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2.彼女の恋人が見つかりませんの


 エミリアンはこの王国の第五王子だ。

 今年三十歳になる第一王子は王太子として立派に父である国王の補佐をしており、王位を数年のうちに譲られることになるだろう。王太子妃との間に一男一女をもうけている。

 二十八歳の第二王子は兄妹の中で最も体格が良く現在は騎士団の第一隊長を務めているが将来の騎士団長である。昨年臣籍降下し公爵となった。新婚であり子供はまだいない。

 二十五歳の第三王子は二年前に隣国の王女に婿入りした。王子ばかり五人もいるこの国と真逆で隣国は王女が二人いるだけだった。隣国に留学していた第三王子と隣国の第一王女のラブロマンスは小説や舞台になったほどである。

 二十二歳の第四王子は研究者である。現在は古代魔道具研究所の室長で、今はもう伝説となってしまった魔術や古代の遺跡に眠る魔道具の研究にとりつかれている。数年のうちに王家を離れ新たな伯爵家の当主となる事が決まっているが研究以外に興味のない第四王子は生涯独身かもしれない。


 そして第四王子から六つ離れたエミリアンは十六歳、末っ子第五王子である。

 十六歳で二十八歳の王に嫁いだ王妃は立て続けに四人の王子を産み、王国の未来は安泰だと褒められていたものの息子ばかりであることに少々落胆していた。数年ぶりに妊娠し、今度こそ姫をとの周囲の期待に反し産声を上げたエミリアンを見て王妃も周囲も「またか……」とがっかりしたことはエミリアンに内緒である。そんなこんなで周囲から期待も興味もあまり持たれなかったエミリアンは良く言えばのほほんとおおらかに、悪く言えば多少放置されて育った。もちろん王族として何不自由なく育てられ教育も施されたが、まかり間違っても王位を継ぐことなどない第五王子であるため、兄たちのような厳しい教育ではなかった。


 そんなエミリアンとレミュザ侯爵家の一人娘ベルナディットが婚約を結んだのは三年前、国王はこの婚約を纏められたことに安堵した。末っ子第五王子に分け与えられる爵位も土地も十分に用意出来なかったからである。王子であるエミリアンを婿に迎え王家と親戚になる事はレミュザ侯爵家にとっても益になる事だろう。


 ベルナディットは由緒あるレミュザ侯爵家の一粒種である。母はベルナディットが幼い頃に病で亡くなり、父である侯爵に溺愛されて育った。病弱だった母に似て幼い頃は身体が弱かったベルナディットは真綿でくるむように育てられた。

 そうして結ばれたエミリアンとベルナディットの婚約は政略的なものではあるが二人の関係は悪くなかった。のほほんと育ってきた末っ子気質のエミリアンと箱入りで世間知らずなベルナディットの波長が合ったのである。

 情熱的な恋愛ではないが二人は穏やかに愛を育み、将来立派な侯爵になるべくエミリアンも勉学に積極的に取り組むようになった。








 ガゼボでの出来事から一か月ほど経ち、二人は今日も学院の東の庭園を歩いていた。あの日以来、週に一度ガゼボで二人っきりでランチを取ることが習慣になりつつある。大きなバスケットは今日はエミリアンが持っている。


 ザザッと音がして茂みを揺らしながら一人の女生徒が飛び出してきた。


「きゃあ!」


 その女生徒は危うくベルナディットとぶつかりそうになり、すんでのところで回避するとペコリと頭を下げ走り去った。


「……泣いていたね」

「ええ、泣いていましたわ」


 エミリアンは気づかわしげに暫く女生徒を目で追っていたが彼女が校舎の方へ向かったのを見届けると彼女が飛び出してきた茂みに入ろうとした。


「リア様?」

「彼女が誰と話していたか気になるんだ」


 ベルナディットも彼女の事は気になる。彼女は泣いていたし、それに飛び出してくる直前、彼女の言った言葉が聞こえてしまったからだ。


「あたし、お腹の子を産みたいの!」


 状況から考えて彼女が話していた相手こそがお腹の子の父親なのだろう。でもそれは彼女のプライベートな問題である。

 茂みから飛び出してきた彼女はカリーヌ・ラプレ男爵令嬢、エミリアンやベルナディットと同じ学年ではあるが直接の面識はない。それでも彼女の事を知っていたのは彼女がある意味有名人だったからだ。


 止めようとしたベルナディットに構わずエミリアンは茂みに足を向けた。茂みに見えたそこは細い小道だった。ただ通る者が少ないために生い茂った葉が小道への通路を塞いでいたようだ。


 ズンズンと歩いていくエミリアンをベルナディットは小走りに追う。二人は暫くその辺を探し回ったがカリーヌが話をしていたであろう人物と会うことは出来なかった。

 小道を少し行くと庭木の剪定をしている庭師に出会ったのだが、彼に聞いてもここを通った者は誰もいないということだった。







 ガゼボに腰を落ち着けてサンドウィッチを食べながらエミリアンが呟いた。


「彼女と話をしていた人物はどこに行ってしまったんだろう……」


 小道に生えているのは丈の低い草花ばかりで人が隠れられるような場所はなかった。そして庭師の居た場所まで一本道だったので彼に会わず姿を消すことは困難だと思われた。


「あの、リア様は彼女と面識があるのですか?」

「いや……面識というほどでは……話したことは無いけど……」


 ベルナディットの問いにエミリアンは煮え切らない返事を返す。ベルナディットはどうしてそこまでエミリアンが彼女の事を気にするのか不思議だった。

 彼女、カリーヌ・ラプレ男爵令嬢はちょっと有名な令嬢である。彼女は元々平民として育ったらしい。男爵のお手付きとなってカリーヌを産んだ母と下町で暮らしていたが半年ほど前に母が亡くなり男爵家に引き取られたそうだ。そんな貴族の立ち居振る舞いも作法も知らない彼女は身分の差も男女の区別もなくフランクに話しかけ、男性にも気軽に触れたり大きな口を開けて笑ったりするので令息たちからの人気は高いが令嬢たちからは敬遠されているようである。


「私はカリーヌ・ラプレ様のことはあまり存じ上げないのですがリア様は彼女のようなタイプがお好きなんでしょうか?」

「ええっ? 全然タイプじゃないよ。ただ彼女の相手……というか子供の父親が誰なのか気になって……ほら、ベルも聞いただろう? 彼女が飛び出してくる前の言葉を」


 ベルナディットは頷いたけれどやっぱりエミリアンに対する不信感はぬぐえない。子供がお腹にいるというのは一大事だ。でも他人事だし、致命的なスキャンダルという訳ではない。この国の成人年齢は十六歳だからごく稀ではあるが十六になるのと同時に結婚して学院を退学する令嬢もいるのだ。勉学は家庭教師を雇っても出来るし、学院に通うことは将来の人脈づくりや婚姻相手を探す意味合いも多いので結婚してしまえば退学しても差し支えない。だから彼女が婚約者や恋人との間に子供が出来たからと言っても特に問題がある事ではないのである。飛び出してきた彼女が泣いていたということは子供を産むのを反対されたのかもしれないがそれは彼女と婚約者、または恋人との問題で彼女とろくに話したこともないエミリアンやベルナディットが口を挟む事ではない。


「どうして?」

「え?」

「どうしてリア様は彼女のことが気になるのですか? 彼女が誰と結婚してもお腹にお子様が出来ても私たちには関係ないことですわ? どうしてリア様は……」


 じわっと涙が浮かんでくるのをこらえてベルナディットは下を向いた。


「え……あ……誤解だ! 僕はラプレ男爵令嬢の事なんかなんとも思っていないよ! ただ僕は彼女のお腹の子の父親が誰なのか知りたいだけなんだ」

「それはどうしてですか?」

「……今はまだ言えない」


 エミリアンはベルナディットの涙を見てあたふたと言い訳をしたがベルナディットの問いには答えてくれなかった。

 頑なに口を引き結ぶエミリアンを見て結局ベルナディットが折れた。


「……わかりましたわ。それでは彼女のお相手が誰なのか判明すればリア様は気が済むのですね」

「うん、ただ子供の父親の名前を知りたいだけだ。それ以上かかわるつもりは無いよ」

「それではお昼休みが終わったら早速彼女の婚約者の事を調べてみましょう」








 その日からエミリアンとベルナディットはカリーヌの相手を探し始めたが、それはなかなかうまくいかなかった。

 まず、彼女には婚約者はいなかった。次に彼女の恋人を探し始めたのだが……


「え? カリーヌさんの恋人ですか? さあ? 彼女は男性の方々と距離が近いですから。彼女と仲がいいどなたかなんじゃないかしら?」

「この間ミシェル様と仲良さそうに歩いていましたわ」

「あら、私はアラン様たち四人の男性に囲まれて大きな口を開けて笑っているところを見ましたわ」

「それにしてもどうしてベルナディット様がカリーヌさんの事を?」

「もしやカリーヌさんはエミリアン殿下にまで手を出したのですか?」

「まあ! 婚約者のいる方にまで手を? 許せませんわ! え? 違う?」

「どちらにしてもカリーヌさんはベルナディット様が気にするような方ではございませんわ」

「そうですわ! ちょっと可愛い顔をしているからって男性を侍らせる彼女はベルナディット様に比べれは羽虫ですわ」

「ベルナディット様の知性溢れる美しさには敵いませんもの。エミリアン殿下もきっと目を覚まされますわ! 所作一つとってもカリーヌさんはベルナディット様に遠く及びませんもの。あ、違う? エミリアン殿下は誘惑されていない? 失礼いたしましたわ」

「あら、そう言えば数日前も気分が悪いとか仮病を使うカリーヌさんをベルナール様たちが大騒ぎしてお家に送っていったとか」

「そうそう、セドリック様たちも……」



 マシンガンのように繰り出される令嬢たちのトークにベルナディットは目が回りそうだった。

 ベルナディットやエミリアンは高位貴族の多いAクラス、カリーヌ・ラプレ男爵令嬢はEクラスなのでベルナディットの周りにカリーヌをよく知っている者はいない。それでEクラスの令嬢たちにカリーヌの恋人を教えてもらおうとやって来たのだった。王子が居ては彼女たちも自由に話せないだろうとエミリアンには遠慮してもらった。


 疲労困憊になりながらいつものガゼボにたどり着いたベルナディットはエミリアンに令嬢たちから聞いた話を報告した。


「結局、誰がラプレ男爵令嬢の恋人なのか私にはわかりませんでしたわ」

「そうか……済まないベル、面倒を掛けたね。えーと、ミシェルにアラン、ベルナールにセドリックだったっけ、その者たちについては僕が調べて話を聞いてみるよ」





 今度はエミリアンが話を聞きに行ったが、名前が挙がった誰もがカリーヌの恋人であることを否定した。


「え? カリーヌ嬢ですか? 可愛いですよね。いやいや恋人ではありませんよ、仲のいい女友達と言ったところです」    ……ミシェル談


「カリーヌ嬢は友人ですよ、なあ」

「そうですそうです。彼女、さっぱりしていて付き合いやすいんですよ」

「うんうん。最初は手を掴んだり背中を叩かれたり気軽に触れてくるんでギョッとしたけど彼女には他意が無いんですよ」

「男友達みたいな感覚だよなあ」   ……アランと友人談


「カリーヌ嬢は友人ですよ。可愛いですけどね、恋人や婚約者にするにはちょっと……ねえ」

「男爵家の令嬢ですからね。それも少し前まで平民として暮らしていたそうじゃないですか」

「ええ? お前カリーヌ嬢のこと気に入っていただろう?」

「友人としてだよ。性格はいいけれど淑女としての振る舞いはなっていないじゃないか。お前こそカリーヌ嬢の心配をしていなかったか?」

「俺も友人としてだよ。彼女最近具合が悪そうだったからな、あくまで友人としてだぞ」   ……ベルナールと友人談


 彼らはエミリアンが『普段交流のない生徒たちとも交流を深めたい』としてサロンに集められた下位貴族の令息や伯爵家の次男、三男たちである。

 最初の内は同学年ながら話もしたことの無い王子の前で緊張してお茶ばかりすすっていた彼等であるがエミリアンが「普段話しているように自由に発言してくれ」「この場は無礼講だ」というとぽつりぽつりと話を始め、場が温まってきたところでカリーヌ・ラプレ男爵令嬢の事を聞くとすんなり話してくれた。カリーヌが彼らにとって疚しい存在ではなかったのだろう。






「うーん、彼らの中にラプレ男爵令嬢の恋人はいなさそうだなあ」


 いつものガゼボで今度はエミリアンが弱音を吐いた。途中夏期休暇を挟んだもののカリーヌと仲がいいと思われている令息全員に話を聞いたが、カリーヌの恋人は『怪しい』と思われる存在さえ浮かび上がってこなかった。もちろん夏期休暇を一緒に過ごした令息は一人もおらず、恋人探しは暗礁に乗り上げたのだ。


「リア様、もしかしてもしかするとあの日私たちが聞いたのは他の言葉を聞き間違えたのではないですか?」


 ベルナディットの言葉にエミリアンが曖昧に頷いた。その時にははっきり聞いたと思っていた「あたし、お腹の子を産みたいの!」という言葉も二か月経った今では記憶があやふやだ。


「リア様、どうしてラプレ様の事をそんなに気にかけているのかそろそろ教えていただけませんか?」

「ああ……いや……うーん……彼女に子供がいないのであれば別に気にすることは……うーん……」


 エミリアンの言葉はやっぱり煮え切らない。そもそも調査の結果わかったことはカリーヌ・ラプレ男爵令嬢に婚約者や恋人はいなさそうだということで、彼女が妊娠しているかどうかはまた別の話である。恋人がいないからと言って妊娠していないとは言い切れない。ベルナディットは恋人や婚約者以外の男性との子供が出来ることもあるということを知っていた。


「よし! このことはスッパリ忘れよう!」


 いきなりエミリアンが宣言した。


「ラプレ男爵令嬢は元々僕たちには何の関係もない令嬢なんだ。うん、気にする必要はなかったよ。ベルにもいろいろ面倒をかけて申し訳なかったね」

「それは別によろしいのですけど……」


 やっぱり理由は話してくれなくて「そう言えばクリストフ兄様がね……」などと第一王子の話をし始めたエミリアンをベルナディットは眺めた。目の前の婚約者は吹っ切れたように明るい瞳で王太子殿下と可愛い盛りのそのお子様たちの話を身振り手振りを交えて話している。初めてこの場所で二人きりでランチを取った時から数か月経ち、灼熱の日差しはやわらぎ風に秋の気配が含まれていた。






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