第239話 vs魔王
「走りながらですみませんけど、現世界の状況教えてもらえませんか!? 一条さんと連絡途中で通信が切れてしまって!」
「淫魔の女王が神隠し事件でこちらの戦力を削り、向こうの戦力の増強をしました!」
それだけでも厄介だが、問題は魔獣の出現やスキルについてだ。
「その後、淫魔の女王は掲示板システムと、ダンジョン、さらにはステータスやスキルまでも、すべて扱えないようにしました!」
そんなにもか! そんなことされたら、現世界のダンジョン探索者がまるで機能しなくなる!
「掲示板は探索者専用のものではなく、一般のものを使えばひとまず情報共有できませんか!?」
「まずは情報を遮断する気なのか、掲示板含めたあらゆるメディアは強力な魔力で妨害されていて機能していません!」
やりにくいなあ! この分だと通信も無理だろうな。
一条さんが俺たちに連絡できたのは、現世界と異世界の通信という例外だったからか。
淫魔の女王もさすがに、そんな限定的な通信までは妨害しなかったんだろう。
「メディアを封じるときにも行いましたが、その後改めて脳内に直接声を届けました! 現世界のすべては自身の餌場であったと!」
宣戦布告……いや、戦うつもりですらない、もっと傲慢な宣言だ。
「ダンジョンも! スキルもステータスも! すべては、淫魔の女王が現世界に作り出した、自身の餌の養殖場だったんです!」
……たしかに、異世界のダンジョンと、こちらのダンジョンの在り方は違うらしい。
魔獣は復活なんかしない。ドロップなんてない。レベルも経験値もない。
そして、スキルやステータスさえ存在していない。
それらが存在しない理由……。
それは、現世界で淫魔の女王が作ったシステムだったからか!
「効率よく……魔力や精気を蓄えた餌を作るための場所……?」
「ええ! それが私たち探索者の正体であり、ダンジョンの正体だったのです!」
だから……十分に育て終わったから、ダンジョンを崩壊させ、人々からスキルを奪い去り、餌を収穫しようとしている。
「それで、スキルが使えないと言っていたんですね!」
「ええ! それでも、戦える者たちは、今も魔王に抗っています! 姿も見せず、正体不明の魔王相手に!」
そんな先の見えない戦い、いつまでも続けられるわけがない。
それに、そんな戦いを強いられるとなれば、人々は恐れるだろう。魔王を。
まずい。どんどん向こうの策略どおりに動いている。
このままでは、現世界中が魔王に恐怖してしまい、魔王が途方もない強さになりかねない。
◇
「はぁっ……はぁっ……」
「大丈夫ですか?」
さすがに走りながらの説明は堪えたのか、神崎さんは息を荒げていた。
だけど、もう走る必要はない。
ここはハイドラと戦う前に一度訪れた場所。赤木さんが住む家だから。
「すみ、ません……行きましょう」
神崎さんの後に、俺も紫杏もシェリルも続く。
幸か不幸か、目的の人物はそこにいた。
「おや? 珍しい客人だね。それに少年じゃないか! 久しぶりだね。異世界からもう帰っていたのかい?」
変わらない。俺たちが知る赤木さんその人だ。
声も見た目も魔力さえも、最後に出会った赤木さんと何一つ違いがない。
「なぜ、ここにきたか心当たりはありますか?」
「……ふむ、この混乱を治める手助けを依頼しにきたといったところかな? しかたない、協力しよう。報酬は……こっそり、かわいいショタをくれないかい?」
「……少年少女を隷属させ、使い勝手のいい手駒にするということですか?」
「……はあ、やっぱり聖銀の杭のリーダーは、そんなお願い聞いてくれないってわけかい。もう少し頭を柔らかくしてもらいたいものだね」
不気味なほどに普段の赤木さんだ。
ともすれば、俺の推測が大外れだったんじゃないかと思ってしまう。
「そうやって、問題児を演じながら、私たちを欺いてきたということですね。アルテキアのリリカ」
「……そんな、ひどいじゃないか! ちょっと少年少女に愛を教えただけなのに、魔族扱いするだなんて!」
「デュトワの魔力は美味しかったですか?」
「少年! 君からもなにか言ってくれないか? 管理局員の冤罪だよこれは!」
「……」
「まさか、少年まで疑っていないよな!? たしかに私は赤木の凛々花だけど、そんなくだらないジョークみたいな理由で犯人扱いは……」
「赤木さんは」
彼女の言葉を遮るように俺は口を開いた。
「うん?」
「異世界に行ったことありますか?」
「なんだい急に。ないよ。異世界なんて行ったことは」
そうか……。なら、あと一つだけ。
「異世界の言葉を知っている知り合いっていますか?」
「さては、少年まで疑っているな! そんな知り合いはいないさ。残念ながら、私に異世界の情報はなにもないよ」
だとしたら、おかしいんだ……。
「だったら、なんでアルテキアのリリカから、赤木の凛々花なんて言葉が出てくるんですか?」
「……」
「アルテキアは、魔族の言葉で血染めの大樹を意味するそうです。たしかに、それを知っていれば血を赤と、大樹を木と連想して、赤木なんて言葉にたどり着くかもしれませんね」
「……」
「だけど、魔族の言葉を知らないのに、なぜくだらないジョークなんて、言葉が出るんでしょうね?」
「……あらら、目的の達成前って、ついつい気が抜けちゃうみたいね」
魔力が溢れ出す。あまりに高密度だからか、それとも魔王だからか、肌にへばりつくようなおどろおどろしい感覚に襲われる。
それと同時に赤木さんだったものは、本来の姿へと変貌していった。
とはいっても、見た目にそこまでの変化はない。髪色が変わったり、角のような器官が、翼が、尻尾が生えているが、顔も体も赤木さんのそれだった。
最後に服装までもが変化したが、見る人が見ればまるで赤木さんがコスプレしているような姿だ。
「本当に……あなたは思い通りにならなくて嫌になるわ」
やっぱり、この人が淫魔の女王だったってことか。
嫌な推測が的中してしまったことに歯がみすると、突如金属がぶつかる激しい音が響いた。
「あら、危ない。ずいぶん野蛮なのね、管理局って」
「現世界を滅ぼそうとしている魔王に、言われる筋合いはありません!」
「それもそうね」
剣で斬りかかった神崎さんの攻撃を、軽々と刀で受け止めながら魔王は笑う。
そのどちらもが異世界どころか、禁域の森でも通用する実力だ。
「やっぱりあなたが魔王だったってことか」
「こんな状況でも魔王じゃない可能性を信じてくれているの? さすがは少年。剣を教えた甲斐もあるというものさ」
「前にファントムという敵がいた。そいつは、人間に憑りついていた魔族だったからな。滅ぼされかけた淫魔の女王が、赤木さんに憑りついたという可能性も十分考えられる!」
「……あはは。ははははははっ!! そんなに、私のことが気に入っていたのかい少年? 残念。赤木凜々花なんて人間。――最初から現世界にも異世界にも存在しないよ」
……口調も声も、いつもの赤木さんだった。
だからこそ、あれがすべて演じていたものであり、赤木さんの体に魔王が取り憑いていたという、俺の都合のいい推測とは違うということも理解してしまう。
「この体はね、私が現世界にきたとき見つけた人間の死体を有効活用したの。そういう意味ではファントムと似ているわね。もっとも、私の体の持ち主は記録なんか残らないほど前に死んでいるけれど」
「ファントムと同じというのなら、死体がそんなに長持ちするはずが……」
「死の直後だったからね。そこに私の魂も生命力も魔力もすべて注いだ。そうして私は現世界に生まれ変わったの。あんなのと違ってちゃんと生きているわ。なんなら一夜をともにしてあげてもいいわよ。ちゃんと人肌もあるから」
「なんで、わざわざ上位の探索者のふりなんかを……それも、問題行動ばかりで目立つような」
「前回は、こそこそと隠れて行動したら失敗した。だから、いっそのこと悪目立ちする頭のおかしな女を演じてみたの」
たしかに……赤木さんなら、どこにいて、なにをしてもおかしくないと思っていた。
だけど、悪事だけはしない人という前提は、頭の中にずっとあった。
「面白いほど、うまくいっちゃってねえ……仕方ないから、狂った人間を演じ続けてあげたのよ」
「じゃあ……なんで、俺に剣術のことを教えたんだ」
「信用したでしょ? ああ、この人はおかしな人だけど、悪いところばかりではないって」
俺程度の成長は脅威にならない。なら、信用を勝ち取るためには、それくらい安いものってことか。
「悠長に会話している余裕がありますかね!」
「あるわよ。だって、私のほうが強いもの」
斬りかかる神崎さんの剣を、魔王はもはや刀で迎撃することさえしなかった。
軽く身をひねるだけで余裕をもって避けてしまう。
身体能力も戦いのセンスからして、歴然とした差があるかのようだった。
「合法的にぶっ飛ばせます! 喰らいなさい変態女!!」
「かわいいわね。でも残念ながらあなたじゃ実力が足りないわ」
魔王は飛びかかったシェリルの攻撃もやすやすと回避し、反撃のために刀を横薙ぎに払う。
あまりにも美しい一閃は、音もなく周囲に溶け込むほどに自然な動作でふるわれた。
「やっぱ、本体は馬鹿みたいに強いなあっ!」
風をまとい、シェリルを両断しかねない一撃をなんとか受け止めることに成功する。
だけど、これまで受け止めてきた中で重さも鋭さも段違いだ。
「あらあら、ずいぶん過保護なのね二人とも」
俺だけでなく、紫杏もシェリルを守るために動いていた。
紫杏のほうは、シェリルを抱えて魔王の攻撃を防ぐために結界を張っている。
「やらせないよ! アリシア様直伝の結界だからね!」
「戯言を……だけど、たしかに大した練度ね。あの餌から奪った矮小な結界程度じゃ太刀打ちできないみたい」
そういえば、結界も使えるのか。
よかった……。紫杏が聖女でなかったら、ファントムとの戦いのときのように結界に苦しめられていただろう。
「でも、残念。狙いはあなたたちじゃないの」
攻撃は止めた。だから油断していたのかもしれない……。
魔王は刀を振り抜く動作まで完成していた。
だから、横薙ぎの軌道の途中で斬撃を飛ばすなんて芸当も、魔王にとっては容易いことだったんだろう。
「神崎さん! 斬撃が向かっています!」
「ええ! 見えていま……す……」
神崎さんはしっかりと、油断なく自身への攻撃が見えていた。
見えていたのに……その攻撃は、神崎さんの目の前で消えてしまい、後方から現れた。
「くぅっ……!」
「あら、よく避けたわね。でも、その足じゃもう戦えないでしょう?」
神崎さんは腰を両断する斬撃を、跳躍することで回避する。
しかし……さすがに五体満足というわけではない。
斬撃は回避し切る前に到達し、神崎さんの両足を斬り落としていた。




