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異世界から学ぶライフスタイル 〜第三部 渇望を求めて〜  作者: カズー
第五章

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25話 選挙結果

 ―――投票前日。


 夕暮れが近づくにつれ、エルフの里はいつもとは違うざわめきを帯びていた。

 風に揺れる巨木の枝葉の隙間から差し込む橙色の光が、集会場前の広場を柔らかく照らしている。その広場は、今や埋め尽くされていた。


 毎日続けてきた演説だが、今日は明らかに様子が違う。

 ざっと見ただけでも、聴衆は千人を超えているだろう。若いエルフだけでなく、壮年のエルフ、白い髭をたくわえた者、長く森の番を務めてきたであろう戦士の姿まである。かつては変革に否定的だった者たちが、今は黙って壇上を見つめていた。


 広場を埋め尽くすエルフたちの熱気は、肌で感じ取れるほどだった。


 壇上では、今日もリクレアが立っている。

 だが、同じ言葉を語っているはずなのに、聴衆の反応はこれまでとはまるで違った。


「里を変えよう!」

「未来を掴もう!」

「若者を信じよう!」


 声は波のように広がり、重なり合い、やがて一つのうねりとなって広場を満たしていく。

 リクレアはその声を受け止めるように、一瞬目を閉じ、そして静かに語り始めた。


「このままでは、この里は無くなってしまいます」


 彼の声は決して大きくはない。だが、不思議と広場の隅々まで届いていた。


「若者が希望を見い出せる地にする必要があるのです。ここには、自由がありません。善き慣習もあります。しかし、多くの慣習が、知らず知らずのうちに若者を縛りつけているのです」


 聴衆の表情が引き締まる。

 思い当たる節がある者も多いのだろう。


「私は、その一部の不必要な慣習を無くし、新たに――若者たちが、この里で生き生きと暮らせる方法を作りたいのです」


 一瞬の静寂。

 そして、広場の奥から太い声が飛んだ。


「具体的にはどうするんだ!?」


 問いかけたのは、年配のエルフの男だった。腕には長年の鍛錬を思わせる筋が浮かび、疑念と期待が入り混じった目でリクレアを見ている。


 リクレアは、その男から視線を逸らさず、はっきりと答えた。


「それは、これから皆で考える必要があります」


 ざわり、と人々が息を呑む。


「ですが、今、私が考えているのは――他の街、他の種族との交流です」


 森を守ることを至上としてきたエルフたちにとって、その言葉は刺激的だった。


「エルフの森に守られたこの里は、居心地が良く、楽園のようです。しかし、若者にとっては、閉塞感を掻き立てる場所になっています」


 彼はゆっくりと広場を見渡す。


「他の街、他の種族との交流を通して、若者は理解するでしょう。この里が、どれほど素晴らしい処なのかを」


 そこで、リクレアはふいにこちらを向いた。


「……ねぇ、カズーさん?」


(え! オレに振るの!?)


 心臓が一瞬跳ね上がる。

 数百、いや千を超える視線が一斉にオレに集まる感覚に、喉がひくりと鳴った。


「あ、は、はい」


 出来るだけ落ち着いて、オレは言葉を選ぶ。


「私は、人間の街から来ましたが……この里は、本当に素晴らしい場所だと思います」


 すると、今度は聴衆の中の若者が声を上げた。

 その瞳には、純粋な疑問と焦りが宿っている。


「では、何故、この地を出ていった若者たちは帰ってこないんだ?」


(そういえば……そうだ)


 胸の奥に、小さな引っかかりが生まれる。

 この里を出た若者たちは、今どこで何をしているのか。


(この里の周りはノルトリア王国だ。城塞都市は確かに良い所だった。でも……他の街は?)


 オレは正直に答えることにした。


「わかりません」


 広場が静まり返る。


「もしかしたら……新しい仲間や、家族が出来て、帰れないのかもしれません」


 一呼吸置いて、続ける。


「この里は……私のような人間を、受け入れてくれるのですか?」


 その問いは、オレ自身の不安でもあった。


 リクレアが、オレの言葉を受け継ぐように前に出る。


「カズーさん、その通りです」


 彼は穏やかに、しかし力強く語った。


「カズーさんのようにエルフ語が堪能であれば、我々も受け入れられるでしょう。しかし、ほとんどの他種族はエルフ語が出来ません」


 何人かのエルフが顔を見合わせる。


「ですから、今まではエルフの森を閉ざしてきました。――これが問題なのです」


 一拍置いて、理解が広がっていく。


「わかったぞ!」

「そういうことか……」

「エルフの森を解放しよう!」

「若者に未来を!」


 声は次第に熱を帯び、広場を揺らした。


 こうして、最後の演説は幕を閉じた。


 壇上から降りてきたリクレアは、安堵と達成感の入り混じった表情でオレに微笑みかける。


「カズーさん、ありがとうございました。最後に……良い演説が出来たと思います」


「リクレアさん、とても素晴らしかったです」


 心からの言葉だ。


「絶対に、長老選挙に勝てますよ!」


 その瞬間、裏方として準備や呼びかけに奔走してきた若者たちが、一斉にリクレアのもとへ駆け寄ってくる。


「リクレア先生、素晴らしかったです!」

「リクレア先生、勝ちましょう!」

「リクレア先生、若者に未来を!」


 彼らの目は、星のように輝いていた。

 自分たちが、ただ守られる存在ではなく、未来を切り開く当事者なのだと――そう実感しているのだろう。


 若者には、恐れがない。

 そして、無限に広がる未来がある。


 その中心に、今、確かにリクレアは立っていた。


 ―――投票日。


 集会場の前には、いつもより多くの人影があった。

 木造の建物の前庭には、ざわめきが低く渦巻いている。


 そこに集まっているのは、投票のために訪れた家長たちだけではない。

 若者たち、普段は政治など口にしないような普通のエルフたちまでが、遠巻きに集会場を囲んでいた。


 皆、同じ目的を持っている。

 ――これまで続いた演説の結果を、少しでも早く知りたいのだ。


 投票結果が正式に発表されるのは夕方になってから。

 それまでの時間を、オレとリクレアは集会場の食堂で過ごしていた。


 昼下がりの食堂は静かだった。

 木の長椅子、磨かれたテーブル、湯気の立つ料理の匂い。


 だが、リクレアの前には何も置かれていない。

 食事に手を伸ばす気力がないのだろう。

 背筋を伸ばして椅子に座り、両手を膝の上に置いたまま、彼はじっと一点を見つめていた。


 緊張と不安が、空気のようにまとわりついている。


 そこへ、ゆっくりとした足取りで一人のエルフが近づいてきた。

 長老の一人、シルエリアだ。


 白銀の髪を肩に流し、深い知性を宿した目でリクレアを見る。


「リクレア。随分と頑張ったようね」


 穏やかな声だった。


「あなたに、これほどの情熱があるとは思わなかったわ」


 その言葉に、リクレアはハッとしたように顔を上げ、すぐに立ち上がって頭を下げる。


「シルエリア様……すみません。

 ご助言に反して、長老選挙に立候補してしまい……」


 声は丁寧だったが、どこか震えている。


 シルエリアは軽く首を振った。


「いいのです」


 そう言って、彼女は続けた。


「あなたの演説を、聞きました。

 とても素晴らしかったです。心に届く言葉でした」


 リクレアの目が、驚きに見開かれる。


「長老たちの票は僅差ですが……確実に、あなたに傾いています。

 私も、あなたに一票を入れましょう」


 一瞬、時間が止まったように感じた。


「……ありがとうございます! シルエリア様!」


 リクレアは深く、深く頭を下げる。


「良かったですね、リクレアさん」


 オレも思わず声を掛けていた。


 シルエリアは満足そうに微笑む。


「では、結果発表でお会いしましょう」


 そう言い残し、彼女は静かに食堂を後にした。


 その背中を見送りながら、オレは確信に近いものを抱いていた。


 ――流れは、確かにリクレアに来ている。


 ―――長老選挙結果発表。


 結果は、立候補者のみが集会場奥の大会議室に呼ばれ、長老たちから直接告げられる。


 オレは、大会議室の重厚な扉の前で立ち尽くしていた。

 扉の向こうからは、声一つ聞こえてこない。


(問題だった長老たちの票は、リクレアが取っている)

(なら、勝てるはずだ)


 自分に言い聞かせるように、そう思う。


 集会場の外では、リクレアの支持者たちが固唾を飲んで待っている。

 誰もが口数少なく、空を見上げたり、地面を見つめたりしていた。


 ―――。


 やがて、重い扉が静かに開いた。


 リクレアが、一人で出てきた。


「……どうでしたか?」


 思わず、オレはそう聞いていた。


 リクレアは、一瞬だけオレを見て、そして柔らかく笑った。


「皆に、報告します」


 それだけ言うと、彼は集会場の前へ歩き出す。

 オレも、その後を追った。


 リクレアの姿を見つけた支持者たちが、一斉にざわめく。


「リクレア先生、どうでしたか?」

「長老になれましたか?」


 その声に、リクレアは静かに手を上げる。


 場が、しんと静まり返った。

 風の音すら遠く感じる。


 そして、リクレアはゆっくりと口を開いた。


「皆さん……選挙は、負けました」


 その瞬間、空気が凍りついた。


 オレは言葉を失った。

 支持者たちも、誰一人として声を出せずにいる。


 だが、リクレアは俯かない。

 しっかりと前を向き、続ける。


「本当に、今までありがとうございました」


「選挙には負けました。

 ですが――皆さんの希望の光は、失われていません」


「これからも、戦い続けましょう」


 その言葉と共に、リクレアは支持者一人一人の肩に手を置き、歩いて回った。


 若者たちの中から、嗚咽が漏れる。


「リクレア先生……すみません……」

「私たちの力不足でした……」

「悔しいです……」


 涙を流す若者たちの手を、リクレアは強く握り返す。

 彼自身も、涙を浮かべながら。


 なぜ負けたのか。

 理由は分からない。


 ただ一つ、明らかなことがある。

 家長たちの票を、最後まで掴めなかったのだ。


 それでも――。


 オレは、リクレアと若者たちの姿を見つめながら、確かに感じていた。


(流れは、作られた)


(この想いは、もう変えられない)


 そしてオレは学ぶ。


〈試合に負けても勝負には勝てる〉


 と言うことを。

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