4.ラプレ男爵家で迷ってしまいましたの
ベルナディットはカリーヌの部屋を出て廊下を歩きながら考えていた。
「そうだわ、明日私が持ってくるより今日の夕食から消化が良くて食べやすいものを用意してもらうよう使用人の方にお願いしておきましょう。カリーヌは心配ないと言ったけれど体調が回復したかこまめに様子を見てもらった方がいいですわね」
そう思いながら使用人を探すが何故だか誰とも出会わない。ベルナディットはこのお屋敷で迷ってしまったようだった。
ラプレ男爵家は男爵家にしては大きな屋敷を構えている。成金と言われているラプレ男爵は入り婿で他国との商取引で財を成し金にものを言わせて男爵家に入り込んだと言われている。箱入り娘のベルナディットはその噂を知らなかった。
ラプレ男爵の屋敷は玄関を入って表側は通常の男爵家である。主人や夫人の部屋、子供部屋、居間、食堂、使用人の部屋などがあり、使用人たちも忙しく立ち働いている。だがそのお屋敷のその奥に使用人たちが立ち入ってはいけないエリアがあった。外からは母屋と一体に見えるそのエリアは実際は別棟で、そこには三階の通路からと屋敷の裏手にある人目に付かない入り口からしか入ることが出来ないのだ。そしてカリーヌの部屋は三階のその通路の脇にあった。どうしてそんな部屋がカリーヌに与えられたかと言うとラプレ男爵夫人がカリーヌを目に入れたくなかったからだ。だから夫人や息子の生活エリアから最も遠い部屋にカリーヌは入れられた。
そうしてカリーヌの部屋からの帰り道、ベルナディットは使用人が立ち入らないそのエリアに迷い込んでしまったのだった。
人気のない廊下を進み階段を下りる。ここまで来ても誰にも会わなければ外へ出るドアも見つからない。天井に近い位置にある明り取りの窓だけでは廊下は薄暗くベルナディットはだんだん不安になってきた。
「カリーヌの部屋に向かった時はこんな廊下通ったかしら? ああ、どなたに聞けばいいかもわからないわ……」
「そうだわ、どこかのお部屋の中には人がいるかもしれませんわね、その方に玄関まで案内していただきましょう」
不安を紛らわすように独り言を言いながらいくつか並んだドアの一つをそっと開けた。
「あら?……この部屋は?」
入った部屋にはもちろん誰も居なくて何やら古ぼけたものが並べられていた。
「これは何かしら……」
剣や弓に似た道具からベルナディットが見たこともないような道具まで数十種類の物が並べられているのだが、そのどれもが古ぼけていてかなりの年代ものであることが察せられる。その一つ、奇妙な形の道具を手に取った時、後ろに立てかけてあったゴテゴテした飾りのついた杖のような道具に軽くぶつかってしまった。
ゴン!!
「きゃ!」
グラッと倒れてくる杖に慌てふためいてベルナディットは手に持っていた道具を急いで置くと倒れ掛かって来た杖を受け止めようとしたがベルナディットの身長の二倍ほどの高さのそれを受け止め損ね杖はベルナディットの頭にぶつかって止まった。
「い、痛いですわ……でもおかげでこの道具が壊れなくてよかったですわ」
涙目になって頭をさすりながら杖を元のように立てかけるとベルナディットはその部屋を出た。
「人様のお屋敷で迷子になってそのうえお屋敷の物を壊してしまったなんてことになったら大変だったわ」
ホッと息を吐いたベルナディットだったが、杖が頭に当たった時に先端の装飾が外れベルナディットの頭に落っこちたことは気が付いていなかった。その装飾は微妙に髪に絡まり一風変わった髪飾りのようにベルナディットの頭に鎮座している。
格好悪いですけれどもう一度三階に戻ってカリーヌに玄関までの行き方を聞きましょうと三階まで戻りカリーヌの部屋の前に来た時だった。
「そこで何をしている!!」
鋭い声を浴びせられて一瞬ビクッと肩が撥ねたが、考えてみればやっとこのお屋敷で人に会うことが出来たのだ、喜色を浮かべてベルナディットは訊ねた。
「こちらのお屋敷の方でいらっしゃいますか?」
「ああ、私はここの当主だ。それよりもお前は誰だ? なぜここに居る?」
当主ということはカリーヌの父親だ、これで当初の目的も達成することが出来るとベルナディットはにこやかに話しかけた。
「初めましてラプレ男爵様、私はカリーヌ様の友人のベルナディット・レミュザと申しますわ」
「なに? カリーヌの? 何故こんな時間にここに居る? ……え? レミュザ?」
たった今まで不審者を排除するような険しい目つきでベルナディットを見ていたラプレ男爵はレミュザという家名を聞いた途端態度を一変させた。
「レミュザというと……侯爵家の?」
「はいそうですわ。今日はカリーヌ様の具合が悪くて送ってきましたの。それでですね――」
「いやあレミュザ侯爵家のご令嬢がカリーヌの友人なんて! それもあいつを送ってきてくださるほど親しいと? わざわざありがとうございます。ささっこちらへ、お茶の一つもお出しせねば失礼になってしまう」
あれよあれよという間にベルナディットは豪華な調度品に囲まれた部屋に案内されていた。その部屋にもその部屋にいたるまでの廊下にも先ほど探しても見つからなかった使用人がちゃんといてベルナディットに薫り高い紅茶やお菓子を出してくれた。
ラプレ男爵は終始機嫌良さそうに話をしていてベルナディットは口を挟むのが大変だった。
「そうですか、それにしてもカリーヌの具合が悪いことにいち早く気が付いて我が家まで送って来て下さるなどいやはやレミュザ侯爵令嬢はお優しいですな。カリーヌとはいつから友人に? いえいえいつからでもよろしいのですが、今後とも是非ウチのカリーヌと親しくお付き合いしていただきたいですな」
「はい、友達ですもの。それでですね、カリーヌ様は具合が悪くて食欲が無いようなので消化が良くて食べやすいものをですね――」
「ああもちろん心得ておりますから安心してください。それよりこれを機に御父上に紹介いただけませんかな? ああそれからご令嬢は第五王子殿下の婚約者で居らっしゃいましたな――」
止まるところを知らないラプレ男爵の話にベルナディットは何とか口を挟んでカリーヌの面倒を見てもらいたいことを伝えると早々にお屋敷を辞去することにした。
この家の娘であるカリーヌの面倒を見てもらいたいと友人になりたてのベルナディットが口にするのはおかしいような気がしたが、カリーヌの具合が悪いと聞いてもラプレ男爵はカリーヌの様子を見に行く素振りも見せなかったのである。
待たせておいた学院の馬車にベルナディットが乗り込む寸前、ラプレ男爵がベルナディットに問いかけた。
「そうそう、先ほど私とご令嬢が出会った場所ですが、あの廊下の先に進んではおりませんな?」
「え? 廊下の先ですか?」
ぎくりとしながらベルナディットが聞き返す。
「いやいや、あの廊下の先は老朽化が進んでいるので立ち入り禁止にしているのですよ、万が一事故に遭ったら大変ですからな」
「そ、そうですの、ではあそこで男爵様にお会いできて良かったですわ、間違えなくて済みましたから」
こちらを探るような男爵の視線に背筋に冷たい汗が流れ、ベルナディットは咄嗟に嘘をついてしまった。嘘がバレないうちにとそそくさと馬車に乗りベルナディットは学院に戻った。
結局ベルナディットが学院に戻って来たのは正午を二時間ほど過ぎたころ、もうすぐ放課後になる時間だった。授業の途中で教室に入っては迷惑だろうと終わるのを待って教室に入ると早速エミリアンが近づいて来た。
「遅かったなベル、何かあったのか?」
「いえ、カリーヌをお部屋まで連れて行って寝かせた後にラプレ男爵様にお会いして――」
ベルナディットの話を遮るように彼女のお腹がクーと鳴った。
「プッ! くく……いや、すまない。ベルは昼食もとらないでラプレ男爵令嬢を送り届けてきたと言うのにな。ただベルの腹の音が可愛くて」
真っ赤になってそっぽを向いたベルナディットを愛おしそうにエミリアンが見つめた。
「今日の授業はもう終わりだ、ベル、これから王宮に来ないか? 軽食を用意させる。それに話したいことがあるんだ」
先ほどベルのお腹の音に笑ってしまった時とは打って変わって緊張した硬い表情でエミリアンが言った。