13.私まで事故チューしてしまいましたわ
「お頭、持ってきましたぜ」
二人の使用人が戻ってくると四人はベルナディットを盾にしながらそろそろと外に向かって移動を開始した。
「旦那様! 私とジョシュアを見捨てるのですか!?」
ラプレ男爵夫人の悲痛な叫びを聞いてラプレ男爵はせせら笑った。
「お前は俺に従順なだけで何の面白みもない女だったな。セイラの方が何倍もいい女だったよ」
セイラというのはカリーヌの亡き母親だ。それを聞いて男爵夫人は顔をゆがませた。
一人の少女を盾にしながら四人の男たちがそろそろと門に近づく。そこからすこし離れてダニエル達騎士団の面々が隙を窺いながら遠巻きに男たちの後を追う。
門の外に四頭の馬が見えた。二人の騎士が二頭ずつ馬の手綱を掴んでいる。
「おい、お前ら、門を開けて外の騎士から馬を受け取れ!」
ラプレ男爵は二人の使用人に指示を出し、外の騎士に呼びかけた。
「騎士様よう、こいつらに大人しく馬を引き渡しな。妙な真似はするなよ」
男爵の部下が馬に近づいたとき、一頭の馬が「ヒヒ―ン!」と突然いななき棹立ちになった。
「あっ! 大人しくしろ!」
騎士が必死に宥めようとするが馬は興奮して今にもこちらに向かって突進して来そうな勢いだ。全員の注意がそちらに向かったその時——
ザザッ! ガツッ!!
何が起こったのかわからないが、ベルナディットは何かに抱きしめられたまま地面に転がっていた。そのまま二人で地面をゴロゴロと転がる。
周囲では「この野郎!」とか「観念しろ!」「逃げろ!」「逃がすな!」といった声と共に金属がぶつかる音や鈍い打撃音などがしている。
しかしその音もすぐに止んだ。ガサガサと近づいてくる足音がして頭上から「おやおや」というダニエルの呆れた声が聞こえた。
「ベルナディット、怪我は無いか?」
頭上からダニエルに聞かれてベルナディットは起き上がろうとした、けれども起き上がれない。怪我をしているわけではない。ベルナディットを抱きしめている人物が放してくれないのだ。せめて返事をと思ったが、口が開けない。ベルナディットの口は熱い何かで塞がれていた。
ベルナディットは必死に手を伸ばし抱きしめている人物の背中をポンポンと叩いた。
「はっ! ベル! ベル大丈夫? 怪我をしていない?」
エミリアンはガバッと起き上がりベルナディットの肩を掴んで顔を覗き込んだ。
「はい、私は大丈夫ですわ。それよりリア様……今、私たち……」
「え? あ……」
エミリアンにしっかりと抱え込まれていたベルナディットに怪我は無い。シモンに傷つけられた喉は今更のようにチリチリと傷むけれどそれくらいだ。片やエミリアンは服のあちこちが擦り切れ土まみれで擦り傷もいくつかあるようで惨憺たるありさまだった。しかしその恰好も気にならないようで、今二人は真っ赤な顔でお互いに見つめあっている。彫像のように固まった二人の遠くの方で騎士が馬に「傷つけてごめんな」と言っているのが聞こえた。
「うーん……」
ベルナディットは伸びをしてベッドから起き上がった。
「お嬢様、お目覚めですか?」
侍女の声でベルナディットは一気に昨夜の記憶が蘇ってきた。
ラプレ男爵の晩餐会に行って帰り道何者かに襲われた。エミリアンが助けてくれてそれから王宮に行ってラプレ男爵が実は古代魔道具を盗んだ盗賊だと聞いた。騎士団とラプレ男爵邸に引き返してそれから人質にされて危ないところを……
そこまで考えてベルナディットは真っ赤になった。(わた、私……リア様と事故チューをしてしまいましたわ!)
昨夜はいろいろな事があったのにもうその事しかベルナディットは考えることが出来ない。
(もし、もしお腹に子供が出来てしまったらお父様はお怒りになるかしら。ああ、学院は辞めなくてはいけないわね。カリーヌの子と同い年になるのかしら。ふふっ、リア様はいきなり二人の子の父親になってしまいますのね)
「お嬢様、お顔が赤いですわ。もしやお熱が?」
心配そうな侍女の声でハッと我に返る。
「いいえ、大丈夫よ。それより今は何時?」
「お昼を二時間ほど回ったところですわ」
「まあ大変! 寝過ごしてしまったわ」
「いいえ、お嬢様がお戻りになられたのは明け方でしたからゆっくり寝かせておくようにという旦那様の指示ですわ。私は何があったのか存じませんが酷くお疲れのご様子でしたし、殿下がたがいらっしゃる時間までもう少し余裕がございますからもう一度横になられては?」
気づかわし気な侍女に大丈夫というように微笑んでベルナディットは言った。
「体調は本当に悪くないのよ。それよりお腹が空いてしまったわ、何か軽いものを用意して下さる?」
ベルナディットが元気そうだと安心して「はい、只今」と部屋を出ようとする侍女にベルナディットはもう一つ頼みごとをした。
「それとカリーヌの様子を聞いて来てくれるかしら。私と一緒にここに連れてきたお友達なのだけど」
「あの、その方なのですが……」
困った顔の侍女に事情を聞いてベルナディットは部屋を出た。
階段を下りていくとエントランスホールで柱を磨いているカリーヌがいた。その傍でメイド長がオロオロしている。
「カリーヌ、何をしているの?」
「あ、ベル様」
ガバッとカリーヌはその場に平伏した。
「あ、あの、虫のいいお願いなのはわかっているんです。でも、あたしにはベル様しか頼る人がいなくって、だからここで雇っていただけませんか? 下働きでも何でもしますから」
「カリーヌ、立ってくださいな。もちろんそのつもりよ。でも今日は私の友人としてここにお招きしたのよ。だから一緒に来てくださる?」
ベルナディットはカリーヌの手を取って立ち上がらせると部屋に引き返した。部屋のテーブルには先ほど頼んだ軽食が並べられている。
「さあ座って下さいな。食事はいただいたの? でしたら飲み物だけでも付き合ってくださいな」
メイドに指示をしてハーブティーをカリーヌの前に置いてもらう。
「……父さんは悪いことをして捕まったんですよね。あたしも捕まるんでしょうか?」
椅子に座りながらも身を固くしてカリーヌは聞いた。握りしめた拳はわずかに震えている。
昨夜いや今日の早朝、ベルナディットはエミリアンとアルフォンスに付き添われてレミュザ侯爵邸に帰って来た。騎士に抱かれた意識を失っているカリーヌも一緒だ。
早朝にもかかわらずレミュザ侯爵は直ぐに姿を現した。
「ベル、無事なのか? 怪我していないか?」
レミュザ侯爵はベルナディットを抱きしめながらも首に巻かれた包帯を素早く見た。
「アルフォンス殿下、エミリアン殿下、一体どういうことですかな?」
眼光鋭く二人の王子を睨みつける。
「レミュザ侯爵、すまない。ベルに傷を負わせてしまった」
「お父様、リア様は私を助けてくれましたのよ、それも二度も」
エミリアンの謝罪と侯爵の腕の中のベルナディットの声が被った。
「しかしベル、私には何が何だか。昨日屋敷に戻って来たラウールにお前の馬車が襲われたことを聞いた。居ても立っても居られなかったが、王宮で預かるというので今日王宮に迎えに行こうと思っていたのだ。そうしたらこんな早朝に帰ってきたと言う。いったい何があったのだ?」
「レミュザ侯爵、それについてはゆっくりと説明をさせていただきたい。しかし今はベルナディット嬢も疲れ切っている。どうだろう、我々は一旦王宮に引き返し夕刻またこちらに伺うというのは? まずはベルナディット嬢をゆっくり休ませては?」
アルフォンスの申し出にレミュザ侯爵は頷いた。腕の中の娘は疲れ切っているように見えたからだ。首に包帯を巻いているし、ドレスも薄汚れてところどころ破れているようだ。
「それから申し訳ないがこちらの娘を預かってくれないか?」
アルフォンスが騎士に抱かれたカリーヌを見た。
「この娘は?」
「お父様、カリーヌです。侍女にしたいといった私のお友達ですわ」
レミュザ侯爵は目をパチクリさせた。娘が友達を侍女にしたいといってラプレ男爵邸に行ったのは昨晩の事だ。その日のうちに連れてくるなんて聞いていない。それにどうしてアルフォンス殿下が預かってくれなどというのだろう? その横でエミリアン殿下が深く頭を下げているのはどうしてなんだ?
「わかりました、この娘はひとまずベルの友人としてこの屋敷に滞在させましょう。その説明も夕刻に」
「ああ、ではよろしく頼む」
そう言って二人の王子は帰って行った。
ベルナディットは身を固くして拳を握りしめるカリーヌを見た。カリーヌは気を失ってしまったのでベルナディットが自分の父親に人質にされたところは見ていない。そのことは良かったとベルナディットは思った。もしそれを見ていたらカリーヌはベルナディットに顔向けできないと屋敷を飛び出したかもしれない。もっとも良かったなどといえるのは直ぐに救出されたからだ。あのまま馬に乗せられて連れ去られてしまったら同じように思えるかはベルナディットにもわからなかった。
そんな場面を見ていなくても父親が悪いことをして捕まったのはカリーヌも知っている。犯罪者の娘になってしまったのは知っている。だから侍女としてレミュザ侯爵家に雇ってもらうことはもう無理だと目覚めたカリーヌは思ったのだろう。でも彼女には他に行くところなど無かった、お腹の子供を無事出産するためには何とかこのお屋敷で働かせて欲しかった。
「カリーヌ、正直に言うわね、私もカリーヌを侍女として雇えるかはわからないの。でも侍女じゃ無くてもうちで必ずあなたの面倒は見るわ。あなたが赤ちゃんを産むまでは軽い仕事にしてもらうつもりだし、赤ちゃんが生まれたら私も協力して育てるわ。だから安心して今は身体を休めるのよ」
「ベル様、そんな……そんなにしていただいていいのでしょうか?」
「いいのよ、私が助けるのはお腹の子のお父様の代わりよ」
ベルナディットが微笑むとカリーヌは驚いた顔をした。
「そんな、ベル様には何の関係もないのに……」
(私には関係ないけれど私の婚約者の事だから)その呟きは口に出されることは無かった。
「ありがとうございます。一生懸命お仕えします」とカリーヌは頭を下げた。
夕刻に王子たちがレミュザ侯爵邸を訪れた。今日訪れたのはダニエルとエミリアンだ。
騎士団の隊長でもある第二王子が訪れたことにレミュザ侯爵は内心驚いたが、顔には出さず最上級の賓客をもてなす応接室に二人を通した。
「レミュザ侯爵、この度はご令嬢に怪我を負わせてしまって申し訳なかった」
ダニエルは謝罪をした後に今回の事件のあらましについて語った。
「なるほど、娘が持ち帰った物から手がかりが掴めたと……事件と娘の関わり合いについてはわかりましたが昨夜の捕り物に娘が同行する必要はなかったのでは?」
「お父様、私が連れて行ってくださいとお願いしたのです」
レミュザ侯爵の詰問に答えたのはベルナディットだ。
「しかしなベル、いくら友達が心配でもそんな危ない場所にお前が行く必要はないだろう? 殿下もどうして止めてくれなかったのですか」
「それについても申し訳ない、浅慮だった。ラプレ男爵の娘を保護するのはレミュザ侯爵家が都合がいいと思ってだな」
ポリポリと頬を掻くダニエル。
「そのことも説明しなくてはならないがまずはラプレ男爵の娘に取り調べを行いたい、別室を用意していただけるか?」
そう言ってダニエルは部屋の隅に青い顔をして控えていたカリーヌを見た。カリーヌがこっくりと頷くとダニエルは騎士二名を伴って別室に消えた。