23話 若者
今日、オレたちは師匠であるリクレアと共に、集会場の一角で昼食を取っていた。
木の香りが残る長机に、簡素だが栄養のありそうな料理が並べられている。里の食堂はいつも穏やかで、争いとは無縁の空気が流れていた。
食事の途中、リクレアは、向かいに座るケイシアに静かに語りかけた。
「ケイシア、毎日、自分の精霊と話し、意識して行動するのです。そうすることで、精霊との結び付きは少しずつ強まり、出来ることも自然と増えていくでしょう」
リクレアの声は柔らかいが、長年の経験に裏打ちされた重みがあった。
オレはその言葉をそのままケイシアに伝える。
ケイシアは一瞬背筋を正し、真剣な表情でリクレアを見て答えた。
「師匠、わかりました」
オレはその返事を再びリクレアに伝える。
リクレアは満足そうに小さく頷いた。
食事の最中、オレはこっそりとゲームシステムを通してケイシアの状態を確認していた。
ケイシアが精霊――風の精霊シルフを召喚すると、MPがゆっくりと、だが確実に減っていくのがわかる。さらに、何かを命じるたびに、MPの消費は増していった。
だが、それ以上に問題なのは別の点だった。
シルフは、ケイシアの命令に素直に従わない。
いや、正確に言えば、ほとんど従わない。
試しに、オレが使える風魔法――ウィンドボールやウィンドウォールをケイシアにイメージさせてシルフに命令させてみたが、シルフは気まぐれに風を揺らすだけで、魔法として形を成すことはなかった。
(……リクレアが言っているのは、このことなんだろうな)
精霊魔法は、ただ命令すれば使えるものではない。
精霊との信頼関係、対話、理解――それらすべてが必要なのだ。
そうこうしているうちに食事が終わりかけた頃、集会場の入り口から若いエルフが三人、こちらに歩み寄ってきた。
いずれもまだ若く、しかし目には強い意志が宿っている。
「リクレア先生、少しよろしいでしょうか?」
(……リクレアの生徒か)
以前、リクレアから聞いた話を思い出す。
彼は精霊使いの師匠であると同時に、里の若いエルフたちに知識を授ける教師でもあった。精霊のことだけでなく、実用的な知識から社会の仕組みまで、幅広く教えているらしい。
彼の部屋には、王国文字で書かれた本が何冊も並んでいたのを見たことがある。
リクレアは穏やかな笑みを浮かべ、生徒たちに向き直った。
「はい、ちょうど食事を終えたところです。どうしましたか?」
若いエルフの中の一人、少し背の高い男のエルフが一歩前に出て代表して口を開く。
「リクレア先生。以前もお願いしましたが……どうか、長老選挙に立候補してください。俺たち若者の代表になっていただけませんか?」
その言葉に、リクレアは困ったように眉を下げた。
「また、その話ですか……。前にも言いましたが、私が立候補しても、選挙には勝てません」
しかし、若いエルフたちは引き下がらない。
「そんなことはありません!先生なら勝てます。そして、里を変えることができます!」
(……里を変える?)
その言葉が、オレの耳に引っかかった。
リクレアは一度、小さく息を吐くと、話を切り上げるように言った。
「今日は精霊使いの鍛錬があります。続きはまた後日にしましょう」
そう言って、オレとケイシアに視線を送り、集会場の二階へと向かう。
オレたちも後を追い、一番奥にあるリクレアの部屋へ入った。
扉を閉めると、リクレアは少し申し訳なさそうに言った。
「お騒がせしてしまって、すみませんでした」
「いえ、大丈夫ですが……何かあったのですか?」
オレがそう尋ねると、リクレアは一度オレを真っ直ぐ見つめ、しばらく考え込んでから口を開いた。
「……人間であるあなたなら、何か良い案があるかもしれません。少し、相談に乗ってもらえますか?」
「はい、もちろんです。リクレアさんのおかげで、ケイシアは精霊使いになれました。
リクレアさんのために、何か私に出来ることがあれば言ってください」
その言葉に、リクレアの表情が少し和らいだ。
「ありがとうございます。では、率直に聞きますね。
カズーさん、この里をどう思いますか?」
「とても良い場所だと思います」
(誰でも食事にありつけて、自然に囲まれ、外敵からも守られている。住むには申し分ない)
リクレアは頷きながら言葉を続けた。
「そうですね。私も良い場所だと思っています。
ですが……若者には、物足りないのです」
彼の声には、わずかな寂しさが滲んでいた。
「この里での生活は変化がなく、変化そのものを嫌います。外部の考え方も、受け入れようとしません。
その結果、多くの若者が里を離れ、人間の街へ向かうようになりました」
(……なるほど)
「私は、もう少し外部との交流を持つべきだと考えています」
(こんなに良い場所でも、閉ざされた社会では、若者には息苦しいのかもしれない)
「それで……長老選挙、ですか?」
オレの問いに、リクレアは静かに答えた。
「この里は、長老たちによって運営されています。長老は一度就任すると、死ぬまでその座に留まります。
ですが今回、この区画の長老が亡くなりました。そこで、新たな長老を決めるための選挙が行われるのです」
彼は一拍置いて続ける。
「今日来た彼らは、私が長老になり、里を変えてくれることを期待しているのです」
オレはまだ腑に落ちず、確認する。
「それなら、彼らの言う通り、リクレアさんが立候補すればいいのでは?
精霊使いで、若者からの信頼も厚い。十分、可能性はあると思いますが…」
リクレアは首を横に振った。
「……無理なのです。長老選挙の投票権を持つのは、現役の長老とこの区画の一部の家長のみ。
若者にどれだけ支持されても、結果には反映されません」
(なるほど……完全に閉じた選挙か…だが、諦めずに鍛錬をしたことでケイシアは精霊使いになれた)
「でも……やってみないと、わからないんじゃないですか?」
オレがそう言うと、リクレアは黙り込み、しばらく考えた後、静かに口を開いた。
「確かに……。私が立候補しなければ、亡くなった長老の息子が、そのまま次の長老になるでしょう……」
そして、決意を込めた目でオレを見た。
「……わかりました。やるだけ、やってみましょう。
カズーさん、手伝ってもらえますか?」
(え……オレが?)
内心そう思いながらも、後押ししただけに断りづらい。
「わかりました。私でお役に立てることがあれば、やらせていただきます」
こうして、精霊の鍛錬とは別の――
里の未来を巡る流れに、オレは巻き込まれていくことになった。
―――それから、リクレアとオレの選挙活動が、本格的に始まった。
最初の関門は、村の中枢とも言える長老会議への出席だった。
ここで正式に立候補を表明し、各区画を代表する長老一人ひとりに挨拶を行う。それが、慣例であり、同時に試練でもある。
長老会議は、各区画の集会場を持ち回りで使用して開催される。
今回の開催地は、第二区画――オレたちのいる集会場だ。
オレは、集会場の大会議室の前に立ち、静かにリクレアの帰りを待っていた。
分厚い木製の扉の向こうからは、時折、低く重なり合う声が漏れ聞こえてくる。
長老達の声だ。年を重ねた者特有の、重みと威圧感を孕んだ響き。
(……長引いてるな)
無意識のうちに、オレは壁に掛けられた古い紋章に視線をやり、拳を握りしめていた。
リクレアにとって、今日がどれほど重要な日かは分かっている。
それだけに、待つ時間は妙に長く感じられた。
―――。
やがて、重々しい軋み音を立てて大会議室の扉が開いた。
中から現れたのは、リクレアだった。
姿勢は崩れていないが、その表情は明らかに硬く、張りつめた緊張の名残が見て取れる。
「リクレアさん、お疲れ様でした。どうでしたか?」
オレが努めて明るく声を掛けると、リクレアは一瞬だけ視線を落とし、それから渋い顔でオレを見た。
「……立候補自体は、受け付けられました。形式上は、問題ないそうです」
その言葉に、ほんのわずかな安堵を覚えたのも束の間だった。
「ですが――長老達からは、あまり良い言葉は頂けませんでした」
予想していたとはいえ、胸の奥が少し重くなる。
リクレアの肩が、ほんのわずかに落ちているのが分かった。
(やっぱり、簡単じゃないか……)
落ち込む様子のリクレアを見て、オレはある人物の顔を思い浮かべる。
――長老の一人、シルエリア様。
彼女なら、きっとリクレアの理解者であり、強い後ろ盾になってくれるはずだ。
そう思い、励ますように言葉を選んだ。
「元気出して下さい。まだ、始まったばかりです。
長老会には、シルエリア様もいらっしゃるじゃないですか?」
しかし、その言葉に対するリクレアの反応は、期待していたものとは違った。
「……その、シルエリア様が、難色を示されているのです」
「え!?」
思わず聞き返すオレに、リクレアは小さく息を吐いて続けた。
「どうやらシルエリア様は、私が長老になるよりも、精霊使いの育成に集中して欲しい、とお考えのようです」
その言葉を聞いた瞬間、オレは理解した。
(そうか……)
確かに、長老になれば、会議や調整、各区画との折衝に追われる日々になるだろう。
精霊使いの育成のような、時間と根気を要する仕事に、今まで通り向き合うことは難しくなる。
「……そうでしたか。それは、厳しいですね」
言葉はそれだけしか出てこなかった。
リクレアの表情は静かだが、その奥には、迷いと悔しさが入り混じっているように見えた。
理想と現実、その狭間で揺れる姿だった。
その溝の深さを、オレはこの時、ようやく実感したのだった。
そしてオレは学ぶ。
〈若者は新たなものを欲す〉
と言うことを。




