ずれる音
「なぁ創二と綾華ちゃん、今日の放課後カラオケ行ける?」
教室の前の席にいた男子――坂井が、気軽に声をかけてきた。
創二がまだこの世界に馴染みきれていないと知ってか知らずか、彼はよくこうして話しかけてくる。
「いいよ。綾華は?」
「私は……うーん、ちょっとだけなら。」
そんな流れで、放課後。
駅前の小さなビルに入ったカラオケ店。エレベーターの狭さと対照的に、案内された部屋は意外にも広かった。
定員40名の空間に、32人のクラスメイトが集まっている。
少し予想外だったのは、真琴の姿がそこにあったことだった。
「最初はやっぱり綾華ちゃんでしょー!」
女子の一人が盛り上げ、自然な流れで綾華がマイクを受け取る。
選んだのは、最近のヒットバラード。
綺麗な声が部屋に響き、拍手が沸く。
「さっすがー!」
「めっちゃうまいじゃん!」
そんな声が飛び交う中、創二はコップの水を一口飲んだ。
なぜか、この場の熱気が少し遠くに感じた。
順番が回ってきて、マイクが手元に渡る。
「俺の番か。」
画面を適当にスクロールして、創二が選んだのはこの世界でも爆発的に流行っているアイドルソング。
アップテンポで明るくて、誰でも知ってる、いわゆる“盛り上げ定番曲”。
曲が流れ出し、創二が歌い始める。
「ら〜ぶっしょ〜っく!きみのこと〜〜……」
……その瞬間、部屋の空気が変わった。
イントロの勢いに反して、創二の歌声は絶妙にズレていた。
音程はずっと半音下をさまよい、リズムも微妙に遅れる。
しかも無駄に感情がこもってるから逆にじわじわくる。
「……なんかクセになるなこれ」
「地味にしんどい……」
クラスメイトたちは、顔を見合わせて笑いをこらえる。
あちこちで肩を震わせてる奴もいる。
創二はというと、真顔で真剣に歌っていた。
「きみの〜ことが〜〜〜だいすきすぎて〜〜〜、うっうっう〜〜〜(裏声)」
最後のサビに突入する頃には、爆笑する者と、顔を覆う者と、無言で見守る者とに分かれていた。
曲が終わると同時に、なぜか盛大な拍手が起こる。
「お前それ、狙ってやってんの?」
坂井が笑いながら突っ込んだ。
「いや?真面目に歌っただけだけど」
創二は素で答える。
それが逆にじわじわ来て、また笑いが広がった。
「……むしろ天才かもね」
綾華も肩を震わせながら、苦笑いを浮かべていた。
場の雰囲気が緩んだことで、次々と他のクラスメイトもマイクを手に取り始めた。
笑いが混ざる空気の中、創二の一撃は妙に印象に残ったようだった。
「次、誰いく?」
「俺いくわ〜!創二の後だと気楽で助かる!」
冗談まじりに言いながら次の男子が歌い出すと、今度はまともな歌声が部屋を満たし、皆で手拍子が始まった。
けれどどこか、創二の放った“衝撃”には及ばない。
(……案外、こういうのがこの世界のコミュニケーションなのかもな)
創二は一歩引いた場所から、ふわっとした熱気の中に溶け込みながら思った。
不意に、隣の綾華が小声で話しかけてくる。
「ねぇ、さっきの……本気で歌ったの?」
「うん。全力だった」
即答する創二。
その真剣な顔に、綾華は思わず吹き出しそうになるのをこらえた。
「うわ……なんか、じわる……」
「何か間違ってた?」
「いや、間違いだらけだったけど……なんか、楽しそうでいいなって思った」
彼女のその言葉は、皮肉でもなんでもなく、どこか優しい響きを持っていた。
しばらくして、盛り上がりのピークを過ぎたころ、坂井が再びマイクを握る。
「じゃあ最後に、デュエットいってみようぜ!創二、またいくか? 綾華ちゃんと!」
「……俺が?」
「創二が主旋律やると危険だから、今回はハモり担当にしてあげる!」
教室での軽口そのままに、笑いがまた起こる。
「別に構わないけど。綾華、任せた」
「まじで!? うわぁ……私が事故処理班か〜」
そう言いながらも、綾華はマイクを手に取り、画面で曲を探す。
選ばれたのは、昔から定番の男女デュエット曲。優しいテンポの、少し懐かしいメロディ。
曲が始まる。
綾華の透き通った歌声が先行し、会場を包み込む。
――そこに、創二の“ハモり”が重なった。
「ん〜〜あ〜〜いの〜〜かたち〜〜〜〜」
……音が、ずれている。いや、もはや別の旋律を歩いている。
けれど、綾華の声と混ざると、なぜか成立しているような、していないような、絶妙なアンバランスさ。
(これはこれで……アリなのかもしれない)
クラスメイトたちは苦笑しつつも、どこか微笑ましく見守っていた。
曲が終わったあと、ひときわ大きな拍手が沸いた。
「うん、なんか……良かったよ、うん」
「マジでクセになる……」
「創二、次の文化祭ライブ出ようよ!」
そんな無責任な提案に、創二は真顔で首をかしげた。
「俺、歌は得意じゃないぞ」
「いや、それがいいんだって!」
クラスの笑い声が弾け、綾華は少しだけ肩を揺らして笑った。
その時ふと、真琴が遠くのソファに座ったまま、静かに微笑んでいるのが目に入った。
(……この空気、悪くないかもな)
創二は、自分がまだ完全にこの世界に馴染んだとは思っていなかったけれど――
今日のこの数時間が、ほんの少し、その距離を縮めてくれた気がした。