!?)
血の気が引く。
さらに思い出す。
今日、塩の受け渡しのため、マルコはオレをわざわざ倉庫まで案内した。必要以上に丁寧に。時間をかけて。
もし、あの時間に。
もし、オレがあの場に縛られていなければ。
エルフたちを守れたかもしれない。
(やられた……!)
拳を握りしめる。爪が掌に食い込む。
「シャム!マルコを見つけられるか!?」
オレの叫びに、シャムが素早く反応する。
「やってみるニャ!」
猫耳をぴんと立て、目を閉じる。
周囲のざわめきが遠のいたように感じる。
シャムの探知能力は常軌を逸している。
敵の残滓、匂い、気配、足音――すべてを統合して“探る”。
数秒が、永遠のように長い。
そして。
シャムが、ぱちりと目を見開いた。
「主、マルコからケイシアの匂いがするニャ!こっちニャ!」
(ケイシアの匂いがするということはマルコで間違いない!)
言うが早いか、シャムを追って駆け出しながら、オレはすぐに魔法を解除する。
「サンドウォール消えろ!」
土壁が崩れ、砂となって床へ落ち消えて行く。
外から差し込む夕陽が、フロアを赤く染めた。
扉を出ると外には、騒ぎで集まった人々が押し寄せていた。中に入れず苛立っていた野次馬たちがどよめく。
だがシャムはその足を止めない。
小柄な体を活かし、人混みの隙間を縫うように走り抜ける。
「シャム行け!」
オレも人だかりを押しのけ、必死に追う。
石畳を蹴る音。
荒い呼吸。
夕暮れの冷たい風が頬を打つ。
やがて視界の先に、見覚えのある背中が現れた。
大きなバックを抱え、必死に走る男。
マルコだ。
振り返る顔には焦燥と恐怖。
商人ギルドでの騒動を見ていたのだろう。裏口から逃げ出したに違いない。
(やはり裏口があったか……!)
マルコはこの街の住人だ。地理を知り尽くしている。
路地裏を縫うように走り、曲がり角を巧みに利用する。
なかなか距離が縮まらない。
「くそっ……!」
ゴミ樽を蹴り倒し、木箱を飛び越える。
路地の湿った匂いが鼻を刺す。
そして――
路地を抜けた瞬間、視界が一気に開けた。
港だ。
夕陽を浴びた海が赤く染まり、無数の帆船が静かに並んでいる。
縄の軋む音、波の打ち寄せる音。
マルコは迷わず、一隻の大型帆船へ向かって走る。
黒い船体。高いマスト。
すでに出港準備を整えている雰囲気があった。
(船の中に隠れられたら厄介だ……!)
船倉に入られれば追跡は困難になる。
オレは攻撃魔法を放つ。
「ファイアアロー!」
放たれた火矢が、一直線にマルコへ向かう。
狙いは致命傷ではない。
足だ。
火矢が太腿を貫いた。
「ぎゃあああっ!」
悲鳴と共にマルコが転倒する。
抱えていたバックが宙に舞い、石畳へ叩きつけられる。
衝撃で口が開き、中身が飛び出した。
――金貨。
大量の金貨が夕陽を反射し、眩い光を放つ。
ちゃりん、ちゃりん、と乾いた音が広がる。
その光景を見た瞬間、すべてが繋がった。
エルフを買い取り。
船で別の街へ運び。
さらに高値で売る。
差額で莫大な利益。
この金貨は、その取引の証。
「マルコ!止まれ!」
オレは剣呑な声で叫ぶ。
「誰にその金貨を渡すつもりだ!?」
マルコは地面に転がったまま、足を押さえ、歯を食いしばる。
「止めろ……!この金貨は……テザール伯爵様に渡すものだ!」
その名を聞いた瞬間、世界が静まり返った気がした。
――テザール伯爵。
この地の領主。
法を司り、税を徴収し、民を守るはずの存在。
その男が。
金のために、エルフを売る?
背筋が凍る。
怒りよりも先に、冷たい理解が訪れた。
ああ、そうか。
商人一人でこんな大それた取引ができるはずがない。
エルフの拉致。港の許可。出港の優遇。警備の黙認。
すべてが揃わなければ成立しない。
つまり――
最初から“守られていた”のだ。
オレは、ゆっくりと拳を握る。
理想ではない。
正義でもない。
金。
それが、この街を動かしていた。
そして今、オレはその構造に触れてしまった。
赤く染まる港で、金貨が冷たく輝いている。
波音だけが、静かに響いていた。
そしてオレは学ぶ。
〈為政者は金のために動く〉
と言うことを。




