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異世界から学ぶライフスタイル 〜第三部 渇望を求めて〜  作者: カズー
第八章

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37話 交易都市の領主

 石畳の広間に、乾いた靴音が響いていた。


 交易都市を治める領主、テザール伯爵は、玉座の肘掛けを指で苛立たしげに叩きながら、窓の外を睨んでいた。冬を越えた空は鈍色に曇り、街路を行き交う商人たちの声もどこか沈んでいる。かつては活気と喧騒に満ち、金貨の重みで倉庫の床が軋むほどであったこの城も、今はどこか陰りを帯びていた。


 この都市の繁栄は、隣接する鉱山都市との交易によって築かれてきた。


 本来であれば、交易は有力商人たちに委ねるのが通例である。だがテザールは違った。鉱山都市で採れる良質な鉱石――鉄、銅、そしてわずかに産出される金鉱石。その全てを、自らの管理下で独占的に取り扱っていたのだ。


 鉱石はこの交易都市へ運ばれ、そこから各地の加工場へと高値で輸出される。武具工房、鍛冶場、宝飾細工の工房……ありとあらゆる場所へと流れていく。一方、鉱山都市には代わりに農作物を売りつけていた。肥沃な平野を持つ都市の小麦や野菜は、鉱山労働者たちにとって欠かせぬ生命線だった。


 その差額こそが、莫大な利益を生み出していたのである。


 だが、その黄金の循環は、昨年、突如として断ち切られた。


 鉱山都市を襲ったスタンピード。


 ダンジョンから溢れ出た魔物の大群が、街を蹂躙したのだ。コボルト、ハーピー、ゴブリンに巨大なボブゴブリンなどの魔物――種も数も様々な魔物が押し寄せ、荷馬車は横転し、倉庫は焼け落ち、逃げ惑う人々の悲鳴が街を引き裂いたという。


 その混乱の中で、テザールの交易品も失われた。


 何台もの荷馬車と荷が消えた。だが何より痛手だったのは、王家へ納めるはずだった金塊まで失われたことだ。


 玉座の前に積まれた報告書を思い出し、テザールは奥歯を噛み締める。


 本来、王家への上納は滞りなく行われねばならない。それは領主としての義務であり、信用そのものだ。テザールはすぐに鉱山都市の領主、バルグラ男爵に、失われた分の金塊を補填するよう要求した。


 だが返ってきたのは、苦しい事情説明だった。


 鉱山は、スタンピード前に解放軍の攻撃によって破壊され、坑道の復旧に時間を要しているという。奴隷の鉱夫は全て解放軍に取られ、生産量は大きく落ち込んでいた。


「出せぬものは出せぬ、か……」


 苦々しく吐き捨てた言葉が、今も胸の内に残っている。


 結局、テザールは自らの蓄えから金塊を捻出せざるを得なかった。もっとも、その“蓄え”は清廉なものではない。


 長年の輸送の際、ほんの僅かずつ。目方の誤差と言い張れる程度に。王家へ送る金塊から、削り取ってきた分だった。


 誰にも気づかれていないはずだった。いや、気づかれていても証拠はない。


 その隠し財産を、ついに手放さねばならなくなったのだ。


「忌々しい……」


 呟きが、静まり返った広間に溶ける。


 そんな折だった。


 冒険者ギルドマスターからの急報が届いたのは。


 魔物出現。


 その報告を聞いた瞬間、テザールの脳裏に昨年の惨状が蘇った。瓦礫、炎、断末魔。金塊を失ったあの日の焦燥。


 スタンピード!?


「騎士団長を呼べ!」


 玉座から立ち上がり、声を荒げる。


「直ちに魔物を討伐しろ!街に被害を出すな!」


 命令は即座に伝達され、騎士団が動いた。


 ―――翌日。


 広間に整然と立つ騎士団長は、鎧を鳴らしながら報告を始めた。


「出現した魔物は、オークだけでした」


「オークだと?」


 猪の顔を持つ人型の魔物。筋骨隆々の体躯に、粗雑な武器を携え、群れで行動する厄介な存在だ。知能は低いが、力は強い。


「確認されたのはオークのみ。数は数百体。討伐を始めると一目散に逃げていきました」


「スタンピードではないのか?」


 テザールの問いに、騎士団長は首を横に振る。


「スタンピードであれば、ダンジョンから多種多様な魔物が溢れ出します。しかし今回はオークのみ。しかも、この地にはダンジョンは存在しないはずです」


 その言葉に、広間の空気がわずかに重くなる。


(では、何故この地に魔物が現れたのだ……)


 偶発的な迷い込みか。それとも、何者かの意図か。


 テザールは視線を横へ向けた。


「冒険者ギルドマスター。最近、変わったことは無かったか?」


 控えていたギルドマスターは、一歩前へ進み出る。落ち着いた声音で答えた。


「はい、特筆すべき異変はございません。強いて申し上げるなら……」


 一瞬、言葉を区切る。


「久しぶりにエルフがこの街に参りました。現在は冒険者として活動しております」


「エルフが来たのか」


 テザールの眉がわずかに動く。


 エルフ――森に住む種族。街に姿を見せることは稀だ。特にこの交易都市に現れたのは、何年ぶりになるだろうか。


「エルフか!……久しぶりだな」


 曇天の光が差し込む広間で、テザール伯爵は静かに思案する。


 ◆ ◆ ◆


 夜の帳が降りきる前、交易都市の中心にそびえる領主城の塔に、鈍い夕陽が絡みついていた。赤く染まった石壁は、まるで血を吸ったかのように重く沈んで見える。


 城門をくぐったのは、領主の城には似つかわしくない男たちだった。


 粗野な革鎧。隠しきれない刃物の柄。歩き方一つでわかる、裏の世界の匂い。


 城の兵士たちは彼らを咎めることもなく、視線を逸らして道を開けた。見慣れた顔なのだろう。あるいは、見なかったことにするのが賢明だと知っているのか。


 やがて一行は、城の奥――領主テザール伯爵の私室へと辿り着く。


 分厚い扉の前で止まることもなく、先頭の男が乱暴に押し開けた。


「伯爵、来やしたぜ!」


 重厚な室内に、下卑た声が響く。


 暖炉の前でワインを傾けていたテザール伯爵は、ゆっくりと杯を置いた。驚きも怒りも見せない。その無遠慮を許しているのは、他ならぬ彼自身だからだ。


「よく来たな」


 低く、落ち着いた声が続く。


「仕事だ、盗賊ども」


 その言葉に、男たちはニヤニヤと笑った。怒るどころか、むしろ誇らしげですらある。


「へへ……伯爵には、いつも世話になっている。どんな仕事でもやりますぜ」


 言いながら、男の一人は腰の短剣を軽く叩いた。その仕草には、自分たちが“汚れ仕事”専門であるという自覚と自信が滲んでいる。


 室内にはもう一人、香油の匂いを漂わせた商人が立っていた。上質な絹の衣に身を包み、太い指には宝石の指輪が光っている。だがその目は、盗賊たちと同じ色をしていた。


 テザールは椅子にもたれ、指を組む。


「この街にエルフが九人来ている」


 盗賊たちの笑みが、わずかに深まった。


「全員誘拐して、この商人に引き渡せ。傷つけるなよ。売り物だ」


 その言葉はあまりに淡々としていた。まるで家畜の取引を指示するかのように。


 商人が一歩前へ出る。顎に手を当て、天井を見上げる仕草は芝居がかっている。


「伯爵様、男のエルフが三人、女のエルフが六人……でございますね。今回は多いですね」


 情報はすでに掴んでいるらしい。


「エルフは全員、美男美女。特に女のエルフは希少価値が高い。王都の貴族や国外の蒐集家が喉から手を出すほど欲しがる代物……」


 細められた目が、獲物を値踏みする商人そのものになる。


「今回は金貨七千枚で如何でしょうか?」


 暖炉の火がぱちりと弾けた。


 七千枚――一般市民が一生かけても触れぬ額だ。


 テザールは一瞬だけ沈黙し、そして頷いた。


「いいだろう」


 口元がわずかに歪む。


「お前も鉱山都市のスタンピードで損害を被っているからな」


 その言葉に、商人は大仰に目頭を押さえた。


「ああ、そうなんです……あのスタンピードで、私の積荷も荷馬車も、すべて無くなりました」


 声を震わせながらも、涙は一滴も落ちない。


「特に塩が痛かった。人間にとって塩は命。あれだけの量を失うとは……」


「わかっている」


 テザールは静かに言った。


「エルフで補填しようぞ。マルコ」


 名を呼ばれた商人――マルコは、恭しく頭を下げた。その顔には、涙の代わりに満足げな笑みが浮かんでいる。


 盗賊たちは肩をすくめる。


「場所と時間を教えてくだせぇ。綺麗にやってきますよ」


「騒ぎは起こすな。あくまで“行方不明”だ」


「お任せを」


 下卑た笑い声が、静かな私室に溶けていく。


 豪奢な絨毯。金糸の刺繍。磨き抜かれた調度品。表向きは、秩序と繁栄を誇る領主の城。


 だがその中心で交わされているのは、人身売買の密約だった。


 そして――


 これが、この街の真実。


 表では慈悲深き領主として振る舞い、商人を保護する賢君と称えられるテザール伯爵。


 だが裏では、盗賊を使い、エルフを商品として売り払う。


 その姿はまさに――


 笑みの奥に牙を隠し、善政の仮面の下で血を啜る支配者。


 そしてオレは学ぶ。


〈羊の皮を被った狼〉


 と言うことを。

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