8.晩餐会で男爵と対決ですわ
次のお休みの日にラプレ男爵家に行くことが決まり、ベルナディットはエミリアンにそのことを報告した。
「ゴメン、ベル、ゴメン……君にばっかり負担をかけてしまって……僕は自分が不甲斐ないよ」
「いいえリア様、これはリア様の為じゃなく私の親友の為なのですわ。だからリア様が謝る必要はありませんわ」
「それでも……僕はお腹の中の子供の父親なんだから僕がラプレ男爵令嬢を支えるべきなんじゃないかな」
エミリアンの言葉にカリーヌは首を横に振った。
エミリアンが公に名乗り出てしまえば事は大きくなってしまう。王家の血を引いた子供の存在を黙っていていいのかという躊躇いはあるが、そんなしがらみを感じないでカリーヌは子供を育てて欲しかった。それに、もしエミリアンがカリーヌをいたわって優しくするところを実際に目にしてしまったらカリーヌに嫉妬してしまうかもしれない。今はベルナディットは心からカリーヌの力になりたいと思っている。でもエミリアンとカリーヌが仲睦まじくするのを実際目の当たりにしてしまったらカリーヌを憎んでしまうかもしれない、そのことがベルナディットは怖かった。
「それよりも、私、アルフォンス殿下との約束を破ってしまうことになりますわ。そちらが心配なのですけれど」
「ああ、アル兄様がラプレ男爵家には行くなと言っていたね。でも今回はしょうがないだろう。うん、アル兄様には僕から伝えておくよ。それで休日の何時ごろに男爵家に行くの?」
「晩餐に招待されましたので日暮れ前に伺いますわ。早めの晩餐にしていただいたので帰りもそんなに遅くはならないつもりですけれど」
その晩餐の後にカリーヌの妊娠を告げるつもりでいるのでラプレ男爵の反応次第ではどうなるかわからないと思いながらベルナディットは答えた。
「そうか……僕はラプレ男爵の前に父親だと名乗り出ることは出来ないけれど男爵令嬢には出来る限りの援助をする覚悟だよ。もし、彼女が家を追い出されるなら僕が生活の保障をするからとそれとなく彼女に伝えてくれないか? …………ベルにこんなことを頼むのは厚かましいとわかっているんだけど」
エミリアンは申し訳なさそうに眉を下げたが、ベルナディットはその言葉に閃いた。
「リア様! カリーヌにうちに来てもらうのはどうでしょう?」
「レミュザ侯爵家に?」
「ええ。子供が生まれればどのみち学院に通うことは出来ませんわ、でしたら私の侍女になっていただくとか」
男爵家や子爵家の令嬢が高位貴族のお屋敷に働きに出るのは普通の事だ。カリーヌが侍女としてレミュザ侯爵家で働いてくれれば出産や子育ての便宜も図れるし、将来エミリアンはレミュザ侯爵家に婿入りするのだ、親子の名乗りは上げられなくてもエミリアンも我が子の成長を間近で見ることが出来る。
それはベルナディットにはとても名案のように思えた。
もちろんカリーヌの気持ちを聞かなくてはならないし、レミュザ侯爵家で雇うと言っても侯爵の許可とラプレ男爵の許可も必要だ。
「私、今晩、お父様にお願いしてみますわ」
物凄く複雑な顔をしたエミリアンをその場に残してベルナディットは急いで帰宅した。
ラプレ男爵家での晩餐会は一見和やかに進んでいた。
ラプレ男爵は上辺は上機嫌でベルナディットにあれこれと話しかけた。
「そうですか! カリーヌは色々とお世話になったそうですなあ! いやはやこの娘は平民暮らしが長かったもので礼儀作法が追い付きませんでな、それで侯爵家のお嬢様に不快な思いをさせてしまったら申し訳ないと……」
「いやいや、私どもも努力はしたのです。お恥ずかしい話ですが、私の不徳といたすところでご存じの通りこの娘と妻はなさぬ仲でして、妻も歩み寄ろうとしたそうなのですがそこは……まあ……双方思うところはあるようでして」
「それにしても娘のマナーは綺麗になりましたな、これでようやく一緒に食卓を囲むことが出来る。私も妻も楽しみにしていたのですよ、いや、家族なのだからマナーなど気にしなくともいいと言ったのですが娘が気にしましてな、これもレミュザ侯爵のお嬢様のおかげですな。是非とも侯爵様に直接お会いしてお礼を申し上げたい」
「ああ遠慮は無用ですよ、え? お忙しい? それは残念ですなあ。侯爵様に気に入っていただけそうな細工物の置時計があるのですよ。宝石を埋め込んだ繊細な彫刻が……あ、それでは侯爵夫人が好みそうな宝飾品はいかがですか? なに、娘がお世話になったのですから格安でご用意させていただきますよ。ああそうだ、ご令嬢がエミリアン殿下におねだりになったらいかがでしょう? エミリアン殿下にご紹介いただければ是非私が交渉に伺いますが」
ベルナディットが一言話すとラプレ男爵はその十倍の言葉を返してくる。この晩餐で上機嫌に話をしているのは男爵ただ一人、夫人は一言も喋らず静かに食事をしていた。夫人の横に座った男の子、カリーヌの異母弟のジョシュアは始終興味深そうにベルナディットとカリーヌを眺めている。ジョシュアがカリーヌに話しかけようとするたびに小声で夫人が窘めていた。
そしてカリーヌも終始無言で食事をしていた。ベルナディットと昼食を共にするようになってカリーヌの所作は格段に綺麗になった。ベルナディットも何も知らないカリーヌにいろいろと教えることは楽しかった。溺愛されて育ったベルナディットは人に世話されることはあっても世話をする経験は無かったのである。
カリーヌは静かに男爵とベルナディットの話を聞いているというよりも心ここにあらずと言った様子に見えた。多分この食事の後に話す事で頭がいっぱいなのだろう。
「私は外国からの輸入雑貨や宝飾品を扱っておりましてな……」
男爵の話はまだ続いている。
「その中にはアンティークな置物などもあるのですが、先日その置物の一つが壊されておりましてな」
男爵の口調が変わったのでベルナディットは意識をカリーヌから男爵に引き戻した。
「まあ、それは大変ですね」
ベルナディットが形式的に心配そうな顔を見せると男爵は大袈裟に頷いた。
「ええ。少しの間だからと危険だから立ち入り禁止にしていた部屋に保管してあったのですよ。あそこは使用人は立ち入らない場所ですからな、まったく誰が壊したのだ」
ベルナディットはぎくりとした。それはベルナディットが頭に乗っけたまま持ち帰ってしまったあの飾りの事ではないだろうか?
「そう言えばちょうどその頃にお嬢様が娘を送って来てくれたのでしたな。どうでしょう、立ち入り禁止の場所に出入りする使用人など見てませんかね?」
一瞬、正直に話して謝ろうかとベルナディットは考えたが、あの飾りはアルフォンスに渡したままだ。それにそのことは黙っていて欲しいと頼まれている。後で謝るにしてもこの場はしらを切ろうとベルナディットは心に決めた。
「いいえ、私はカリーヌ様をベッドに寝かせて少しお話をした後部屋を出てすぐに男爵様にお会いしたのでどなたにもお会いしておりませんわ。カリーヌ様のお部屋にメイドも誰もいらっしゃいませんでしたし。ですからその飾りのことなど何も知りませんわ」
カリーヌが具合が悪くて学院から帰って来たのにメイドの一人も顔を出さなかったとちくりと嫌味を添えてベルナディットが返事をすると
「飾りだと……」と男爵は口の中で呟いた後「そうですか、申し訳ない」とあっさりと引き下がった。
ラプレ男爵の目配せで部屋の隅に控えていた執事のシモンがそっと部屋を出ていったのをベルナディットは気が付かなかった。
「ねえねえ、お母様、あばずれの娘ってどっちのお姉さん?」
唐突に声を上げたジョシュアの言葉に一瞬で全員が固まった。
夫人が一生懸命男の子を黙らせようとしているが男の子は好奇心を抑えきれなくなったようで黙ってはくれなかった。
「お母様いつも言っているでしょう? 泥棒猫の子供がこのお屋敷に入り込んだって。品の無さがうつるから近づいちゃいけませんって」
カリーヌの目が燃え上がったようにベルナディットは感じた。このお屋敷で縮こまって耐えていたカリーヌらしからぬ怒りの表情だった。
「母さんは泥棒猫じゃない!!」
強い語気に男の子がビクッとなった。
「そりゃああたしは今はこのお屋敷にお世話になっている。平民の頃よりずっといい暮らしをさせてもらっているし、夫人が面白くないのもわかるから黙っていたけれど母さんが父さんを奪ったんじゃなくてあなたと結婚するために母さんを捨てたのは父さんだわ!」
「な、な、何を……」夫人はしどろもどろで一生懸命息子の耳を塞ごうとしている。
コホン。咳払いが聞こえた、ラプレ男爵だ。
「ジョシュア、部屋に戻りなさい、晩餐は終わりだ。レミュザ侯爵令嬢、お見苦しいところを見せて申し訳ありませんな」
その言葉にハッとしてカリーヌも夫人もベルナディットを見た。
「ベル様ごめんなさい、あたし、母さんを侮辱されて黙っていられなくて」
その言葉に男爵夫人は忌々しそうにカリーヌを睨んだ。
「さあ、晩餐会はお開きだ、レミュザ侯爵令嬢、最後はお騒がせしてしまいましたが今夜はご令嬢にお会いできて良かった。思った以上の収穫がありました。今後も是非とも娘と懇意にしていただきたい」
席を立ってベルナディットを送り出そうとするラプレ男爵にカリーヌは急いで声を掛けた。
「待ってください! 父さ……お父様、お話があります!」