33話 魔物
オレは、冒険者ギルドの重厚な扉を押し開けた。
昼過ぎのギルドはいつも通り賑わっている。酒の匂い、革鎧の軋む音、依頼書を剥がす音、笑い声と怒鳴り声が入り混じり、木造の広間は熱気に満ちていた。壁一面に張り出された依頼書の前では、冒険者たちが真剣な顔で紙を睨みつけている。
だが――オレの視線は、その掲示板を何度確認しても引っかかる一点に向いていた。
(やはり……無い)
魔物討伐の依頼が、ひとつも無い。
先日の狩猟クエストで、確かにオレとシャムは“それ”を感じた。森の奥から漂ってきた、あの異様な気配。野生動物とは明らかに違う、禍々しい魔力の揺らぎ。
あれは間違いなく――魔物だった。
違和感を抱えたまま、オレは受付カウンターへと向かった。
以前、商人として依頼を出した時に対応してくれた女性職員が、書類を整理している。髪を後ろでまとめ、きっちりとした制服を着こなした真面目そうな女性だ。
「すみません」
声を掛けると、彼女は顔を上げ、にこやかに応じた。
「はい、いかがなさいましたか?」
「このギルドには、魔物関連のクエストは無いのでしょうか?」
オレがそう尋ねると、彼女は一瞬だけきょとんとした表情を浮かべた。
「魔物、ですか?」
「ええ」
彼女は掲示板の方を一瞥し、首を横に振る。
「この辺りでは滅多に魔物は現れませんので……討伐クエストはほとんどありません。ここ数年、大きな報告もありませんし」
やはりそういう認識なのか。
オレは小さく息を吸い、声の調子を落として言った。
「先日参加した狩猟クエストで、魔物を見ました」
言葉が落ちた瞬間、周囲の喧騒が遠のいた気がした。
「……え?」
女性職員の顔から血の気が引く。手にしていた羽ペンが、かすかに震えた。
「ま、魔物を……?」
「はい。確証はありませんが、明らかに通常の獣とは違う魔力反応でした」
しばしの沈黙。
彼女は唇を引き結び、決意したように頷くと――
「少々お待ちください!」
そう言い残して、カウンター奥の階段を駆け上がっていった。木の階段を踏み鳴らす足音が、やけに大きく響く。
広間の空気がざわめく。
「魔物だって?」 「この辺りに?」
冒険者たちがひそひそと声を交わすのが聞こえる。オレは余計な注目を浴びないよう、静かに腕を組んで待った。
やがて、重たい足取りが階段を降りてくる。
現れたのは、厳めしい顔つきの中年の男だった。刈り込まれた髭、鍛えられた体躯、鋭い眼光。只者ではない雰囲気を纏っている。
女性職員がその一歩後ろに控えていた。
「お前が、魔物を見たと言う冒険者か?」
低く、腹の底に響く声。
女性職員が慌てて訂正する。
「ギルドマスター、彼は冒険者ではなく、商人としてクエストを依頼された方です」
なるほど、この男がギルドマスターか。
オレは一瞬だけ考える。
(ここで隠し事をするのは得策じゃない)
魔物の存在は街の安全に関わる。下手に立場を偽れば、後で面倒になるだけだ。
「はい。私が魔物を探知しました。商人でもありますが、冒険者としても活動したことがあります」
そう言って、オレは懐から冒険者証を取り出し、女性職員へ差し出した。
彼女はそれを受け取り、カウンター脇に置かれたオーブに翳す。淡い光が浮かび上がり、情報を映し出した。
「お名前はカズーさん。ハンドレッド等級の魔法使いです」
広間が再びざわつく。
ハンドレッド等級――決して低くはない。
ギルドマスターは顎に手を当て、鋭い視線でオレを見据えた。
「魔法使いが、どうやって魔物を探知した?」
来ると思っていた質問だ。
オレは落ち着いた声音で答える。
「私の仲間に狩人がいます。彼女が魔物の気配を察知しました」
「ほう……」
ギルドマスターは目を細める。
「確かに、優れた狩人なら可能だろう。お前の仲間とは、最近登録したエルフたちか?」
その言葉に、思わず鼓動が跳ねた。
(なぜ……)
エルフであることは隠していたはずだ。常に深くフードを被らせ、無用な視線を避けてきた。
だが、仕事ぶりから勘づかれたのかもしれない。いや、冒険者登録時に種族名が出たのだろう。ギルドマスターともなると個人情報も見ることが出来るはず。ここで、嘘はつけない。
オレは覚悟を決め、頷いた。
「はい。そうです」
そして、慎重に問いを重ねる。
「エルフということで、迫害や差別を受けることはありませんか?」
一瞬、ギルドマスターは怪訝な顔をしたが、すぐに鼻を鳴らした。
「珍しい種族ではあるがな。少なくとも、この街でエルフが迫害されているという話は聞いたことがない」
腕を組み、はっきりと言い切る。
「仕事をしてくれるなら、皆、冒険者だ。それだけだ」
その言葉に、胸の奥に張り詰めていた糸がふっと緩む。
「……良かった」
小さく息を吐き、続ける。
「ですが、その魔物について名前までは分かりませんでした。遠目に気配を感じただけです」
ギルドマスターは数秒考え込み、やがて決断したように顔を上げた。
「わかった。緊急クエストを発令する」
その声は広間全体に響き渡る。
「森の調査および魔物の探索・討伐だ。腕に覚えのある者は準備しろ」
冒険者たちが一斉に動き出す。
そして、ギルドマスターは再びオレを見る。
「カズー。発見者のお前も参加してもらう」
当然だろう。
あの気配を最初に感じたのはオレたちだ。責任はある。
「わかりました」
そう答えた瞬間、胸の奥にわずかな高揚が灯った。
この街では滅多に現れないという魔物。
それが意味するものは何か。
森で感じた、あの底知れぬ気配。
(嫌な予感がするな……)
だが、後退はできない。
オレは静かに拳を握り、来るべき戦いに備えるのだった。
◆ ◆ ◆
ギルドを出た後、オレは宿に戻り、ケイシアの部屋の扉を閉めると小さく息を吐いた。
窓の外では夕暮れの鐘が鳴っている。橙色の光が差し込み、部屋の中を静かに染めていた。
ベッドの端に腰を下ろし、向かいに座るケイシアを見る。
「すまない」
オレは正面から頭を下げた。
「オレの能力は、できる限り隠しておきたい。今回の件……ケイシアが魔物を探知したことにしてくれないか?」
オレのゲームシステムは便利すぎる。便利すぎる能力は、時に危険を呼ぶ。目立てば利用される。利用されれば、自由はなくなる。
ケイシアは一瞬だけ目を細め、そして柔らかく微笑んだ。
「もちろんよ」
金色の髪が肩で揺れる。
「私たちは仲間じゃない」
その言葉は、思った以上に胸に響いた。
シャムがベッドの上で尻尾をぱたぱたさせながら声を上げる。
「僕もわかったニャ!」
小さな胸を張るその姿に、思わず苦笑する。
「頼りにしてるぞ、シャム」
「任せるニャ!」
小さな拳を突き上げる仕草が妙に勇ましかった。
こうして、役割は決まった。
魔物を“見つけた”のはケイシア。
オレはあくまで補助。
それでいく。
―――翌朝。
朝靄の残る街を抜け、オレたちは冒険者ギルドへ向かった。
扉を開けると、昨日よりも張り詰めた空気が漂っている。緊急クエストの告知が広間中央に掲げられ、すでに何人もの冒険者が装備を整えていた。
受付の女性職員が、こちらに気づいて軽く会釈する。
「カズーさん、お待ちしておりました」
差し出された依頼書には、赤い印章が押されている。
「こちらが依頼クエストになります。内容は森の魔物探索および討伐。メンバーは、カズーさんのチームに加え、多くの冒険者チームが参加します。よろしいでしょうか?」
(なぜオレに確認を?)
一瞬疑問に思ったが、表情には出さない。
「はい。問題ありません」
オレが答えると、女性職員はにっこりと微笑んだ。
「では、カズーさん。クエストリーダー、よろしくお願いします」
――やはり、そういうことか。
(発見者だから、か)
責任を押し付けられたわけではない。信頼された、と考えるべきだろう。
「わかりました」
そう答えた瞬間、背中のバックパックがもぞもぞと動いた。
「主、僕もいるニャ!」
ひょこっと顔を出すシャム。
周囲の冒険者が一瞬ざわつく。
オレは小さく笑った。
「もちろんだシャム。二人と1匹だ」
こうして、オレはクエストリーダーを任された。
「皆、先ずは魔物の発見を優先してくれ!」
各冒険者チームがギルドを飛び出していく。
オレとケイシア、シャムも決意を決めて行く。
◆ ◆ ◆
オレたちは、ベテラン冒険者チームと一緒に森を進む。
森の入り口は、朝露に濡れていた。
木々の隙間から差し込む光が、揺れる葉を照らしている。鳥の鳴き声が聞こえ、風は穏やかだ。
一見すれば、平和な森。
だが――あの日、確かにここで魔物の気配を感じた。
オレは立ち止まり、意識を集中させる。
「スキャン」
視界の奥に、情報を探る感覚が広がる。
……。
(反応なし)
眉をひそめる。
周囲を見渡すが、魔力の異常は感じられない。
「魔物の気配はあるか?」
後ろのメンバーに問いかける。
ケイシアも目を閉じ、静かに森と同調する。
「……動物はいる。でも、魔物の気配は無いわ」
肩の力が少し抜けると同時に、不安が芽生える。
(見間違いだったのか? いや、あの赤い光点は確かだった。ゲームシステムは嘘をつかない)
その時――
「僕に任せるニャ!」
シャムが勢いよく飛び出した。
「おい、待て!」
小さな身体が木々の間をすり抜けていく。
「シャム、一人では危険だ!戻れ!」
オレとケイシアはすぐに追いかけた。
落ち葉を踏む音が重なる。
「ケイシア、シャムの場所はわかるか?」
「わかるわ。こっちよ!」
彼女は迷いなく方向を示す。
ケイシアの感覚はやはり鋭い。
しばらく進むと、茂みの向こうから足音が聞こえた。
そして――
シャムが現れた。
その隣には、一匹の狼。
灰色の毛並み、引き締まった体躯。野生の鋭い目。
ベテラン冒険者たちが一斉に武器を抜く。
「待て!」
オレは即座に制止した。
「その狼は大丈夫だ。武器を仕舞ってくれ」
疑念の視線が向けられる。
だが、オレが狼にゆっくりと歩み寄り、頭を撫でると、狼は静かに目を細めた。
緊張が解ける。
シャムが胸を張る。
「僕がテイムしたニャ!」
なるほど。
やるじゃないか。
「魔物の場所へ行くニャ!」
シャムの命令に、狼が駆け出す。
「主、こっちニャ!」
「全員、続け!」
オレはリーダーとして声を張る。
森を駆ける音が重なり、息が荒くなる。
―――三十分後。
狼が突然、足を止めた。
シャムが低い声で言う。
「主、あそこに魔物がいるニャ」
その魔物を、オレもすでに気づいていた。
走りながら何度も《スキャン》を使用していたからだ。
そして今――
視界の端に、はっきりと表示される。
『敵:オーク』
木々の奥、太い幹の陰。
隆起した筋肉、手には粗末だが大きな棍棒。
豚のような鼻息が、森の静寂を破る。
その姿を見た瞬間、理解する。
(やはりいた)
そして、同時に悟る。
――魔物は、特別な場所にだけ現れるわけではない。
森の奥でも、街の近くでも。
どこにでも現れる可能性がある。
それが、この世界の現実だ。
オレは静かに魔法の杖を構えた。
「戦闘準備」
緊急クエストは、今まさに本番を迎えようとしていた。
そしてオレは学ぶ。
〈魔物は何処にでも現れる〉
と言うことを。




