違和感
入学式は終わった。
創二は一人で帰ろうと、門を潜ろうとしていた。
春の空気はまだ少し冷たく、制服の襟を立てて歩く。後ろから走る足音が聞こえる。その音は段々と近づいてくる。
創二が振り向くと、そこには綾華がいた。肩で息をしていて、少し額に汗が浮かんでいる。
「なんでそんなに走ってきたの?」
「……あんたが先に帰ろうとするからでしょ。」
創二は苦笑しながら肩をすくめた。
「あーごめんごめん」
「まぁ追いついたからいいわ。それより、なんであんた——なんで立候補したの? もしかして柊さん狙い?」
「いや、シンプルに興味があって。委員長って、すごい優等生っぽい人がやるイメージだから、やってみたくてさ。」
綾華はじっと創二を見つめる。その表情には少し戸惑いが混じっていた。
「……なんか変わったね。中学までそんな感じじゃなかったのに」
創二は少し考えてから、目線を上げる。
「そうなのか? 俺は変わったつもりないけど……どういうところが変わったと思う?」
綾華は少し考え込んでから、静かに答えた。
「なんというか、去年までのあんたは特にこれといった特技や特徴がない、どこにでも居そうな普通の男の子って感じ。でも、今日のあんたは……何か、惹かれるものがあった。でも、それに惹かれるといけないとも思ってしまうの。」
創二は一瞬黙り、それから口元を少しだけ歪めた。
「……もしかして惚れちゃってる?」
「うるさい。」
即座に跳ね除けられ、創二はクスッと笑う。冗談を言って誤魔化したつもりだったが、内心では綾華の言葉が少し引っかかっていた。
「まぁ、俺自身、別に変わったという自覚はないけどな。もしかしたら、どこかで変わりたいと思ったから変わったのかもしれないな。」
歩きながら、創二はふと空を見上げる。
しばらく歩いて、綾華とは別れた。
家に着くと、母親がキッチンで料理をしていた。
包丁の音が心地よく響く。夕食のいい匂いが家の中に広がっている。
「おかえり。」
母親が振り向き、笑顔で微笑む。
「ただいま。」
創二も自然と笑って返す。
夕食の時間になると、家族が揃った。父親は新聞を広げながら時折相槌を打ち、妹はスマホをいじりながらも、食事の合間に話を振ってくる。
「そういえば、お兄ちゃん今日入学式だったんでしょ? どうだった?」
「委員長になった。」
母親がくすっと笑いながらお茶を注いだ。
「創二も高校生になったし、色々挑戦したくなったんじゃない?」
「まあ、そんなとこ。」
言葉を濁しながら箸を進める。確かに挑戦したかったのかもしれない。でも、それだけじゃない。
この家にいるのに、どこか「借り物」のような感覚がある。
慣れ親しんだはずの夕食の風景。
優しい母親、寡黙な父親、おしゃべりな妹。
何もかもが「らしい」のに、どこか違う気がする。
創二は味噌汁を一口すする。
「……なんか、いつもより味が濃い気がする。」
ぽつりと呟くと、母親が少し驚いた顔をした。
「そう? いつもと同じように作ったつもりだけど。」
「……そっか。」
創二は曖昧に返事をしながら、食事を続けた。
この違和感は、何なのだろう。
ふと、父親が新聞から顔を上げ、口を開いた。
「委員長か。お前がそういうのをやるとはな。」
「うん、自分でもちょっと意外だったかも。」
「面倒くさがるお前が、なぜわざわざ責任のある立場を選んだ?」
「さあ……でも、やってみたら案外楽しいかもしれないと思ったんだよ。」
父親は少し考えるようにしてから、静かに頷いた。
「なら、やるからには中途半端にするなよ。」
「もちろん。」
妹がくすっと笑いながら口を挟む。
「お兄ちゃん、いつも三日坊主だからね〜。ほんとに続くの?」
「続けるよ。だって……面白そうだから。」
その言葉を口にした瞬間、創二自身、少しだけ胸の奥が暖かくなった気がした。