40話 商人マルコ
私はこの交易都市で商人をしている。
名はマルコ。代々、塩を扱う家系に生まれ、父からその商いを継いだ。
塩――それはありふれているが、なくてはならぬもの。
人が生きる限り、必ず必要とされる白い結晶。魚を干すにも、肉を保存するにも、味を整えるにも、すべては塩あってこそ成り立つ。
そのおかげで収益は安定している。倉庫の塩袋が尽きることはなく、毎日必ずいくらかの銀貨が帳面に記される。
だが――。
大きな商いは出来ない。
塩の価格は、私の一存では決められない。
この街の塩は、領主テザール伯爵によって厳しく管理されている。塩は生活必需品ゆえ、民が困らぬよう、価格は抑えられているのだ。勝手な値上げは禁じられ、違反すれば商人としての地位を失う。
つまり、私はどれだけ工夫を凝らしても、決められた枠の中でしか利益を得られない。
時折、他所から来る一見の商人に多少高値で売り捌くことはある。遠方の砂漠地帯や山岳都市では塩は貴重だ。そうした商人にまとめて売れば、普段よりは多くの金が手に入る。
だが、それとて「時折」だ。
父はよく言っていた。
「塩は誠実な商いだ。だが、夢は見られん」
その言葉が、いつも胸に引っかかっていた。
私は誠実な商人で終わりたくなかった。
いつかは自分の船団を持ち、大商人として名を馳せたい。港に並ぶ他の豪奢な船を眺めるたび、そんな野心が胸の奥で燻っていた。
――そして数年前。
私の人生に転機が訪れた。
ある日の夕刻、私は城館に呼び出された。
厚い絨毯が敷かれた廊下を歩きながら、胸が妙にざわついていた。塩の価格調整か、あるいは税の話か。どちらにせよ、良い話であることは少ない。
だが、応接間で待っていたテザール伯爵の顔は、どこか愉快そうだった。
重厚な椅子に腰掛け、葡萄酒を傾けながら、伯爵は私を見据える。
「マルコ。お前に内密の商いを紹介してやろう」
その声音は低く、甘い。
「内密……でございますか?」
私は慎重に問い返す。
伯爵は口元を歪めた。
「エルフの売却をやらないか?」
一瞬、意味が理解できなかった。
「……エルフ?」
北の森に住むという長命の種族。滅多に街には姿を現さぬが、現れれば人々の視線を集める。透き通るような肌、月光のような髪、整った顔立ち。まるで神話の住人のような存在。
「そうだ」
伯爵は椅子の背に身体を預ける。
「北の森に住むエルフが、希にこの街には来る。理由はわからない。警戒心は強いが、数は少ない」
伯爵は葡萄酒を揺らしながら続けた。
「そのエルフを捕まえ、他の都市で売却する。先日、都市国家の者から聞いた。ある街ではエルフは美男美女ゆえ高値で取引されているそうだ」
私は息を呑んだ。
それは、禁忌に触れる商いだろう。
「お前は船を持っているだろう?」
伯爵の視線が鋭くなる。
「それを使って都市国家で売却するのだ。お前も利益を取っていいぞ。もちろん、これは公には出来ぬ。だが……」
伯爵の指が机を軽く叩く。
「成功すれば、お前の塩商いなど比べものにならぬ額が手に入る」
頭の中で銀貨が弾ける音がした。
塩袋をいくつ売っても届かぬ金額。
倉庫をいくつ建てても追いつかぬ利益。
危険はある。
だが、伯爵が後ろ盾ならば、この街で咎められることはない。
父の言葉が脳裏をよぎる。
「塩は誠実な商いだ」
――だが、誠実であるだけでは、夢は掴めない。
港に停泊する自分の船を思い浮かべる。
まだ小さいが、海を渡る力はある。あの船が、ただ塩を運ぶだけで終わるのか。それとも、莫大な富を運ぶ船へと変わるのか。
伯爵は静かに待っている。
(断る理由は無い!)
胸の奥で、何かが音を立てて崩れた。
私はゆっくりと顔を上げる。
「……わかりました」
自分の声が、やけに乾いて聞こえた。
「やらせて下さい」
伯爵の口元が満足げに歪む。
その瞬間、私はただの塩商人ではなくなった。
白い結晶の商いから、闇へと足を踏み入れたのだ。
それが、私の運命を大きく変えることになるとは――
その時の私は、まだ知らなかった。
◆ ◆ ◆
夕暮れの潮風が石畳を撫で、港に林立する帆柱が軋む音を立てる。ここは多くの船の中でも大型な帆船用の港の一つ。
エルフとの商いは、常に裏で行ってきた。
都市国家では高値がつく。若く、美しく、希少――それだけで金貨の山になる。表の商人たちは香辛料や絹で競り合っているが、私は違う。私は“本物の高級品”を扱っている。
エルフの商いは内密理に行っている。他の商人と競合したくないのとエルフが恐れてこの街に来なくならないようにしての処置だ。
エルフは都市国家でかなりの高額で売れる。しかも、希少種族のため最近はオークションに出して大儲けを出している。
(今回は九人)
いつもは一人か二人だ。それが九人。まさに大儲け出来る。
唯一の懸念は、見知らぬ商人カズーという男だった。彼は妙にエルフたちに肩入れしていた。世話を焼き、言葉を交わし、まるで対等な存在のように扱っている。
滑稽だ。
私は商談を装い、彼に近づいた。そして裏で盗賊に指示を出し、計画を実行した。
悲鳴は短く、抵抗も少なかった。
縛る必要はない。傷をつければ価値が落ちる。
彼らは“商品”なのだから。
今、九人は私の船の一室にいる。テザール伯爵に裏で支払いを済ませれば、船を出港し都市国家で競売だ。金貨が鳴る音が、もう耳に聞こえるようだった。
「船長、エルフの所に案内してくれ」
「わかりやした」
船の板を踏みしめる足音が、妙に大きく響く。
部屋の扉が開くと、九人がこちらを見た。
縛ってはいない。ただ、逃げ場がないだけだ。
一人一人の顔を確かめる。
(若い。整っている。高く売れる)
値踏みの目。
自分でも、それがどういう目なのか理解している。
彼らは何かを言っている。エルフ語だ。私にはわからない。だが、その響きは怒りであり、哀願でもあり――祈りのようにも聞こえた。
そして、一人の女エルフ。
彼女だけが黙っていた。
泣きもしない。喚きもしない。ただ、まっすぐに私を見ている。
私は一瞬、不安になった。病気かもしれない。価値が落ちる。
近づき、体に触れて確かめる。
冷たい肌。だが震えている。
(異常はない……)
叫ばない。抵抗もしない。
ただ、耐えている。
代わりに聞こえるのは、船体を叩く波の音。
逃げ場のない、静かな部屋。
「……問題ないだろう。船長、明日出港だ」
声は、思ったよりも乾いていた。
私は扉を閉める。
その瞬間、胸の奥では金貨がいくつになるのか考える。
出港は明日。
そしてオレは学ぶ。
〈人も商品になる〉
と言うことを。




