20話 ケイシアの想い
私はケイシア。
つい最近になって、初めて自分の名前を知った。
名前を知るというのは、不思議な感覚だった。
それまでは、私はただ「そこにいる存在」でしかなかった。
呼ばれることも、認識されることもなく、世界は静かで、色が薄く、音のない場所だった。
そんな私の身に、今、奇跡のような出来事が起きている。
それは、お祭りの日だった。
人の波、揺れる灯り、空気に混じる甘い匂い。
その中で私は、かつて私を見捨てた母と、偶然、再び出会った。
――いや、出会った、という言葉は正しくないかもしれない。
母は、私を見た。
そして、何も言わず、何の感情も浮かべず、視線を逸らした。
まるで、最初から存在していなかったかのように。
母の隣には、私ではない男がいた。
母は、私よりも「新しい男」を選んだのだ。
胸の奥が、ひどく冷えた。
(だから、私は新しい仲間を選んだ)
そう心に決めた。
それが、カズーとシャムだった。
名前を知る前、私は彼らを「旅人」と「猫」だと思っていた。
ただそれだけの存在。
けれど、私がそう決心した瞬間、世界がわずかに震えた。
「私を……あなたたちの仲間にして!!」
声にならないはずの叫び。
それでも私は、全てを込めて願った。
その瞬間、奇跡が起きた。
「どういう事だ!?」
静寂しか存在しなかった私の世界に、突然、彼の声が飛び込んできた。
耳ではない。
脳に、直接、響くように。
音だけでなく、意味が流れ込んでくる。
初めて聞く言葉。初めて触れる概念。
そして――
私の想いも、彼に届いていると、確信できた。
今、私の世界が、確かに広がった。
それまでの私は、母に捨てられたのではないかと怯え、
これから一人で生きていくことに、言い知れぬ寂しさを抱え、
母の隣にいる男と自分を比べては、最初から諦めていた。
けれど私は、勇気を出した。
誰かに依存するのではない。
自ら仲間になりたいと、心から渇望した。
その想いが、絆を生んだ。
囀ることのできない小鳥が、
今、新たな仲間を得て、母鳥の巣から巣立つ時が来たのだ。
そして、この時になって初めて、
私は「自分」ではなく、「母」のことを考えた。
もしかすると――
私が母を縛り、未来を奪っていたのではないか。
いや、違う。
母は、私を新しい世界へ飛び立たせるために、去ったのかもしれない。
(母は、私のために出て行ったのかもしれない)
そう思えた瞬間、
胸の奥で、何かが静かにほどけた。
母の愛は、形を変えても、変わらずそこにあったのだと知った。
◆ ◆ ◆
新たに得たこの絆は、彼の仲間にしか通じないらしい。
私は、この絆を大切にするため、彼と、仲間の猫――カズーとシャムの家で、一緒に暮らすことを決めた。
カズーはチームのリーダー。
シャムは、少し先を歩く先輩だ。
私はシャムと仲良くなりたい。
(猫が好き)
魚を差し出すと、シャムは目を細めて喜んだ。
眠る時も、シャムの温もりがそばにあると、心が落ち着く。
そして、カズーは言う。
私には、隠された力があるのだと。
精霊使い。
もし、カズーがそれを望むなら、
私はその期待に応えたい。
仲間だから。
やがて私達は、新たな地へ向かう。
カズーは、そこを「第二区画」と呼んだ。
そこで出会ったのが、精霊使いの師――リクレア。
彼の言葉は、私には聞こえない。
カズーとシャムの声は聞こえ、理解できるのに。
(仲間だからだ)
カズーの言葉から、私は状況を読み取る。
どうやら、カズーも私と共に、精霊使いの教えを受けるらしい。
「ケイシアは、オレの仲間ですから」
そう言って、カズーは私を補佐し、リクレアを説得した。
胸が、熱くなった。
仲間だと、はっきり言ってくれたことが、ただただ嬉しかった。
◆ ◆ ◆
リクレアは、まず私達を、エルフの森と外界の境界へ案内した。
そこには、鬱蒼と茂る木々と絡み合う蔦が、外からの侵入を完全に拒むかのように立ちはだかっていた。
「ここで何をするのですか?」
カズーの問い。
リクレアの返事は、私には聞こえない。
だが――
「ここで、精霊魔法を見せてくれるのですね」
その言葉で、理解できた。
リクレアは、境界の木へと歩み寄り、静かに手を伸ばし、掌を広げた。
次の瞬間、
木々が、蔦が、まるで意思を持つかのように動き出す。
絡まり合っていた緑が左右に分かれ、そこに、一本の道が生まれていった。
「……木が動いて、道が出来る!」
思わず声が漏れる。
カズーも感嘆の声を上げる。
「凄いですね。何もしないのに、道が出来ました」
リクレアは、また何かを語る。
私には届かないその言葉を、カズーが繰り返す。
「今のが精霊魔法だそうだ。精霊使いになれば出来るようになる。ケイシアなら、きっと出来るよ」
その言葉が、私の背中を押した。
「……頑張ってみるわ」
そしてオレは学ぶ。
〈母から子への変わらぬ愛〉
と言うことを。




