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15.赤ちゃんは天使ですの

最終話です。


 それからエミリアンとベルナディットはキスで子供が出来る訳ないと懇々と教えられた。レミュザ侯爵だけはベルナディットがまだまだ大人の階段を上ったわけではなかったと機嫌がよかったが、ダニエルはぐったり疲れておりエミリアンとベルナディットは真っ赤に茹で上がっていた。

 とりわけエミリアンは子供がどうしたら出来るかという新情報(詳しくはベルナディットのいる前では教えてもらえなかったが)のカルチャーショックに加え、自慢げにベルナディットに間違った情報を与え、それによってベルナディットと周囲を振り回し、ベルナディットを愛していながら他の女性との子供の父親にならなければいけないと板挟みになったつもりで苦悩していたのだから、恥ずかしさに地面を掘って掘って王宮の一番高い塔より深く掘って逃げ込みたい気分だった。


「ははっ、まあ、そのおかげでベルナディットがカリーヌ嬢と仲良くなって盗賊団の手がかりもつかめたんだ。そう思うとエミリアンのとんでもない誤解もあながち無駄ではなかったな」


 ダニエルは情けない笑いを浮かべながら慰めたが当然エミリアンの気が晴れることは無かった。


 レミュザ侯爵に当分カリーヌの身柄を預かって欲しいと依頼し、エミリアンとダニエルが疲れ切った気分で王宮に帰ろうと侯爵邸のエントランスホールまで来た時、何やら騒がしい声が聞こえた。


「どうしたんだ?」


 侯爵が執事に聞き、執事がその場を離れる。程なく戻って来た執事が告げた。


「何やら平民の男が門の前で座り込んでいるようでして、殿下がたの馬車の通行の妨げになるのではないかと門番が排除しようとしたのですが……」

「平民の男? 我が家に何の用だ?」

「その男はキースと名乗りまして、ここにカリーヌという娘がいると聞いたので会わせて欲しいと喚いているようです」

「キース!?」


 その言葉に反応したのはカリーヌだ。両手を握りしめて頭を振りながら「え? どうして?」「今更何を?」と呟いている。


 カリーヌの肩を抱いてベルナディットはレミュザ侯爵にその男を通してやって欲しいと頼んだ。


「わかった、裏口から入れるから小サロンで待っていなさい」

「僕も残るよ」


 エミリアンがそう言ったが、ベルナディットは首を横に振った。





 カリーヌとベルナディットが小サロンで待っていると程なくメイドに案内されて男がおずおずと部屋に入ってきた。辺りをきょろきょろと見回し、絨毯を汚したらどうしようというように恐る恐る歩いている。

 その男、キースはカリーヌの姿を見つけた途端、凄い勢いで駆け寄った。


「カリーヌ! 心配したんだ! ラプレ男爵様のお屋敷に行ったら――」

「キース、今更何の用?」


 駆け寄ってきた男を避け、ベルナディットの後ろに隠れたカリーヌは冷たく言い放った。だけど、後ろからベルナディットに掴まっているカリーヌの手が小刻みに震えている。


「カリーヌ、この方はどなた?」


 ベルナディットが訊ねるとカリーヌの手に一瞬力が入り硬い声で答えた。


「お腹の中の子のお父さん……だった人です」

「だった人?」

「はい、この人はあたしを捨てたからもうこの子のお父さんじゃありません」


 ベルナディットの目の前に立っていたキースがハッと息を呑んだ。





「とりあえずお座りになりませんか? カリーヌも座ってくださいな。落ち着いてお話いたしましょう」


 ベルナディットが促して三人はソファーに座った。カリーヌは二人掛けのソファーにベルナディットとぴったりくっついて座ってベルナディットの腕に掴まりながらキースを威嚇している。

 キースはごくんとつばを飲み込むとカリーヌに頭を下げた。


「ごめんカリーヌ、俺がいない間に大変なことになっていたんだな。不安だったよな、ごめんな」

「謝らないで! 大体今更何しに来たの? 捨てた女なんて放っておけばいいじゃない」

「俺はお前を捨てたりなんかしない! お前と――」

「いい加減なことを言わないで! 子供が出来たと知ったらあたしの前からいなくなったくせに!!」

「誤解だ! 俺はお前と――」

「聞きたくない! 早く目の前からいなくなって!」


 必死な様子のキースと頑なに拒否し続けるカリーヌを見てベルナディットは縋りついているカリーヌの手を優しくポンポンと叩いた。


「カリーヌ落ち着いてくださいな、興奮するとお腹の子によくないと聞きましたわ」

「あ……ベル様……」


 少し落ち着いたカリーヌを見てポンポンと手を叩きながらベルナディットが言った。


「さあ、深呼吸して。そうそう、まずはキースさんのお話を聞きましょう」


 ベルナディットに促されてキースは話し出した。

 それによるとキースは今、なんと王宮の庭師に弟子入りして修行をしているらしい。

 カリーヌに子供が出来たと打ち明けられてキースは腹をくくった。

 キースとカリーヌは幼馴染だ。サンスーンの下町で仲良く育った二人だったが、キースが父親の知り合いの庭師に弟子入りするためにその町を離れた。その後カリーヌもラプレ男爵に引き取られたのだが、二人はユニス貴族学院で再会したのだ、庭師見習いと男爵令嬢として。家にも学院にも居場所がなく、悩みを打ち明けられる存在がいないカリーヌと、子供のころからカリーヌにほのかな気持ちを抱いていたキースは急速に親しくなった。そうして一線を越えてしまった二人だったが、キースに打ち明けられた庭師の親方は仰天した。

「どんなに詰られても足蹴にされてもカリーヌと所帯を持たせてくれと男爵様にお願いしに行くつもりだ」というキースを親方は「半人前が偉そうなことを言うな」と怒鳴りつけた。そうして「俺の師匠が王宮の庭師をしている。俺よりもっともっと厳しい人だ、紹介状を持たせてやるからその人に修行をさせてもらえ。合格点を貰うまで帰ってくるな。一人前になったら俺が男爵様に口添えをしてやる」とキースを次の日には王宮に送り出した。

 その言葉を信じてキースは今まで修行に明け暮れていたのだという。


 後にわかった事だが、キースに打ち明けられた親方が最初に思ったことはキースを逃がすことだったらしい。平民の庭師見習い風情が貴族のご令嬢に手を出して無事に済むわけがない。だから親方はキースを学院から遠ざけ、知らないことと口をつぐんでいれば熱も冷め、ご令嬢の方も貴族の家の方でなんとかうまくなかったことにしてくれるだろうと思ったそうだ。


 親方の紹介で庭師見習いとして王宮で働き始めたキースだが、親方の師匠は厳しい人で、覚えることも多く、昼間は肉体労働、日が暮れてからは勉強で寝る暇もないくらい忙しかったらしい。

 そうして四か月経ち、初めてキースは一日休みを貰えることになった。そこでキースは思いきって師匠にカリーヌの事を打ち明けた。

 帰ってきた答えは「馬鹿野郎」だった。

 

「ガキを腹ん中で育てるって言うのはそりゃあてえへんな事だ。おめえは自分の女がそんなてえへんな時に傍で支えてやらねえでどうするんだ! もう生まれているかも知れねえぞ!」


 そう怒鳴られて慌ててカリーヌに会いに行った。師匠が言ってくれたのだ。


「お貴族様がなんぼのもんだ、もし反対されたらその女をかっさらって俺んとこに連れてこい。おめえら二人と赤ん坊くらい俺が面倒見てやるからな」




 キースの話を聞いてカリーヌは涙が止まらなかった。張りつめていたものがプツンと切れ、安堵の気持ちが涙になって零れ落ちる。


「あた、あたし……ぐすっ……捨てられたわけじゃなかったんだ……こっ……えぐっ……この子、産んでいいんだ……うう……うわーん」


 キースは今度こそ避けられることなくカリーヌをその腕の中に閉じ込めた。


「ごめんな、ごめんな」とカリーヌの背を撫でるとカリーヌは一層涙が止まらなくなってキースの胸に縋りついた。


「キースさん、お話は分かりましたわ。ですけど黙っていなくなるのは酷いと思いますわ。カリーヌにちゃんと説明なされば良かったのではなくて?」


 抱き合う二人を眺めながらベルナディットはまだ少し不満の気持ちを抱いていた。


「あの、ちゃんと俺は手紙をカリーヌに残しました」


 キースが答えるのを聞いてカリーヌは泣くのを中断してキースに言った。


「あたし、貰ってないわ」

「ええ? 俺、ちゃんと書いたよ。急いでいたから直接カリーヌには渡せなかったけどさ、カリーヌのクラスはEクラスだよな、そのクラスに入っていくご令嬢に「カリーヌさんに渡してください」って預けたんだ。俺たち庭師は本当は校舎の中に入っちゃいけないからすっげえ緊張してさ、手紙渡したら速攻で引き返したんだ」


 その言葉を聞いてベルナディットはため息をついた。

 その手紙はきっと捨てられてしまったのだと察しがついたからだ。Eクラスのご令嬢たちはカリーヌを嫌っていた。彼女たちはほんの些細な意地悪のつもりでその手紙を捨ててしまったのだろう。











 早春の柔らかな日差しが辺りに降り注ぎ、冬の寒さを乗り越えた木々が蕾を膨らませる。この暖かい陽気では蕾が一気に花開き辺り一面薄桃色に覆われるのももうすぐだ。


 風のないこんな穏やかな日はガゼボでランチが出来るのではないかとエミリアンとベルナディットは手を取り合って学院の東の庭園を歩いていた。

 あの事件から五か月が経ち、二人は学院の最上級性として日々勉強に励んでいる。


 カリーヌは一か月ほど前に玉のような男の子を産んだ。今、ベルナディットはその天使に夢中である。学院が終わると侯爵邸に飛んで帰り、卒業してすぐ、来年の今頃にはエミリアンとの結婚が控えているというのにエミリアンの事は後回し、一緒に居てもカリーヌの赤ちゃんの話題ばかりなのでエミリアンは少々面白くない。


 ラプレ男爵を始め古代魔道具の強奪に関与していた者は全員裁かれた。強奪などに直接関与していた者、指示した者は当然、全員縛り首。それに直接かかわっていない者も知っていて手助けをした者たちは罪の大きさによって強制労働や鞭打ちなどの刑になった。古代魔道具を売りさばく闇オークションに関与していた者も捕らえられ裁かれたが、古代魔道具を買った闇オークションの常連顧客の中には高位貴族や裕福な商会の会頭などもいて世間を騒がせた。ラプレ男爵夫人、息子、娘のカリーヌは関与していなかったので禁固や強制労働の罪に問われることは無かったが、ラプレ男爵家は取りつぶしで平民になった。そして男爵家の有していた屋敷や資産は没収されて強奪事件によって被害を被った人たちの賠償に充てられた。無一文の一平民になった男爵夫人が今後どうやって生きていくのかはわからない。夫人は事件にかかわっていないことが立証され息子と一緒に騎士団の留置所を出された後、王都の市街に消えていったという。


 カリーヌはレミュザ侯爵家のメイドとして雇ってもらえることになった。キースと結婚はしたがキースもまだ修業中の身、なのでカリーヌと生まれた子供はレミュザ侯爵家の使用人棟に住み、キースは師匠から休みがもらえたら会いに来るという通い婚だ。カリーヌは出産後ひと月経ってようやく見習いメイドとして仕事を始めたところだ。


「ベル様、ルディがまたこちらにお邪魔していると聞いて」


 ノックをしてカリーヌが部屋に入ってくると覗き込んでいたゆりかごから顔を上げてベルナディットが嬉しそうに言った。


「カリーヌ聞いてくださいな、ルディは私があやすと笑うのですよ!」

「ベル様、ルディは一メイドの子供です。ご主人様であるベル様のお手を煩わせる訳には行きません」

「まあ! あなたはこの可愛い天使を私から取り上げようというの? もちろんあなたがこの子の母親なのだからあなたがダメと言ったら私は引き下がるしかありませんけど……」


 眉を下げしょぼんとしたベルナディットを見てカリーヌは慌てて首を横に振った。


「いえ! あたしはそんなつもりは! その……ベル様、あまりあたしを甘やかさないでください」

「甘やかしているつもりはありませんわ」

「でも、あたしは十分良くしていただきました。このお屋敷に雇っていただいて出産まで大した仕事も出来ないのに面倒見ていただいて。そのうえこの子が生まれたらこの子まで面倒を見てもらうなんて、有難過ぎて罰が当たります」

「ふふっ、ではそれはその内纏めて返していただくわ」

「纏めて? ですか」

「ええ。将来私がリア様と結婚して子供が生まれたらカリーヌとルディにお世話していただくわ。だから今はカリーヌが忙しい時くらい私にこの天使を堪能させてね」


 それを聞いてカリーヌは胸をドンと叩いた。


「お任せください! あたしもルディも誠心誠意お世話します!」








「ベル? ねえベル、聞いてる?」

 

 エミリアンの言葉にベルナディットはハッと我に返った。いけない、また天使ちゃんの笑顔を思い出していたわ。


「僕たちの結婚式もあと一年後だね」

「ええ、そうですわね」


 エミリアンの言葉にベルナディットは頷いた。エミリアンの前にポットから注いだ暖かい紅茶を置く。


「ベルは本当に僕と結婚していいの?」


 唐突なエミリアンの問いかけにベルナディットは目をパチクリさせた。


「その……僕は……世の中の事を何にも知らない甘ちゃんだし、うだうだ悩むばかりで決断力が無いし、兄様たちみたいに何かに秀でているわけでもないし……」


 ベルナディットはエミリアンの口を押えた。


「リア様は優しいですわ。それにいつも私の事を考えてくれます」

「それでも僕が情けない男だってことは変わらないよ」


 ベルナディットは今度はエミリアンの手を取って言った。


「いいえ、変わりますわ。いえ、変えましょう」

「変える?」

「ご自分の悪いところが分かっているならそれを変えるように努力いたしましょう。私も努力いたしますわ、だってまだ私たちは十七歳なんですもの。二人で頑張ればきっとお父様たちくらいの歳になれば立派な侯爵夫妻になる事が出来ますわ」


 エミリアンはベルナディットの手を外し、今度はエミリアンの方からぎゅっと握った。


「うんそうだね、僕頑張るよ、ベルに見捨てられないように」

「ふふっ、期待していますわ」


 エミリアンはベルナディットの手を引き寄せ自らの腕の中に抱き込む。頬に手を添えそうっと唇を近寄せると――


「いけませんわリア様」

「え? どうして? キスで子供は出来ないって――」

「私、楽しみにしていますの。結婚式での初めての口づけ。事故チューはノーカウントですから……ね」



 早春のうららかな日差しが二人を包む。色とりどりの花が視界を楽しませてくれる季節まであともう少し。





――――(おしまい)————




お読みくださってありがとうございました。

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