10話 弓の練習
オレは、新たに手に入れた弓と矢を、どうしても早く試したくて仕方がなかった。
手の中にあるそれは、エルフの職人が丹念に仕上げた品で、木肌は滑らかに磨かれ、弓弦は張りつめた静かな緊張感を放っている。
指でなぞるだけで、その性能の高さが伝わってくる。
(早く射ちたい……)
居ても立ってもいられず、オレは長老から聞いた弓の練習場へ向かうことにした。
その場所はエルフの森の外縁部――人の気配がほとんど寄りつかない静謐な一角にあるという。
木々の間を抜け、柔らかな土を踏みしめながら進むと、やがて視界が開けた。
そこには建屋も、柵も、目立つ設備もない。
ただ、地面が丁寧に整えられ、余計な障害物が取り除かれた円形の空間が広がっているだけだった。
だが、オレは一瞬で理解した。
――ここが弓の練習場だ。
理由は単純だった。
そこに、弓の練習をする一人のエルフがいたからだ。
若い女性のエルフ。
透き通るような金色の髪が背中に流れ、細身の体躯ながら、立ち姿には一切の無駄がない。
彼女は、100メートル先に立てられた木製の的だけを見据えていた。
こちらに気付いたのかどうかは分からない。
だが彼女は、オレの存在など最初から無いかのように、自然な動作で矢を番え、弓を引き絞る。
――静寂。
弓弦が引かれ、空気が張り詰める。
そして、
「シューーーー……パン!」
放たれた矢は、美しい放物線を描き、寸分の狂いもなく的の中央へと突き刺さった。
(……凄い)
思わず息を呑む。
動きに迷いがない。
力みも、無駄も、焦りもない。
以前、どこかで聞いた言葉が頭をよぎる。
――弓は、“心・気・力”の一致。
精神の静けさ、集中、そして身体の動き。
そのすべてが揃って、初めて矢は狙った場所へ飛ぶ。
目の前のエルフの女性は、それを完璧に体現していた。
(完全に集中している……)
彼女は再び矢を番える。
「シューーーー……パン!」
また、的の中心。
何本射っても、結果は変わらない。
矢はまるで吸い寄せられるかのように、同じ場所へ突き立つ。
(なんて正確なんだ……)
しばらくの間、オレは完全に見惚れてしまっていた。
―――。
だが、今日の目的は見学ではない。
オレは気を取り直し、アイテムボックスから弓と矢を取り出す。
距離はエルフの女性と同じ100メートルほど。
これまで様々なジョブで鍛えてきた身体だ。
筋力だけなら、矢を飛ばすのに不足はないはずだ。
(オレなら出来る……!)
自分に言い聞かせ、矢を番える。
弓を引き、狙いを定め――放つ。
「シューーーーーー……」
……矢は、的とはまるで違う方向へ飛んで行った。
(……もう一度だ!)
「シューーーーーー……」
また外れる。
―――それから一時間。
50本近く矢を射ったが、一本も的に当たらない。
(どういう事だ!?)
力は足りているはずだ。
狙いも、間違っているつもりはない。
だが、矢は安定せず、上下左右、気まぐれに飛んでいく。
完全に途方に暮れていると、ふと視界に影が差した。
顔を上げると、先ほどのエルフの女性が、いつの間にかオレの前に立っていた。
彼女は無言のまま、オレの腕を掴む。
「え!? な、何でしょうか?」
答えはない。
彼女はそのままオレを引っ張り、的の方向へと歩き出す。
そして、的から10メートルほどの距離で立ち止まった。
(……近っ!?)
至近距離と言っていい。
彼女はオレの顔を一度見てから、的を指差す。
(ここから射て、ってことか……?)
「ここから、的を射れば良いですか?」
彼女は少し間を置いてから、大きく頷いた。
正直、少し癪だった。
ここまで近づけられて、外す方が難しい距離だ。
(馬鹿にするなよ……)
そんな気持ちを胸に、矢を番え、放つ。
「シュー!」
――当たらない。
もう一度。
「シュー!」
また外れる。
(……なんでだ!?)
三本目を番え、構えた瞬間だった。
彼女が一歩近づき、オレの肘にそっと触れ、位置を微調整する。
「あ……肘の位置が悪いんですか?」
彼女は無言で頷く。
言われた通りの姿勢で、そのまま矢を放つ。
「シューー……パン!」
当たった。
「なるほど……オレの射ち方の型が悪かったんですね。ありがとう!」
彼女は、はじめて柔らかな笑顔を見せた。
もう一度、同じように射つ。
「シュー!」
外れる。
オレが彼女を見ると、彼女は少し首を捻り、今度はオレの弓を持つ位置をわずかに下げる。
言葉はない。
だが、動きは的確だ。
そのまま射る。
「シューー……パン!」
当たった。
(……そうか)
全てが、正しい型に嵌まった時だけ、矢は真っ直ぐ飛ぶ。
力任せでも、経験値でもない。
(難しい……)
その後も何本か矢を射り、結果は半分ほどが命中。
オレは満足と疲労を感じ、今日は終わりにすることにした。
エルフの彼女は、いつの間にか元の位置に戻り、再び黙々と弓を射っている。
オレは彼女に向かって声を張り上げた。
「ありがとう! オレは、もう帰ります!」
彼女は一度だけこちらを見て、小さく視線を向けた後、何事もなかったように練習に戻った。
―――翌朝。
集会場で朝食を取っていると、狩猟リーダーのエンダールさんが食事をしていた。
「おはようございます。エンダールさん」
「おはようございます。カズーさん、朝食ですか?」
オレは頷き、椅子に腰掛ける。
「はい。いつもここで頂いています。お金も払わず、申し訳ないですが」
「構いませんよ。誰もが食べられるように用意しているのですから」
一息ついた後、エンダールは言った。
「ところで、シルエリア様から弓を買ったと聞きましたが……カズーさんは魔法も出来て弓まで出来るのですか?」
オレは苦笑して首を振る。
「いえ、全くの初心者です。昨日も練習場で射っていたんですが、最初は全然当たらなくて……若い女性が、正しい型を教えてくれて、少しだけ当たるようになりました」
「そうでしたか」
彼は満足そうに頷く。
「弓は、上達するまで時間がかかります。最初に正しい型を学べたのは、大きな幸運ですよ」
「その女性、無口でしたけど、凄い腕前でした」
するとエンダールは、ああ、と納得したように微笑んだ。
「それは、ケイシアですね。彼女は無口なのではありません。幼い頃から耳が聞こえず、話すことが出来ないのです」
――その瞬間、すべてが腑に落ちた。
彼女の沈黙。
動作だけで伝える教え。
迷いのない集中。
そして、オレは学んだ。
〈弓の基本は型にある〉
と言うことを。




