第237話 女王は静かに笑う
「準備してる場合でもありません! さあ、帰りましょう! すぐ帰りましょう!」
「落ち着きなさい。話も方針もまとめずに帰ったところで、なんの役にも立てないわよ」
シェリルが焦る気持ちはよくわかる。
俺だっていまだに混乱しているし気が気ではない。
なんせ、今まで住んでいた場所が、見知った人たちが、突如魔王に襲われたというのだから……。
「淫魔の女王……敵がどこにいるのか、誰なのかわからないっていうのは問題だね」
「くそぉっ! こそこそ隠れていなければ、シェリルクローで引き裂いて、すぐに問題解決してやったというのに!」
倒すべき敵がわからない。
たしかに、それは由々しき事態だ。
この問題を解決しないことには、現世界に戻ったところで、混乱に巻き込まれて場当たりな対応しかできないだろう。
「淫魔の女王……現世界の精気を吸っている……」
「吸われたら隷属っていうのが厄介ね。時間はあちらの味方になってしまうわ」
……もしかして、俺たちがこちらに来る前に起こっていた神隠し事件。あれって淫魔の女王のしわざだったんじゃないか?
神崎さんが言うには、あの事件で消えた者を追跡しようとしたけれど、魔力が消失するので追うことはできなかったらしい。
そして、しばらくしたら戻ってくるようだけど、それって隷属させられた状態で解放されたんじゃ……。
「神隠し事件で、力を蓄えながら手駒を増やしていた……?」
「……たしかに、あり得なくない話だね」
いや、待てよ。そもそもだ。俺たちが異世界に来るようになった理由はなんだ?
紫杏のためというのはもちろんだけど、わずらわしい噂から逃げる意味もあったじゃないか。
それはなぜだ? スキルを奪われたという話と、俺が複数のスキルを使えるという事実が発端だ。
スキルが消失する事件といえば……。
「魔力消失事件の犯人も……淫魔の女王?」
「……たしかに、紫杏自身が自分を犯人だと考えていたくらいだ。言っちゃ悪いけど、サキュバスほど疑わしい存在はいないね」
「でも、紫杏は犯人じゃないと思う」
「紫杏が自分を疑っていた理由の一つが、朝起きたら知らないスキルが増えていたからだったわね」
「それなら、お姉様が聖女パワーを持っていたからなので、お姉様は犯人じゃないです!」
そう。現時点で、俺はもはや紫杏が疑わしいとは考えていない。
なんせ、淫魔の女王が現世界にいたのだから、今の混乱のことを考えても一番怪しいのはそいつだろう。
「今思えば、俺のことを怪しいって噂していたのも、淫魔の女王だったのかもな」
俺が疑われるようになったのは、例の配信の一つのコメントから始まっている。
あのコメント……。もしかして、淫魔の女王が俺たちに疑いをそらすためにやったのかもしれない。
だとしたら、それだけで十分すぎる成果だ。
いや、もしかしたら俺だけじゃなくて、紫杏だって淫魔の女王に濡れ衣を着せられていたのかもしれない……。
相手は魔王だ。なんらかの手段で、紫杏の種族を知っていたのなら、サキュバスによる事件をすべて紫杏の責任とすることで、罪を逃れるなんてことも……。
そういえば、紫杏が自分を怪しいと思った理由……。
いつの間にか順序が滅茶苦茶になっていたが、知らないうちにスキルを習得していたからではない。
それに、遠隔から精気を吸収できたからというのも違う。
だって、それらは紫杏が自身を怪しんだあとに起こったことだ。
なら、最初のきっかけはなんだ?
紫杏は、どうして自分を疑うようになった?
あれは、たしか……。
――実は、さっきなんとなくステータスを見てみたら、レベルが上がってたの
そう、紫杏のレベルが勝手に上がっていたからだ。
おかしい。スキルのことは解決した。
だけど、レベルが勝手に上がるなんて、それこそ精気でも吸わない限りは……。
「ああっ!!」
「な、なに!?」
「ひんっ!」
耳が良い大地と、狼の耳のため音を拾いやすかったのか、シェリルが大層驚いてしまった。
うん、ごめんな。急に大声を上げてしまって……。
いや、謝罪より先に今の閃きをまとめたい。
もしも、淫魔の女王が、その罪を紫杏になすりつけようとしていたのなら……。
――あ~……そういやあったな。そんなものが。お前しか買わないし、使い道がないから忘れてた
――淫魔の女王は自分の代で国名を血染めの大樹へと変更したの
――異世界の敵魔王リリ……。名前の途中だけが消されているわ
――おそらく、また少年を食べたのだろう……
嘘……だろ……。
だけど、一度考えに至ってしまえば、考えれば考えるほどに辻褄が合ってしまう。
「善……。大丈夫? なんか、顔色が悪いよ?」
「ちょっと、焦るのはわかるけど無理しちゃだめよ? 青ざめてるじゃないの」
「わかった……かもしれない。淫魔の女王が誰なのか」
「さっすが先生です! 強いだけじゃなくて頭もいい!」
シェリルは素直に俺を褒めてくれるが、大地と夢子、それに紫杏は俺の様子にただならないものを感じとったのか、神妙な顔をしている。
「……誰か。ってことは、少なくとも、僕たちが知っている相手ってことだよね?」
「ああ……」
これが俺の勘違いや、的外れな考えであれば、それでいい。
むしろそれで俺が馬鹿にされるだけで終わるなら、どれだけありがたいか。
だけど、今はみんなに考えを共有しないといけない。
「赤木凛々花。彼女が淫魔の女王だと思う」
「……冗談、ではないんだね?」
「ああ、完全に確証があるというのも違うけれど」
「え~と、そう思った理由は?」
当然ながら、大地も夢子も怪訝な表情で尋ねてくる。
疑っているというよりは、急に突飛な考えを挙げたので困惑しているのだろう。
「紫杏は、自分のことを魔力消失事件の犯人かもしれないと不安がっていた。その最初のきっかけは、知らないうちにレベルが上がっていたことだ」
だからこそ、無意識に精気を吸ってしまったのではと悩んでいた。
「紫杏が夜抜け出していないと仮定した場合、なんらかの方法で紫杏に経験値を与えたやつがいる」
「それって、紫杏にわざと吸われたとかじゃなくて、別の方法でってことだよね?」
「ああ、さすがに部屋に入ってきてそんなことしたら気づくだろう。となると、俺が知っている方法はキューブを使うことだ」
「……まあ、他にも方法があるかもしれないけれど。キューブに魔力を溜めて紫杏に使うこともできるね」
「キューブは魔力変換効率が低すぎて不人気というか、忘れ去られていた。作っていた厚井さんでさえ忘れていたほどだ」
だけど、このキューブを愛用していた人がいる。
「たしかに、赤木さんだけだね。キューブを愛用しているのって」
「そういえば、赤木さんの名前って……リリカだったわね」
「ああ、血染めの大樹のあたりに残っていた名前には該当するな」
それともう一つ。血染めの大樹についても気になることがある。
「血染めの大樹って真っ赤な木だよな」
「……それで赤木? 安直な……いや、でもそうか。淫魔の女王にとって名前と力は密接な関係となる。常日頃から、魔力の源に関する名前を無意識に呼ばされていた……?」
下手したら、あの赤い木から力を搾り取ろうとしていたか、反対にあの木を復活させてなにかを企んでいたか。
そう考えることもできてしまう。
「それと、赤木さんは頻繁に若い探索者に手を出していた。捕まらない範囲を見極めて堂々とな」
「……そういうやつかと思って、いつの間にか諦めていたかもしれないね」
「もしかして、そのときに精気や魔力を吸っていたってこと……?」
「全部可能性の話だ。確証が一つもない」
全部偶然かもしれないし、紫杏のレベルだって別の方法で上がるのかもしれない。
だけど、これだけの偶然が重なってしまうと、どうしても疑わしい。
「善……そろそろ」
大地に促されて気づいたが、クウが現世界へのゲートを作ってくれてもう一時間か。
だめだ。悩んでばかりで、確証のない結論しか出せなかった。
「まずは……赤木さんを問いただすしかないか」
それだけを決めて、俺たちは現世界へと戻ることにした。
「……」




