5.何てこと! 事故チューはノーカウントではありませんでしたわ!
王宮のエミリアンの私室で軽食やお菓子をいただいてベルナディットはようやく人心地がついた。
ベルナディットが満足げな表情を浮かべるとエミリアンはメイドや侍従を部屋から出した。もちろん婚姻前なので部屋のドアは開いているが話が聞こえないところまで下がらせたのだ。
ベルナディットがカリーヌの様子を伝えるとエミリアンは難しい顔をして言った。
「やっぱりラプレ男爵令嬢は医者に見せるのを嫌がったんだね。……ベル、僕はベルがいない間考えていたことがあるんだ……」
ベルナディットは意外な気持ちだった。エミリアンはカリーヌが男爵家で虐げられているかもしれないことに憤ると思っていたのだ。だってベルナディットは男爵家でのカリーヌの扱いを見て腹が立ったから。もうベルナディットの中ではカリーヌは友達である。でもエミリアンが気にしたのは別のポイントだった。
「…………ラプレ男爵令嬢はやっぱり妊娠しているんじゃないかな」
エミリアンの言葉にベルナディットは(またそれですの?)と思った。カリーヌが妊娠していてもしていなくてもベルナディットやエミリアンには関係ない話である。いや、カリーヌはベルナディットの友達になったのでもし彼女がそのことで悩んで相談して来たら全力で力になると思う。でもエミリアンが気にすることではないような気がした。
「ベルは聞いたことない? お腹に赤ちゃんが出来るとつわりと言って気持ち悪くなったり食べ物を受け付けなくなることがあるそうだよ」
「聞いたことはありますわ。リア様はカリーヌの症状はつわりだと思われるのですか?」
「うん。それなら彼女が医者に見せたがらないのも納得できるからね、妊娠していることがわかったら騒動になってしまうだろう?」
「でも調べてもカリーヌには婚約者も恋人もいませんでしたわ」
「そうだな。いや、だからこそなんだよ……」
「だからこそ?」
「……ちゃんと親に認められるような恋人との子であれば隠す必要はないだろう? 学院は辞めなければいけないけど結婚が早まるだけだ。……だから……彼女は不本意な子供を宿してしまったのではないかな」
「不本意な? つまり恋人でも何でもない男性との子供と言うことでしょうか?」
ベルナディットの言葉に苦渋の表情を浮かべ、それでも決心したようにエミリアンは重い口を開いた。
「そう……つまり彼女は僕との子を妊娠してしまったのではないかと思うんだ……」
「……」
「……」
いきなり爆弾が投下された。たっぷり五分間固まってベルナディットは「え?」と聞き直した。
「……多分ラプレ男爵令嬢が宿しているのは僕の子なんだ。だから彼女は誰にも言えないで黙っているのではないかな……」
「あの……どういうことか私にはわかりかねます。リア様はカリーヌとは知り合いではないとおっしゃったではないですか」
「うん、知り合いじゃない、恋人でも何でもない。……子供が出来たのはほんの過ち、事故なんだよ……」
真っ青になって項垂れるエミリアンを見てベルナディットは少し冷静になった。本当は叫び出したかった。泣いて泣いてエミリアンを詰りたかった。
「本当はベルには黙っていようと思ったんだ、ベルを悲しませたくなかったから。でも前にベルは言ってくれたね、どんな過ちでも僕に寄り添ってくれると。だから僕はベルに打ち明けて二人で解決したいと思ったんだ」
(解決? 解決ってなにかしら? 赤ちゃんを殺すことは絶対にしたくないわ。では私が身を引いてカリーヌがリア様と結ばれればいいのかしら? でもカリーヌはリア様のことを知らないみたいだったわ。それに私はリア様のことを諦められるの?)悩んだ末にベルナディットはその結論は先送りにすることにした。だってまだカリーヌが妊娠しているとはっきり決まったわけではない。それに子供の父親がエミリアンだとカリーヌから聞いたわけでもないのだ。
「リア様はどうしてカリーヌのお腹の中の子が自分の子だと?」
「あの事故の所為なんだ、あの時の……」
「事故? どんな事故があったんですの?」
「君も知っているじゃないか、前に話したよね? 事故、事故チューだよ。事故チューの相手がラプレ男爵令嬢なんだ」
今度は三分間固まった後ベルナディットは「え?」と聞き直した。
「事故チューで僕とラプレ男爵令嬢の唇は触れ合ってしまった。……だからラプレ男爵令嬢は妊娠してしまったんだ……事故チューはノーカウントにならなかったんだよ」
「その……まさかリア様は事故チューでカリーヌが妊娠したとおっしゃるの? まさか、そんな馬鹿な……」
唖然とするベルナディットにエミリアンが言い募った。
「そんなバカげたことが起こってしまったんだよ。ベル、君はどうしたら子供が出来るか知っている?」
暫く考えた末にベルナディットは「いいえ」とかぶりを振った。男手一つで(もちろん使用人は沢山いたが)大事に大事に育てられたベルナディットはそう言った話題からは遠ざけられていた。
「小さい頃は結婚した男女の所に幸せの鳥が赤ちゃんを運んでくると思っていたのですけど」
箱入り娘のベルナディットとてさすがに今は赤ちゃんは女性のお腹の中で育つことを知っている。結婚していない男女でも子供が宿ることもあると知っている。
「僕は聞いたことがあるんだ、年頃の男女がある部分をくっつけ合うと子供が出来るらしい」
「ある部分……ですか?」
「うん。僕はそれは唇ではないかと思っているんだ」
「まあ! 口づけすると赤ちゃんが出来るのですか?」
驚くベルナディットに項垂れていたことも忘れてエミリアンが得意そうに言った。
「そうだよ、何回しても子供が授からないこともあればたった一回で子供が授かることもあると聞いたことがない? 口づけなら夫婦になれば何度もするだろ? もしかしたら恋人同士でも。それに結婚式の時に誓いの口づけをするよね? 子供が出来るかもしれない行為なんだから神聖なのは当たり前だよ。貴族や王族にとって後継者を設けることは重要な事だから結婚式で口づけをするのだと思うんだ」
「……言われて見ればそうですわね。リア様、素晴らしい洞察ですわ! あ……でも今回の事は……」
「ああ、不幸な事故だ……ベルは聞いたことがない? たった一度の過ちで子供が出来てしまったとか、浮気相手に子供が出来たのはうっかりミスだとかちょっとした事故だと言うクズ男の言い訳を。以前はそんな言葉を聞いたらその男の事を僕は思いっきり軽蔑していたんだけど、そんなうっかりミスが僕にも起こってしまったんだよ……」
再び項垂れたエミリアン。しばらく考えた末にベルナディットはもう一つの疑問を口にした。
「リア様、でも最初にカリーヌに会った時、彼女は庭園の木立の中でどなたかに子供を産みたいと言ってらっしゃいましたわ。その方がお腹の子の父親では?」
「僕も一度はそう考えた。でも小道には誰もいなかったし彼女の婚約者も恋人も見つからなかった。次に彼女が妊娠しているというのは聞き間違いかと思った、だからこのことは忘れようと思ったんだ。でも今日の彼女を見ると妊娠している可能性の方が高い。それなら父親は僕しかいないということになる。彼女の様子を見ると僕の事は覚えていなかったみたいだから彼女は事故チューの相手の顔は忘れているのかもしれない。僕の考えでは彼女は決意表明をしていたんじゃないかな」
「決意表明?」
「誰が父親かわからない子供を妊娠してしまった。でも宿った命を殺したくない。だから彼女は人気のない木立の奥で誰にも聞かれないように言葉にし決意していたんじゃないかな。でも……だからと言って『知らない』と逃げる卑怯者に僕はなりたくない。僕はベルを愛している、それでもお腹の子の父親としてちゃんと責任を果たしたいんだ」
責任を果たしたいと決意するエミリアンは誠実だと言えるが、エミリアンが公にカリーヌの子の父親だと発言すれば騒動になる。その子は王家の血を引いているからだ。
涙目で語るエミリアンにベルナディットは優しく微笑みかけた。
「リア様、隠さずに打ち明けてくださってありがとうございます。まずは私がカリーヌに妊娠しているか聞いてみますわ。カリーヌとはお友達になったのです、きっと打ち明けてくださいますわ。そのうえでもし妊娠していたらどうしたいか聞いてみます。状況を見てリア様がカリーヌの事を心配していることも真摯に向き合うつもりであることも伝えますから」
「ああベル! ありがとう。僕はベルにとって不実な男なのに……僕は情けない男だけど、どんな結果になっても僕がベルを愛していることは変わらないよ」
「リア様、私もですわ。三人にとって一番いい結論を出すように頑張りましょう」
ベルナディットに打ち明けたことで肩の荷が下りたような表情のエミリアンと、大事なことを打ち明けられて二人の絆が深まったような気がするベルナディットは盛り上がった気分のまま手を繋ぎながら廊下を歩いていた。ベルナディットが帰るので馬車までエミリアンが送って行くと言ったのだ。
「エミリアン、久しぶりだな」
声を掛けてきたのは第四王子のアルフォンスだ。ふわふわの金髪巻き毛のエミリアンと違ってダークブラウンのストレートな長髪を後ろで一つに結んでいる。眼鏡の奥のアイスブルーの瞳がともすれば冷たくも見える理知的な雰囲気の青年だ。
「アル兄様!」
エミリアンは嬉しそうに近づいた。ベルナディットが略式の礼をしながら挨拶をする。
「ベルナディットも久しぶりだな、相変わらず仲がいい」
エミリアンとつないだ手を見てアルフォンスがニヤニヤしたのでベルナディットは真っ赤になった。
若干放置されて育ったエミリアンだが、疎まれたり蔑ろにされていた訳ではない。ただ、四人の兄とは歳が離れているので喧嘩をしたり一緒に遊んだりした記憶はない。普段は忙しくて疎遠な兄たちだが会った時は末っ子のエミリアンを可愛がってくれるのだ。
「アル兄様は新しい遺跡が見つかって忙しいのでは?」
エミリアンが聞くとアルフォンスは「あー、それな―」と眉を顰めた。
今はもう失われてしまった技術である魔術やそれを使った古代魔道具、アルフォンスはその研究をしている。この世界のいたるところに古代遺跡があり、そこには未知の魔道具が眠っている、その魔道具を調べ、できれば起動し現代に応用できるか否かその仕組みを研究しているのだ。古代魔道具研究所の室長も務めている。
「実はその遺跡から古代魔道具を移送してくる途中でごっそり盗まれてしまったんだよ」
「盗まれた? 誰に?」
「それがわかっていればダニエル兄上がもう捕まえているさ。って訳で遺跡は今は騎士団の管理下に置かれて立ち入り禁止なんだ、古代魔道具が発見されるまで研究はお預けって訳だ」
遺跡や魔道具は発見されると同時に王家の管理下に置かれる。古代魔道具は国の宝なので個人で所有することは禁じられているのだ。それにもかかわらず闇で古代魔道具を欲する者は後を絶たない。十五年程前も大規模な古代魔道具の盗難事件があった。その後、闇オークションに出された古代魔道具をいくつか回収できたものの犯人たちは捕まっていない。
「今度こそ絶対に犯人を捕まえて闇の流通ルートも潰してやるとダニエル兄上が息巻いているよ」
アルフォンスの言葉にエミリアンもベルナディットも頷いた。ダニエルは第二王子で騎士団の第一隊長だ。
「ベルナディットはもう帰るのか? 偶には私の部屋でエミリアンと一緒にお茶でも飲まないか?」
「わあ! ベル、お邪魔しないか? アル兄様が暇な時なんて滅多にないんだ!」
歓声を上げてエミリアンがベルナディットの手を引っ張る。
「エミリアン、私だって年がら年中忙しくしているわけではないよ」
「アル兄様は食事やお風呂も後回しにして研究ばっかりしてるってメイドたちが言っていたよ。夜会にも出たがらないってクリストフ兄様が――」
エミリアンが手を引いたはずみでベルナディットの頭に乗っていたものがポロリと落ちかける。
「あぶっ! ああよかった」
咄嗟にそれを掌に受け止めてエミリアンが安堵した。
「ほら、ベルの髪飾り、壊れなかったよ。急に引っ張ってゴメン、でも今日はいつもとはだいぶ違ったタイプの髪飾りだね」
「え? 私は今日は髪飾りなど……」
首をひねったベルナディットの横から手を伸ばして髪飾りを取り上げたのはアルフォンスだ。
彼は先ほどとは打って変わって険しい目をして言った。
「これをどこで手に入れたんだ? 詳しく教えてくれるかな? ベルナディット」