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1.事故チューはノーカウントですわ

 新連載です。

 十五話以内に終わる予定です。よろしくお願いします。


 ベルナディットは隣を歩くエミリアンの様子をそっと伺った。

 ここはユニス貴族学院の東の庭園。アベラール王国の王都の名を冠するユニス貴族学院はこのアベラール王国の中枢を担う貴族の子女が十五歳から三年間通う学院である。


 エミリアンは庭園の草花を眺めているようでありながら心は別の事を考えているようだ。口元には柔和な笑みを浮かべながらも時折眉間にわずかな皺をよせたり瞳が宙を彷徨ったりしている。目の下にはうっすらと隈も見える。ここ数日彼の様子はずっとこんな感じだったので心配になったベルナディットは「今日の昼食はガゼボでいただきませんか?」と彼を連れ出したのだ。

 季節はもうすぐ初夏という頃で少し日差しが強くなってきたものの爽やかな風が吹き、木々は精一杯枝を伸ばして若葉の柔らかい緑がそよそよと風に揺れている。庭師の手によって自然に見えるように配置された色とりどりの花が咲き乱れ散策する者の目を楽しませてくれる。


「あら、いい匂いですわ」


 風に乗って香る花の香にベルナディットはふと足を止めた。しかし立ち止まったベルナディットに気づかずエミリアンはスタスタと歩いていってしまった。色とりどりの花や頬を撫でる爽やかな風もエミリアンの気鬱を晴らす役目を果たしてくれなかったようだ。一つため息をこぼして大きなバスケットを抱えなおしベルナディットはエミリアンを追いかけた。昼食の入ったこの大きなバスケットも以前のエミリアンであればベルナディットに持たせるようなことはしなかった。


 ガゼボに到着してテーブルの上にバスケットを置き、ベルナディットはかいがいしくランチの準備を始めた。と言ってもこのガゼボで昼食をとりたいとあらかじめ言ってあったのでガゼボや周囲は綺麗に掃き清められテーブルにも真っ白なクロスがかけられている。ベルナディットはその上に用意してもらったサンドウィッチや鳥の甘辛煮、サラダやフルーツなどを並べていくだけだ。


 侍女などは周りに居ないが学院内であるとはいえこの国の王子であるエミリアンには常に護衛が遠巻きについている。彼らはエミリアンとベルナディットの邪魔にならない場所で警護に当たっている筈だった。


「リア様、こちらのサンドウィッチは我が侯爵家のシェフ自慢のローストビーフを挟んであるのです。実は私も作るときに少しお手伝いさせていただいたのですよ」


 携帯用のポットから冷たい紅茶を注ぎエミリアンの前に置いた後、ベルナディットは恐る恐るエミリアンにサンドウィッチの入ったケースを差し出した。


「君が……?」


 驚いたように目を見張ってエミリアンはサンドウィッチを一つ掴んで口にした。


「ええ。でも……ふふっ、私がしたことはレタスをちぎったりパンにマスタードを塗ったりと簡単な事だけですけど」


 侯爵家の箱入り娘が厨房に足を踏み入れることは無い。ましてや簡単なこととはいえ料理を手伝うなどベルナディットにとっても初めての経験だっただろう。


「……美味しい……」


 エミリアンの目からぽろっと一粒の涙が零れ落ちた。


「え……あ、あのマスタードが効きすぎてしまいましたか? 味はシェフが保証してくれましたけどもしやリア様の苦手な物が?」


 あたふたして残りのサンドウィッチを引っ込めようとするベルナディットの手を押さえてエミリアンは二つ目のサンドウィッチに手を伸ばした。


「いや、とても美味しいよ。君が作ったと聞いたらますます美味しく感じる。どうかもう少し食べさせて欲しい」


 そう言いながらもエミリアンの両の目からは次から次へと涙の粒が浮かんでは零れ落ちる。ベルナディットは唖然とその様子を眺めていた。

 

「リア様、何を悩んでいらっしゃいますの? 出来ましたら私にもその苦悩の一端を担わせていただきたいのですが……」


 泣きながらローストビーフやシュリンプなどのサンドウィッチを完食しデザートまで平らげたエミリアンを見て少し安堵しながらベルナディットは切り出した。憔悴した様子ではあるがエミリアンは食欲はあるようだ。食べられるうちは大丈夫、お腹がいっぱいになれば思考も前向きになる。


「……」


 しかしなかなかエミリアンは口を開かない。悩まし気にベルナディットを見つめるだけだ。


「リア様、私はリア様の婚約者なのです。リア様の悩みは私の悩みですわ。どうか打ち明けてくださいませんか?」


 重ねてベルナディットが問いかけるとようやくエミリアンは重い口を開いた。


「……僕は……過ちを犯してしまったんだ……君に顔向けできないような過ちを……」


 そう言いながらまたもエミリアンの綺麗なエメラルドの瞳に涙の粒が盛り上がっていく。

 先ほどしてあげたようにベルナディットは立ち上がってエミリアンの傍に寄るとハンカチでその涙を拭きながら優しく語り掛けた。


「どのような過ちなのでしょう? どのような過ちでもリア様に寄り添う覚悟は出来ておりますわ、詳しくお話になって下さいませ」


 ベルナディットに促されてようやくエミリアンは泣き止み五日前の出来事を話し始めた。


 


 その時、エミリアンは二人のクラスメイトと共に武術練習場から戻る途中だった。武術練習場は校舎とは別棟で教室に戻ろうと校舎の入り口に差し掛かったところだった。

 校舎のエントランスには三段ほどの低い階段がある。その下の段に足を掛けた時、頭上で「きゃあ!」という悲鳴が聞こえた。顔を上げるのと上の段から女生徒が降ってくるのが同時だった。校舎の中から走って来た女生徒がエミリアンのすぐ上で躓いて倒れ込んできたのだ。咄嗟にエミリアンは彼女を受け止め、受け止めきれずに二人で地面に転がった。


 隣に居たクラスメイトの男子生徒に引き起こされ、護衛が駆け付けるまでエミリアンは茫然としていた。女生徒が護衛に叱られ平謝りに謝って、故意ではないので何とか許して欲しいと懇願する間も茫然としていた。幸い、エミリアンが受け止めたことで女生徒には怪我がなく、エミリアンも制服は汚れてしまったもののどこにも怪我は無かった。女生徒がお礼を言って去って行っても、その後教室に入り次の授業が始まってもエミリアンは茫然としていた。


「え? リア様はその女生徒を助けてあげたのですよね? 彼女はリア様が受け止めていなければ怪我を負っていたかもしれないのでしょう? リア様は良いことをなさったのではありませんか?」


 ベルナディットの問いにエミリアンは苦渋の表情を浮かべ言葉を絞り出した。


「……触れてしまったのだ……」

「え? 何が?」

「だから! 彼女を受け止め、地面に転がった時に触れてしまったのだ! か、彼女の唇と僕の唇が!! それも助け起こされるまでずっと!!」


「それは……」


 一瞬動揺したがベルナディットは直ぐにかぶりを振るとエミリアンの目を見て言い切った。


「それは事故ですわ」

「事故?」

「ぶつかったのが偶々唇と唇だっただけ。手や頭がぶつかる事と何も変わりありませんわ! えーと……確か私聞いたことがありますわ。事故……事故チューというのだそうです!」


 ベルナディットとて平気なわけではないが話を聞く限りエミリアンに非はない、これは単なる事故だと納得してしまおう。


「事故チュー?」

「ええ! 巷で流行っている小説にはよく出てくる出来事だそうですわ」

「事故チュー……よくある出来事……では僕は君を裏切ったわけでは……」


 エミリアンの顔に安堵の色が広がった。


「リア様は私を裏切ったりしておりませんわ。それともリア様はその女生徒に心を奪われたりしたのでしょうか?」


 ちょっと拗ねたようにベルナディットが言うとエミリアンは即座に否定した。


「それはない! 僕の婚約者はベルだ。ベル以外に心を奪われたりなんかしないよ! でも、事故とは言え僕は他の女性と初めての……」

「事故チューはカウントされませんわ!」

「ノーカウント?」

「そうです。ですからリア様の初めてのく、く、口づけはまだなのです!」


 真っ赤になって言い募るベルナディットを見てようやくエミリアンの頬に笑みが浮かんだ。


「良かった……僕の初めてはベルに取っておくことが出来たんだね」


 そうしてここ何日かの憂いを晴らしたエミリアンはベルナディットの手を握った。


「ああ本当によかった。僕は君との結婚式で初めての口づけを交わすことが出来るんだね。その日が待ち遠しいな」

「私も待ち遠しいですわ」


 とんでもなく純情な二人はガゼボで微笑み合う。さあっと花の香を乗せた風がガゼボの二人を包みこむ。もうすぐ情熱の季節がやってくるとばかりに太陽が煌めいた。



 ……とこれで終われば何ということもない話だったがこの話はこれで終わりにならなかった。



 






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