25話 選挙結果
―――投票前日。
夕暮れが近づくにつれ、エルフの里はいつもとは違うざわめきを帯びていた。
風に揺れる巨木の枝葉の隙間から差し込む橙色の光が、集会場前の広場を柔らかく照らしている。その広場は、今や埋め尽くされていた。
毎日続けてきた演説だが、今日は明らかに様子が違う。
ざっと見ただけでも、聴衆は千人を超えているだろう。若いエルフだけでなく、壮年のエルフ、白い髭をたくわえた者、長く森の番を務めてきたであろう戦士の姿まである。かつては変革に否定的だった者たちが、今は黙って壇上を見つめていた。
広場を埋め尽くすエルフたちの熱気は、肌で感じ取れるほどだった。
壇上では、今日もリクレアが立っている。
だが、同じ言葉を語っているはずなのに、聴衆の反応はこれまでとはまるで違った。
「里を変えよう!」
「未来を掴もう!」
「若者を信じよう!」
声は波のように広がり、重なり合い、やがて一つのうねりとなって広場を満たしていく。
リクレアはその声を受け止めるように、一瞬目を閉じ、そして静かに語り始めた。
「このままでは、この里は無くなってしまいます」
彼の声は決して大きくはない。だが、不思議と広場の隅々まで届いていた。
「若者が希望を見い出せる地にする必要があるのです。ここには、自由がありません。善き慣習もあります。しかし、多くの慣習が、知らず知らずのうちに若者を縛りつけているのです」
聴衆の表情が引き締まる。
思い当たる節がある者も多いのだろう。
「私は、その一部の不必要な慣習を無くし、新たに――若者たちが、この里で生き生きと暮らせる方法を作りたいのです」
一瞬の静寂。
そして、広場の奥から太い声が飛んだ。
「具体的にはどうするんだ!?」
問いかけたのは、年配のエルフの男だった。腕には長年の鍛錬を思わせる筋が浮かび、疑念と期待が入り混じった目でリクレアを見ている。
リクレアは、その男から視線を逸らさず、はっきりと答えた。
「それは、これから皆で考える必要があります」
ざわり、と人々が息を呑む。
「ですが、今、私が考えているのは――他の街、他の種族との交流です」
森を守ることを至上としてきたエルフたちにとって、その言葉は刺激的だった。
「エルフの森に守られたこの里は、居心地が良く、楽園のようです。しかし、若者にとっては、閉塞感を掻き立てる場所になっています」
彼はゆっくりと広場を見渡す。
「他の街、他の種族との交流を通して、若者は理解するでしょう。この里が、どれほど素晴らしい処なのかを」
そこで、リクレアはふいにこちらを向いた。
「……ねぇ、カズーさん?」
(え! オレに振るの!?)
心臓が一瞬跳ね上がる。
数百、いや千を超える視線が一斉にオレに集まる感覚に、喉がひくりと鳴った。
「あ、は、はい」
出来るだけ落ち着いて、オレは言葉を選ぶ。
「私は、人間の街から来ましたが……この里は、本当に素晴らしい場所だと思います」
すると、今度は聴衆の中の若者が声を上げた。
その瞳には、純粋な疑問と焦りが宿っている。
「では、何故、この地を出ていった若者たちは帰ってこないんだ?」
(そういえば……そうだ)
胸の奥に、小さな引っかかりが生まれる。
この里を出た若者たちは、今どこで何をしているのか。
(この里の周りはノルトリア王国だ。城塞都市は確かに良い所だった。でも……他の街は?)
オレは正直に答えることにした。
「わかりません」
広場が静まり返る。
「もしかしたら……新しい仲間や、家族が出来て、帰れないのかもしれません」
一呼吸置いて、続ける。
「この里は……私のような人間を、受け入れてくれるのですか?」
その問いは、オレ自身の不安でもあった。
リクレアが、オレの言葉を受け継ぐように前に出る。
「カズーさん、その通りです」
彼は穏やかに、しかし力強く語った。
「カズーさんのようにエルフ語が堪能であれば、我々も受け入れられるでしょう。しかし、ほとんどの他種族はエルフ語が出来ません」
何人かのエルフが顔を見合わせる。
「ですから、今まではエルフの森を閉ざしてきました。――これが問題なのです」
一拍置いて、理解が広がっていく。
「わかったぞ!」
「そういうことか……」
「エルフの森を解放しよう!」
「若者に未来を!」
声は次第に熱を帯び、広場を揺らした。
こうして、最後の演説は幕を閉じた。
壇上から降りてきたリクレアは、安堵と達成感の入り混じった表情でオレに微笑みかける。
「カズーさん、ありがとうございました。最後に……良い演説が出来たと思います」
「リクレアさん、とても素晴らしかったです」
心からの言葉だ。
「絶対に、長老選挙に勝てますよ!」
その瞬間、裏方として準備や呼びかけに奔走してきた若者たちが、一斉にリクレアのもとへ駆け寄ってくる。
「リクレア先生、素晴らしかったです!」
「リクレア先生、勝ちましょう!」
「リクレア先生、若者に未来を!」
彼らの目は、星のように輝いていた。
自分たちが、ただ守られる存在ではなく、未来を切り開く当事者なのだと――そう実感しているのだろう。
若者には、恐れがない。
そして、無限に広がる未来がある。
その中心に、今、確かにリクレアは立っていた。
―――投票日。
集会場の前には、いつもより多くの人影があった。
木造の建物の前庭には、ざわめきが低く渦巻いている。
そこに集まっているのは、投票のために訪れた家長たちだけではない。
若者たち、普段は政治など口にしないような普通のエルフたちまでが、遠巻きに集会場を囲んでいた。
皆、同じ目的を持っている。
――これまで続いた演説の結果を、少しでも早く知りたいのだ。
投票結果が正式に発表されるのは夕方になってから。
それまでの時間を、オレとリクレアは集会場の食堂で過ごしていた。
昼下がりの食堂は静かだった。
木の長椅子、磨かれたテーブル、湯気の立つ料理の匂い。
だが、リクレアの前には何も置かれていない。
食事に手を伸ばす気力がないのだろう。
背筋を伸ばして椅子に座り、両手を膝の上に置いたまま、彼はじっと一点を見つめていた。
緊張と不安が、空気のようにまとわりついている。
そこへ、ゆっくりとした足取りで一人のエルフが近づいてきた。
長老の一人、シルエリアだ。
白銀の髪を肩に流し、深い知性を宿した目でリクレアを見る。
「リクレア。随分と頑張ったようね」
穏やかな声だった。
「あなたに、これほどの情熱があるとは思わなかったわ」
その言葉に、リクレアはハッとしたように顔を上げ、すぐに立ち上がって頭を下げる。
「シルエリア様……すみません。
ご助言に反して、長老選挙に立候補してしまい……」
声は丁寧だったが、どこか震えている。
シルエリアは軽く首を振った。
「いいのです」
そう言って、彼女は続けた。
「あなたの演説を、聞きました。
とても素晴らしかったです。心に届く言葉でした」
リクレアの目が、驚きに見開かれる。
「長老たちの票は僅差ですが……確実に、あなたに傾いています。
私も、あなたに一票を入れましょう」
一瞬、時間が止まったように感じた。
「……ありがとうございます! シルエリア様!」
リクレアは深く、深く頭を下げる。
「良かったですね、リクレアさん」
オレも思わず声を掛けていた。
シルエリアは満足そうに微笑む。
「では、結果発表でお会いしましょう」
そう言い残し、彼女は静かに食堂を後にした。
その背中を見送りながら、オレは確信に近いものを抱いていた。
――流れは、確かにリクレアに来ている。
―――長老選挙結果発表。
結果は、立候補者のみが集会場奥の大会議室に呼ばれ、長老たちから直接告げられる。
オレは、大会議室の重厚な扉の前で立ち尽くしていた。
扉の向こうからは、声一つ聞こえてこない。
(問題だった長老たちの票は、リクレアが取っている)
(なら、勝てるはずだ)
自分に言い聞かせるように、そう思う。
集会場の外では、リクレアの支持者たちが固唾を飲んで待っている。
誰もが口数少なく、空を見上げたり、地面を見つめたりしていた。
―――。
やがて、重い扉が静かに開いた。
リクレアが、一人で出てきた。
「……どうでしたか?」
思わず、オレはそう聞いていた。
リクレアは、一瞬だけオレを見て、そして柔らかく笑った。
「皆に、報告します」
それだけ言うと、彼は集会場の前へ歩き出す。
オレも、その後を追った。
リクレアの姿を見つけた支持者たちが、一斉にざわめく。
「リクレア先生、どうでしたか?」
「長老になれましたか?」
その声に、リクレアは静かに手を上げる。
場が、しんと静まり返った。
風の音すら遠く感じる。
そして、リクレアはゆっくりと口を開いた。
「皆さん……選挙は、負けました」
その瞬間、空気が凍りついた。
オレは言葉を失った。
支持者たちも、誰一人として声を出せずにいる。
だが、リクレアは俯かない。
しっかりと前を向き、続ける。
「本当に、今までありがとうございました」
「選挙には負けました。
ですが――皆さんの希望の光は、失われていません」
「これからも、戦い続けましょう」
その言葉と共に、リクレアは支持者一人一人の肩に手を置き、歩いて回った。
若者たちの中から、嗚咽が漏れる。
「リクレア先生……すみません……」
「私たちの力不足でした……」
「悔しいです……」
涙を流す若者たちの手を、リクレアは強く握り返す。
彼自身も、涙を浮かべながら。
なぜ負けたのか。
理由は分からない。
ただ一つ、明らかなことがある。
家長たちの票を、最後まで掴めなかったのだ。
それでも――。
オレは、リクレアと若者たちの姿を見つめながら、確かに感じていた。
(流れは、作られた)
(この想いは、もう変えられない)
そしてオレは学ぶ。
〈試合に負けても勝負には勝てる〉
と言うことを。




