37話 交易都市の領主
石畳の広間に、乾いた靴音が響いていた。
交易都市を治める領主、テザール伯爵は、玉座の肘掛けを指で苛立たしげに叩きながら、窓の外を睨んでいた。冬を越えた空は鈍色に曇り、街路を行き交う商人たちの声もどこか沈んでいる。かつては活気と喧騒に満ち、金貨の重みで倉庫の床が軋むほどであったこの城も、今はどこか陰りを帯びていた。
この都市の繁栄は、隣接する鉱山都市との交易によって築かれてきた。
本来であれば、交易は有力商人たちに委ねるのが通例である。だがテザールは違った。鉱山都市で採れる良質な鉱石――鉄、銅、そしてわずかに産出される金鉱石。その全てを、自らの管理下で独占的に取り扱っていたのだ。
鉱石はこの交易都市へ運ばれ、そこから各地の加工場へと高値で輸出される。武具工房、鍛冶場、宝飾細工の工房……ありとあらゆる場所へと流れていく。一方、鉱山都市には代わりに農作物を売りつけていた。肥沃な平野を持つ都市の小麦や野菜は、鉱山労働者たちにとって欠かせぬ生命線だった。
その差額こそが、莫大な利益を生み出していたのである。
だが、その黄金の循環は、昨年、突如として断ち切られた。
鉱山都市を襲ったスタンピード。
ダンジョンから溢れ出た魔物の大群が、街を蹂躙したのだ。コボルト、ハーピー、ゴブリンに巨大なボブゴブリンなどの魔物――種も数も様々な魔物が押し寄せ、荷馬車は横転し、倉庫は焼け落ち、逃げ惑う人々の悲鳴が街を引き裂いたという。
その混乱の中で、テザールの交易品も失われた。
何台もの荷馬車と荷が消えた。だが何より痛手だったのは、王家へ納めるはずだった金塊まで失われたことだ。
玉座の前に積まれた報告書を思い出し、テザールは奥歯を噛み締める。
本来、王家への上納は滞りなく行われねばならない。それは領主としての義務であり、信用そのものだ。テザールはすぐに鉱山都市の領主、バルグラ男爵に、失われた分の金塊を補填するよう要求した。
だが返ってきたのは、苦しい事情説明だった。
鉱山は、スタンピード前に解放軍の攻撃によって破壊され、坑道の復旧に時間を要しているという。奴隷の鉱夫は全て解放軍に取られ、生産量は大きく落ち込んでいた。
「出せぬものは出せぬ、か……」
苦々しく吐き捨てた言葉が、今も胸の内に残っている。
結局、テザールは自らの蓄えから金塊を捻出せざるを得なかった。もっとも、その“蓄え”は清廉なものではない。
長年の輸送の際、ほんの僅かずつ。目方の誤差と言い張れる程度に。王家へ送る金塊から、削り取ってきた分だった。
誰にも気づかれていないはずだった。いや、気づかれていても証拠はない。
その隠し財産を、ついに手放さねばならなくなったのだ。
「忌々しい……」
呟きが、静まり返った広間に溶ける。
そんな折だった。
冒険者ギルドマスターからの急報が届いたのは。
魔物出現。
その報告を聞いた瞬間、テザールの脳裏に昨年の惨状が蘇った。瓦礫、炎、断末魔。金塊を失ったあの日の焦燥。
スタンピード!?
「騎士団長を呼べ!」
玉座から立ち上がり、声を荒げる。
「直ちに魔物を討伐しろ!街に被害を出すな!」
命令は即座に伝達され、騎士団が動いた。
―――翌日。
広間に整然と立つ騎士団長は、鎧を鳴らしながら報告を始めた。
「出現した魔物は、オークだけでした」
「オークだと?」
猪の顔を持つ人型の魔物。筋骨隆々の体躯に、粗雑な武器を携え、群れで行動する厄介な存在だ。知能は低いが、力は強い。
「確認されたのはオークのみ。数は数百体。討伐を始めると一目散に逃げていきました」
「スタンピードではないのか?」
テザールの問いに、騎士団長は首を横に振る。
「スタンピードであれば、ダンジョンから多種多様な魔物が溢れ出します。しかし今回はオークのみ。しかも、この地にはダンジョンは存在しないはずです」
その言葉に、広間の空気がわずかに重くなる。
(では、何故この地に魔物が現れたのだ……)
偶発的な迷い込みか。それとも、何者かの意図か。
テザールは視線を横へ向けた。
「冒険者ギルドマスター。最近、変わったことは無かったか?」
控えていたギルドマスターは、一歩前へ進み出る。落ち着いた声音で答えた。
「はい、特筆すべき異変はございません。強いて申し上げるなら……」
一瞬、言葉を区切る。
「久しぶりにエルフがこの街に参りました。現在は冒険者として活動しております」
「エルフが来たのか」
テザールの眉がわずかに動く。
エルフ――森に住む種族。街に姿を見せることは稀だ。特にこの交易都市に現れたのは、何年ぶりになるだろうか。
「エルフか!……久しぶりだな」
曇天の光が差し込む広間で、テザール伯爵は静かに思案する。
◆ ◆ ◆
夜の帳が降りきる前、交易都市の中心にそびえる領主城の塔に、鈍い夕陽が絡みついていた。赤く染まった石壁は、まるで血を吸ったかのように重く沈んで見える。
城門をくぐったのは、領主の城には似つかわしくない男たちだった。
粗野な革鎧。隠しきれない刃物の柄。歩き方一つでわかる、裏の世界の匂い。
城の兵士たちは彼らを咎めることもなく、視線を逸らして道を開けた。見慣れた顔なのだろう。あるいは、見なかったことにするのが賢明だと知っているのか。
やがて一行は、城の奥――領主テザール伯爵の私室へと辿り着く。
分厚い扉の前で止まることもなく、先頭の男が乱暴に押し開けた。
「伯爵、来やしたぜ!」
重厚な室内に、下卑た声が響く。
暖炉の前でワインを傾けていたテザール伯爵は、ゆっくりと杯を置いた。驚きも怒りも見せない。その無遠慮を許しているのは、他ならぬ彼自身だからだ。
「よく来たな」
低く、落ち着いた声が続く。
「仕事だ、盗賊ども」
その言葉に、男たちはニヤニヤと笑った。怒るどころか、むしろ誇らしげですらある。
「へへ……伯爵には、いつも世話になっている。どんな仕事でもやりますぜ」
言いながら、男の一人は腰の短剣を軽く叩いた。その仕草には、自分たちが“汚れ仕事”専門であるという自覚と自信が滲んでいる。
室内にはもう一人、香油の匂いを漂わせた商人が立っていた。上質な絹の衣に身を包み、太い指には宝石の指輪が光っている。だがその目は、盗賊たちと同じ色をしていた。
テザールは椅子にもたれ、指を組む。
「この街にエルフが九人来ている」
盗賊たちの笑みが、わずかに深まった。
「全員誘拐して、この商人に引き渡せ。傷つけるなよ。売り物だ」
その言葉はあまりに淡々としていた。まるで家畜の取引を指示するかのように。
商人が一歩前へ出る。顎に手を当て、天井を見上げる仕草は芝居がかっている。
「伯爵様、男のエルフが三人、女のエルフが六人……でございますね。今回は多いですね」
情報はすでに掴んでいるらしい。
「エルフは全員、美男美女。特に女のエルフは希少価値が高い。王都の貴族や国外の蒐集家が喉から手を出すほど欲しがる代物……」
細められた目が、獲物を値踏みする商人そのものになる。
「今回は金貨七千枚で如何でしょうか?」
暖炉の火がぱちりと弾けた。
七千枚――一般市民が一生かけても触れぬ額だ。
テザールは一瞬だけ沈黙し、そして頷いた。
「いいだろう」
口元がわずかに歪む。
「お前も鉱山都市のスタンピードで損害を被っているからな」
その言葉に、商人は大仰に目頭を押さえた。
「ああ、そうなんです……あのスタンピードで、私の積荷も荷馬車も、すべて無くなりました」
声を震わせながらも、涙は一滴も落ちない。
「特に塩が痛かった。人間にとって塩は命。あれだけの量を失うとは……」
「わかっている」
テザールは静かに言った。
「エルフで補填しようぞ。マルコ」
名を呼ばれた商人――マルコは、恭しく頭を下げた。その顔には、涙の代わりに満足げな笑みが浮かんでいる。
盗賊たちは肩をすくめる。
「場所と時間を教えてくだせぇ。綺麗にやってきますよ」
「騒ぎは起こすな。あくまで“行方不明”だ」
「お任せを」
下卑た笑い声が、静かな私室に溶けていく。
豪奢な絨毯。金糸の刺繍。磨き抜かれた調度品。表向きは、秩序と繁栄を誇る領主の城。
だがその中心で交わされているのは、人身売買の密約だった。
そして――
これが、この街の真実。
表では慈悲深き領主として振る舞い、商人を保護する賢君と称えられるテザール伯爵。
だが裏では、盗賊を使い、エルフを商品として売り払う。
その姿はまさに――
笑みの奥に牙を隠し、善政の仮面の下で血を啜る支配者。
そしてオレは学ぶ。
〈羊の皮を被った狼〉
と言うことを。




