29話 塩
今日は、商人のマルコから塩を受け取る日だ。
朝の冷たい空気を切り裂くように、荷馬車の車輪が石畳を軋ませながら進んでいく。オレは御者台に腰を下ろし、手綱を握りつつ、後ろに乗るエルフたちの様子をちらりと振り返った。
緑の外套に身を包んだエルフたちは、相変わらず周囲を警戒しながらも、街の喧騒にどこか落ち着かない様子だ。無理もない。ここは彼らの森ではなく、人間の街なのだから。
やがて視界の先に、商人ギルドの建物が見えてくる。
石造りの堂々とした建物の前で、一人の男がこちらに手を振っていた。
商人のマルコだ。
「カズーさん、塩の準備が出来ています」
柔らかな笑顔でそう言うと、マルコは手際よく塩の袋を荷馬車へと積み込んでいく。白い結晶が詰まった袋は、見た目以上にずっしりと重く、これがいかに貴重な品かを嫌でも実感させられる。
「マルコさん、こちらは代金の金貨7枚です」
オレがアイテムボックスから金貨を取り出して差し出すと、マルコは丁寧に数え、満足そうに頷いた。
「ありがとうございます。また宜しくお願いします」
その言葉に軽く会釈を返し、オレは荷馬車の横を歩きながら次の目的地へと足を向ける。
――冒険者ギルドだ。
このままエルフの里へ引き返すことも出来る。
だが、それでは「交流」をしたとは、とても言えない。
当初の予定通り、冒険者に塩の輸送を依頼するべきだろう。
仕事を通して人と関わる――それが、この世界で生きていくために必要な一歩だ。
冒険者ギルドの場所は、事前にマルコから聞いていた。だから迷うことはなかった。
だが、実際にその建物を目にした瞬間、説明を聞くまでもなく理解する。
――ああ、ここが冒険者ギルドか。
城塞都市や鉱山都市の冒険者ギルドと造りは似ている。しかし、その規模がまるで違った。横にも縦にも、圧倒的に大きい。
分厚い石壁に囲まれた建物の正面には、鉄で何重にも補強された巨大な扉が鎮座している。
それは、まるで城の城門だ。
この扉の向こうに集まるのが、命を賭けて生きる者たちなのだと、嫌でも理解させられる。
オレは荷馬車を止め、エルフたちを残したままギルドに入ろうとした。
その時――。
「私も、冒険者ギルドに連れてって」
声を掛けてきたのはケイシアだった。
澄んだ瞳が、期待に輝いている。
「冒険者に興味があったの」
「わかった。じゃ、一緒に行こう」
そう答えると、彼女は嬉しそうに微笑んだ。
「主、シャムも行くニャ!」
背中のバックパックから、ぴょこんとシャムが顔を出す。
「……最初から、そのつもりだろ」
そう言いながら、オレはギルドの扉に手を掛けた。
重い扉を押し開けた瞬間、耳に飛び込んでくる喧騒、怒号、笑い声、金属のぶつかる音、酒の匂い。
これまで立ち寄った冒険者ギルドとは、明らかに違う。
広さも桁違いだが、何より人が多い。
装備もバラバラな冒険者たちが、思い思いに集い、語り、騒いでいる。
オレは一階に並ぶ五ヶ所の受付カウンターを見渡し、空いている女性職員に声を掛けた。
「すみません。クエストを依頼したいのですが、どうすれば宜しいでしょうか?」
「クエストのご依頼ですね。こちらにお越し下さい」
穏やかな笑顔でそう言うと、彼女はオレたちを二階へ案内した。
二階は一階の喧騒が嘘のように静かだった。
いくつか並ぶ個室の一つに通され、オレとケイシア、そしてバックパックの中のシャムが入る。
女性は飲み物をテーブルに置き、「少々お待ち下さい」と言って部屋を出て行った。
「主、シャムの飲み物が無いニャ!」
即座に不満の声が上がる。
「猫にまで飲み物を出すギルドは無いと思うぞ……」
そう言い返したタイミングで、ドアがノックされ、若い男が入って来た。
「私はこちらでクエストの受付を担当しております。どのようなご依頼でしょうか?」
落ち着いた口調だが、目は鋭い。
オレは姿勢を正し、依頼内容を説明した。
「オレの荷馬車で、塩を北の森まで運びたいのですが、その護衛をお願いできますか?」
「塩ですか。北の森とは、具体的にはどちらですか?」
ここで誤魔化す意味はない。
むしろ、隠し事をすれば後で問題になる。
「ここから十日ほどの場所にある、エルフの里です。案内役として、二人のエルフが同行します」
男は一瞬だけ目を見開き、すぐに頷いた。
「なるほど。エルフの里……噂には聞いていますが、実際に行った者は少ないですね。距離もありますし、北側とはいえ油断は禁物です」
そう言って、淡々と条件を提示してくる。
「ハンドレッド等級の冒険者チームで、金貨二十枚。テン等級なら金貨十二枚ですが、塩の輸送でしたらテン等級はお勧め出来ません」
「盗まれる可能性がある?」
「はい。塩は高価ですから」
即答だった。
「ハンドレッド等級で金貨二十枚……結構高いですね」
思わず本音が漏れる。
「往復で二十日。五人前後の冒険者が必要です。相場通りですよ」
理屈は分かる。
分かるが――財布が痛い。
「……わかりました。ハンドレッド等級でお願いします」
金貨二十枚を差し出すと、男はにこやかに受け取った。
「ありがとうございます。ちょうどハンドレッド等級のチームが空いておりますので、早ければ明日には受注されるでしょう」
(……また、金が飛んで行った)
胃が痛い。
一階へ戻ると、ケイシアが少し興奮した様子でオレに近づいてきた。
「カズー、私、冒険者になりたい」
「……え?」
唐突すぎて、言葉が詰まる。
「どういう事だ?」
「カズーは冒険者なんでしょう? シャムから聞いたわ。私も冒険者になりたい!」
その瞬間、バックパックから顔を出していたシャムを睨む。
シャムは一瞬で察し、すっと中へ引っ込んだ。
少し考える。
冒険者登録は無料。
冒険者証が手に入り、仕事をすれば報酬も得られる。
何より――仕事を通して、人と関わる。
それは、確かに「交流」だ。
「……悪くないな」
オレは頷いた。
「よし、やろう。エルフたち、全員冒険者にしよう」
ケイシアの顔がぱっと明るくなる。
「まずはケイシアだ。受付に行こう」
受付カウンターで、さきほどの女性職員に声を掛ける。
「すみません。彼女を冒険者登録してもらえませんか?」
「あ、先程のご依頼者様ですね。ご本人の希望で?」
「ケイシア、頷いてくれ」
ケイシアは力強く頷いた。
「では、このオーブに手を翳して下さい」
オレは密かにゲームシステムを操作し、ケイシアのジョブを[狩人]へ変更する。
彼女がオーブに手を翳すと、淡く光が揺らめいた。
「ケイシアさん、ジョブは狩人。レベルは高いですが、等級はワン等級からになります」
そう言って渡されたのは、鉄製の冒険者証。
★は一つだけ。
オレの冒険者証には、三つの★が刻まれている。
「……これが、冒険者証」
ケイシアは宝物を見るように、それを受け取った。
「良かったニャ! ケイシア!」
シャムが喜びの声を上げる。
その後、他のエルフたちも次々と冒険者登録を済ませていった。
そしてオレは学ぶ。
〈仕事は交流になる〉
と言うことを。




