10.危機を救ってくださったリア様、素敵ですわ
ラプレ男爵家を辞し、帰りの馬車に揺られながらベルナディットはカリーヌの事を考えていた。
別れ際、カリーヌは涙をぽろぽろ流しながらベルナディットに感謝した。「一生ベル様にお仕えいたします」と熱い瞳でベルナディットを見つめた。
(私はそんな価値ないのだけれど……)とベルナディットは自嘲する。カリーヌが心配なのは本当だ、父に告げたようにカリーヌを好ましくも思っている。でもそれと同時に憎らしくも思っているのだ。それをベルナディットは心の奥底に押し込めて隠している。数か月前、東の庭園でカリーヌが妊娠していることを知った。その事にエミリアンが異常な執着を見せた時にベルナディットの心の奥底にどす黒い感情が生まれた。のほほんと幸せに育ってきたベルナディットにはまったく覚えのない初めての感情だった。
そしてカリーヌのお腹の中の子がエミリアンの子供だと知った時の衝撃!!
それはじわじわとベルナディットの心を侵食した。それでもベルナディットはエミリアンを嫌いにはなれなかった。それどころか今まであまり自覚していなかったのにエミリアンを深く愛していることを自覚してしまった。エミリアンはベルナディットを愛してくれていて、エミリアンもカリーヌも双方に恋愛感情が無いことはわかっている。子供が出来てしまった事はまったくの事故だったのだ。それでもふとした瞬間にエミリアンの子を宿したカリーヌの事を羨ましく思ってしまう。
(カリーヌを助けてあげたいという気持ちもあるけれど、カリーヌとリア様を近づけたくないという打算も私にはあるのだもの)
ベルナディットが手を差し伸べなければカリーヌを助けるのはエミリアンだろうし、そうすれば二人は惹かれ合ってしまうかもしれなかったから。
ガタン! と馬車が停まった。
「どうしたの?」とベルナディットが聞く前に御者から「お嬢様!! 絶対に外に出ないでください!」
と声が飛んできた。
それと同時に護衛の「何者だ!?」と誰何する声や数頭の馬の蹄の音、物がぶつかる音などが聞こえた。
争う声や人や物のぶつかる音、叫び声や馬のいななく声、それらを聞きながらベルナディットは両腕を抱きしめるようにして馬車の中でじっとしていた。
この馬車は誰かに襲われているようだ。ラプレ男爵の屋敷は貴族の住む地域からすこし離れたうら寂しい場所にある。とはいえ同じ王都の中なので護衛は二人ついてきただけだ。その護衛は必死に戦ってこの馬車を守ってくれている。ベルナディットにとっては長い長い時間、でも多分実際は十分にも満たない時間が経った頃、新たな蹄の音や人の声が聞こえた。
護衛騎士のラウールの「助かった!」という声も聞こえたのできっと味方が駆け付けてきてくれたのだろう。
それでも用心しながら馬車の中でベルナディットが身を固くしていると数頭の馬が駆け去って行く音の後に馬車の扉がノックされた。
「ベル! ベル、大丈夫? 怪我してない?」
その声が聞こえるとベルナディットは急いで馬車の扉を開けた。そうして扉の目の前の人物の胸に飛び込んだ。
「リア様! リア様!」
どうしてエミリアンがここに居るのかとか、襲ってきたのは誰でその者たちはどうしたのかとか聞きたいことは沢山あるのだけれどそれらは言葉にならず、今更のようにこみ上げてきた恐怖に身体が震えてエミリアンの名前を呼ぶのが精一杯だった。
「ベル、大丈夫だよ。襲ってきた奴らは全て追い払ったよ。御者や護衛騎士は怪我をしているけれど命には別状ない。ベルは大丈夫?」
「わ、私は……ば、馬車に隠れていたから……怪我は、あ、ありません」
「それでも怖かったよね、ごめんね、もう少し早く駆けつけていれば」
エミリアンがベルナディットを落ち着かせるように背中を撫でながら優しく話しかけるとやっとベルナディットは言葉が出てくるようになった。
「お嬢様、お怪我は?」
エミリアンの護衛騎士に応急手当をしてもらったレミュザ侯爵家の護衛騎士ラウールがベルナディットの所に駆け寄ってきた。頭に巻いた布も腕を縛った布も血が滲んでいる。
「私は大丈夫ですわ、ラウールや皆さまが助けてくださったおかげです。本当にありがとう」
こみ上げてきた涙をこらえてベルナディットが微笑むとラウールはホッと息をついた。
「あいつらはお嬢様を攫おうとしているみたいでした、お嬢様がご無事で何よりです。エミリアン殿下、ありがとうございました、正直俺たちだけではお嬢様をお守りすることが難しかったかもしれません。殿下が駆け付けてきてくださって助かりました」
ラウールは深く頭を下げた。
ベルナディットはそれを聞いて今更ながらにハッとしてエミリアンの袖を掴んだ。
「リア様、リア様が偶然通りかかって駆けつけてくださったおかげで助かりました、ありがとうございます。ですが……リア様は賊と戦ったのですか? 大丈夫ですか? もしやお怪我などされていませんか? ああどうしましょう……リア様が――」
焦ってエミリアンの腕を持ち上げたり顔や体をぺたぺた触って傷の有無を確かめるベルナディット、エミリアンは苦笑しながらされるがままになっている。
「ベルナディット、心配しなくてもエミリアンは傷一つ無いぞ。あんなに強いなんて意外だったな。おかげで賊を逃がすのに苦労した」
背後から声が聞こえてベルナディットが振り返ると暗がりの中から近づいて来たのはエミリアン同様どうして今こんなところに居るのかわからない人物、第四王子のアルフォンスだった。
「え? リア様は私の跡をつけて?」
ベルナディットの言葉にエミリアンはばつが悪そうな顔をした。
「いや、ベルの跡をつけたわけではないよ。えっと、ベルがラプレ男爵令嬢の家に行くと言っていたから気になって……」
ベルナディットがカリーヌの家に行ってカリーヌを侯爵家で預かる話をすると言っていたのでエミリアンはいてもたってもいられずラプレ男爵家の近くまで出向いてきたのだ。ベルナディットがカリーヌの事で動いているのはエミリアンの為だ、なのにカリーヌのお腹の子の父親である自分が何もしなくてもいいのだろうかと焦燥感に駆られここまでやって来たのだった。
夜の闇が辺りを支配してしばらく後、やっと男爵家の門からレミュザ侯爵家の馬車が出てきた。
それを物陰から見送ってエミリアンは後を追おうとした。
ベルナディットに「リア様が動くと事が大きくなりますから私にお任せくださいね」と言われていたのでベルナディットの前に姿を現すのは憚られたが、ベルナディットが侯爵邸に帰りつくまでは離れた場所からそっと見守ろうと思ったのだ。
しかし、男爵家から離れて幾ばくもしないうちにエミリアンは呼び止められた。呼び止めたのはアルフォンス。エミリアンは護衛の近衛騎士を三名引き連れて騎馬だったがアルフォンスも五名ほど近衛騎士を引き連れて騎馬だった。
そうしてアルフォンスと話をしているうちにレミュザ侯爵家の馬車を見失ってしまい、急いで追いかけたところ、ベルナディットの乗った馬車が襲われていたのだった。
「いやあ、あの時のエミリアンは素早かったよ。物凄い勢いで馬を駆って行ったと思ったら賊の中に踊り込んであわや切られそうになっていた侯爵家の騎士を見事助けたんだ。近衛騎士たちはおいてけぼりだったな」
暢気に話すのはアルフォンスだ。
ここは王宮の奥まった一室、あれからベルナディットはアルフォンスに誘われ王宮までやって来たのだ。レミュザ侯爵家の馬車と護衛騎士は侯爵家に帰ってもらい、襲撃の事とベルナディットが今夜は王宮に泊まることを報告してもらうことにした。
そうしてエミリアンの馬に乗せてもらって王宮にやって来たベルナディットは今まで入ったことの無い奥まった一室に案内されたのだった。
部屋に入るとアルフォンスは部屋の隅に置かれた奇妙な形の置物を弄っていたが、「フォン」と音が鳴ると満足そうに言った。
「さあ、座ってくれ。この部屋の音は絶対に外に漏れないから安心して話が出来る」
部屋には侍従やメイドも、護衛騎士すらいない。お茶はアルフォンス手づから入れてくれた。
そうしてアルフォンス、エミリアン、ベルナディットの三人でソファーに座り話を始めたのだった。
「それよりアル兄様、賊を逃がすのに苦労したとはどういう意味ですか? まさかとは思うけどあの賊はアル兄様の差し金ですか?」
険しい顔をしてエミリアンがアルフォンスに詰め寄る。兄様たち大好きのエミリアンがこんな顔をしてアルフォンスに話すのは珍しい。エミリアンは襲撃現場で言ったアルフォンスの一言がずっと気になっていたのだった。
「いやまさか、そんな訳ないだろう」
「でもアル兄様は先ほど――」
「まあ待て、順を追って話すよ。君たちもそろそろ知っておいた方がいいからね」
アルフォンスの言葉にエミリアンとベルナディットは顔を見合わせる。
「これを覚えているかい?」
アルフォンスが取り出したのはベルナディットがラプレ男爵家から持って来てしまった古ぼけた飾りだ。
二人が頷くとアルフォンスはその中央の石を指さして言った。
「この石は魔石だ。だからこれは古代魔道具の一部なんだよ」