21話 精霊
オレは、リクレアの精霊魔法を目の当たりにして、思わず息を呑んだ。
リクレアが静かに森へと意識を向けた瞬間、周囲の空気が微かに震えた気がした。すると、これまでびくともしなかった太い木々が、まるで意思を持っているかのように軋む音を立てながら動き始める。絡み合っていた蔦は自然にほどけ、低木や草花は踏み荒らされることなく左右へと分かれていった。
人の手など一切加えられていないにもかかわらず、森そのものが道を用意してくれている――そんな不思議な光景だった。
(誰かの命令で、植物が特別な力を得て動いている……いや、命令というより、頼まれて応えている感じか)
理屈では説明できないが、敵意や強制とは無縁の、穏やかな力の流れを感じる。
「……木が動いて、道が出来るわ!」
隣で見ていたケイシアも、目を大きく見開いて感嘆の声を上げていた。彼女にも、しばし言葉を忘れるほどの光景だったようだ。
オレは、リクレアに向かって、ケイシアと同じ感想を伝える。
「凄いですね。何もしないのに、道が出来ました」
するとリクレアは、振り返りもせずに穏やかな声で答えた。
「これは、精霊使いとしては初歩の魔法です。あなたもこのエルフの森に入る時に、この魔法で入ってきているのです」
その言葉を聞いて、オレははっとする。
(確かに……最初にこの森へ足を踏み入れた時、緑の壁が裂けるように道が開いた。あれも、偶然じゃなかったんだな)
おそらく、エルフの森の中にいた精霊使いが、こちらを敵意のない者と判断して、精霊たちに道を作らせたのだろう。
オレはケイシアの方を向き、リクレアの言葉をかみ砕いて伝える。
「今のが精霊魔法だそうだ。精霊使いになれば出来るようになるらしい。ケイシアなら、きっと出来るよ」
その言葉に、ケイシアの表情がぱっと明るくなる。 「ほんと!? ……うん、頑張ってみるわ!」
握り拳を作って意気込む姿は、これから始まる修行への期待と不安が入り混じっているようだった。
そうして、リクレアに導かれ、オレたちは再び集会場へと戻った。木々に囲まれたその建物は、森と一体化するように佇んでおり、不思議と心が落ち着く。
中に入ると、リクレアが改めて説明を始める。
「カズーさん、もう見たかも知れませんが、この第二区画でも第一区画同様に、一階が食堂になっています。自由に、食事をして下さい」
「ありがとうございます」
オレが礼を言うと、リクレアは一瞬だけオレとケイシアの顔を見比べ、それから淡々と続けた。
「二階には、弟子の部屋があります。一人で集中する時間が必要ですので、カズーさんとケイシアさんは別々の部屋になります。私がケイシアさんと話す時に必要があれば、こちらからカズーさんを呼びます」
(……あれ? この言い方、もしかして何か勘違いされてないか!?)
内心で焦りつつも、オレは表に出さずに答える。
「もちろん、私は別々の部屋で問題ありません」
しかし、その言葉を聞いた途端、ケイシアが少し不安そうな顔をして、オレの腕に縋りついてきた。
「一緒の部屋では駄目なの?」
その仕草に、思わず苦笑しながら説明する。
「精霊使いの鍛錬には、集中が必要らしい。一人の方が良いだろう」
ケイシアは少し考えた後、しぶしぶといった様子で頷いた。
「……そっか。分かったわ」
だが、そのやり取りを見ていたリクレアは、オレの方を見て、わずかに険しい表情を浮かべる。
「カズーさんは、人間なのに、ケイシアとは随分と仲が良いようですね」
「仲間ですので……」
余計な誤解を招かないよう、オレはそれ以上の説明はせず、その一言で押し切った。
しばらくの沈黙の後、リクレアは場を締めくくるように言う。
「今日は以上です。ゆっくり休んで下さい。明日は朝から鍛錬を始めます」
こうして、精霊の森での新しい生活と修行の日々が、静かに幕を開けたのだった。
―――翌朝。
まだ空は淡く、朝の光が窓越しに差し込み始めた頃、オレはすでに目を覚ましていた。
集会場の廊下は静まり返り、遠くから微かに人の気配と、朝支度の音が聞こえてくる。
そんな中、控えめなノックの音が響いた。
ケイシアが、オレを起こしに来た――わけじゃない。
正確には、シャムに会いに来たのだ。
扉が開くと、柔らかな金色の髪を揺らしながら、ケイシアが微笑んで立っていた。
「シャム、おはよう」
ベッドの上で丸くなっていたシャムが、もぞりと身じろぎする。
「おはようニャ……、ケイシア」
眠気の残る瞳を細めながら、シャムは小さな手で目を擦り、ゆっくりと上体を起こした。
その仕草があまりにも無防備で、猫らしくて――。
ケイシアは思わず、シャムの頭に手を伸ばす。
「ふふ……」
指先が柔らかな毛を撫でるたび、シャムの耳がぴくりと動く。
ケイシアはその反応が愛おしいのか、優しい表情のまま、しばらく撫で続けていた。
その様子を眺めながら、オレは皆に声を掛ける。
「よし、ちょっと早いが、食事に行くか?」
「そうね。お腹、空いたわ」
「行くニャ!」
全員の同意が揃い、オレたちは部屋を出て、一階の食堂へ向かった。
食堂は思っていたよりも早い時間から開いているらしく、すでに数組のエルフが朝食を取っていた。
窓から差し込む朝日が、木製のテーブルや床を温かく照らしている。
運ばれてきた朝食は、ふわふわのスクランブルエッグ、香り高い野菜スープ、そして焼き立てのパン。
スクランブルエッグは一口含むと、卵の濃厚な味わいが口いっぱいに広がり、まだ温かいパンと抜群に合う。
野菜スープは優しい味で、寝起きの胃にじんわりと染み渡っていく。
「……美味いな」
「朝はこれくらいがちょうどいいわね」
シャムは、スクランブルエッグをケイシアから貰って、もぐもぐと幸せそうに頬を膨らませていた。
朝食を終え、再び自分たちの部屋へ戻ると――
廊下の奥、部屋の前で誰かが待っていた。
「カズーさん、ケイシアさん、おはようございます。朝食はお済みですか?」
そこに立っていたのは、リクレアだった。
いつもの落ち着いた佇まいで、柔らかな微笑みを浮かべている。
オレは皆を代表して答える。
「リクレアさん、おはようございます。はい、今、食堂で朝食を終えて戻ったところです」
その言葉に、リクレアは満足そうに頷いた。
「わかりました。では、こちらへ来てください」
そう言うと、彼は迷いなく廊下の一番奥にある部屋へと案内した。
部屋に入ると、すでに必要な物が用意されており、リクレアはその中の一つを手に取る。
「カズーさん。こちらは、これからの鍛錬で使います」
そう言って渡されたのは――【鉢に入った植木】だった。
両手で軽く持てるほどの大きさで、素焼きの鉢からは健康そうな幹が伸び、青々とした葉が生い茂っている。
ただの観葉植物に見えるが、どこか不思議な存在感があった。
リクレアは、もう一つ同じ【鉢に入った植木】を自分の前に置き、静かに語り始める。
「カズーさん。まずは、この木から精霊を感じられるようになってください。そのために、木の動き、木の息遣い、そして……木の想いを感じるのです」
彼の声は落ち着いていて、部屋の空気まで引き締まるようだった。
リクレアは植木をじっと見つめ続けながら、言葉を続ける。
「精霊は、この世界のあらゆる場所に存在します。この小さな木にも、小さな精霊が宿っています。精霊を感じ、その存在を認知することで、精霊と対話することができるのです」
言い終えると、リクレアはゆっくりと人差し指を一本立て、植木の幹にそっと触れた。
――その瞬間。
葉が、かすかに、しかし確かに震え始めた。
「シャ……シャ……シャ、シャ……」
まるで風が吹いたかのように、だが部屋の空気は動いていない。
(す、凄い……!)
オレは思わず息を呑んだ。
木が、自ら応えるように動いている――。
その様子を横目に、リクレアは何事もなかったかのように植木をケイシアへ差し出す。
「では、カズーさん。部屋に戻って、ケイシアに今のことを伝え、鍛錬をしてください」
オレは頷き、ケイシアと共に部屋を出ようとした、その時。
ケイシアが、ふと植木を見つめたまま言った。
「……カズー。この木、成長が普通より早いわね」
「え?」
不思議に思い、オレも植木をじっと見るが――正直、オレには違いが分からない。
「そうなのか? オレには普通に見えるけど」
「違うわ。明らかに成長が早い。それに……木が、生き生きしているように感じるの」
その言葉に、オレはリクレアの方を振り返り、ケイシアの言葉を伝えた。
すると、リクレアは目を見開き、驚いたようにケイシアを見る。
「もう、そこまで分かるのですか……? 凄いです、ケイシア。では、精霊は見えませんか?」
少し身を乗り出しながら、続ける。
「精霊は人によって見え方が異なります。形も様々で、この世界の存在とは異なるものです」
オレは、そのままケイシアに問いかける。
「ケイシア、精霊は見えるか?」
ケイシアは静かに首を振った。
「いいえ……精霊そのものは見えないわ」
「そうか」
オレはそのまま、リクレアに伝える。
「精霊は見えないそうです」
リクレアは、納得したように微笑んだ。
「ええ、最初はそれが普通です。でも……ケイシアには、確かに精霊使いの才能があります」
その言葉を聞きながら、オレは静かに息を吐き思った。
この世界に満ち、目には見えずとも、確かに息づいているものを。
そしてオレは学ぶ。
〈精霊と言う存在〉
と言うことを。




