第233話 神狼降臨
「私たちも魔獣食べたほうがいいのかしら……」
「それよりは、魔術ではなく魔法を使えるようになるべきなんだろうね」
精霊たちと別れて森の奥へと進んでいると、ふいに夢子と大地がそんな話をしていた。
だけど、魔獣を食べすぎると体質次第では魔力が暴走する。
それに、二人とも二年前に悩んだ末、魔術の方がイメージしやすいこともあり、魔術で戦うと決めていた。
「今から慣れない戦い方するのは危なくないか?」
「それはそうだね」
「ただ、今のままで大丈夫か不安なのよね」
「大地は敵を弱体化させてくれているし、夢子は敵をけん制したり、誰かの魔力を一時的に増幅してくれているから、十分だろ」
大地がいるだけで敵が何割か弱くなるし、夢子がいるだけで主にシェリルがこれまた何割か強くなる。
これがあるかないかでは戦闘も大きく変わってくるからな。
「……そうね。今から変に戦い方を変えるよりは、そのやり方を徹底しましょ」
「そうなると、クウ様に毒が効くのかがかなり不安になってくるけどね……」
ああ、たしかにそれはあるな。
神様……今は違うけど、元神様ってどれほど状態異常への耐性があるんだろう。
「……」
今後の二人の戦い方を話していると、紫杏が足を止めた。
「紫杏?」
「……くる」
突然のことだった。
この森に入った時にあまりの膨大な魔力に、まるで外界と森が別世界のように感じた。
それと同じことが再び起こったのだ。
「な、なに……この魔力」
徐々に増していくとかではない。本当に一瞬のうちに、俺たちの周囲一帯が高密度な魔力で染まってしまう。
そして、その中から俺たちへ明確な敵意のようなものが感じ取れる。
「……いいの? 私から注意をそらしている余裕はある?」
紫杏がその魔力の持ち主にそう言葉を投げかけると、俺が感じる敵意が薄れたように思えた。
つまりそういうことなんだろう。
この魔力と敵意の持ち主は、元女神のクウ様であり、紫杏は森に入ってから今までこの圧力を感じ続けていたのだ。
「ありますよ。森の者が相手でも、外の者が相手でも、やることは変わりません」
透き通るような声だった。
神様だからなのか、彼女本来の性質なのか、およそあの暴力的な魔力の持ち主だなんて思えない。
おだやかで争うことなど想像させないような声。
それが、俺が初めて聞く神様の言葉だった。
「この森にいる者はすべて屈服させました。あとは、あなたたちを倒せば終わりです。私が王として、禁域の森に君臨します」
「そう。でも、私たちは戦いにきたわけじゃなくて、クウ様にお願いがあってきたんだけど」
「クウは私です。そして、話があるというのなら、まずはあなたたちを倒してから聞きましょう」
「喧嘩っ早いな、もう!」
速い。紫杏とクウ様が一瞬の攻防を展開する。
俺がこれまで見てきた最速はシェリルか、あるいはスライムが模倣した赤木さんもどきだ。
だけど、紫杏のやつこれほどまでに高速で戦うことができたのか。
「この時期に禁域の森に入ってきた。ならば、戦うのは当然のこと。そんなことも理解できないようであれば、母が守り続けた森への侮辱です」
「よくわかんないけど、まずは倒せってことでしょ!」
どうやら、入る時期に問題があったことには間違いないようだ。
というよりは、心構えが足りていなかったか。
アルドルさんの言葉を、今になってようやく理解できた気がする。
ここではまず力を示さないといけない。会話なんて二の次で、初めて出会った相手はねじ伏せる。
それで互いの優劣を決めてから、ようやくそれ以外のことを行える余裕が生まれてくる。
「あなたを倒せばそれで終わりです。私と戦えるのはあなたくらいでしょうからね」
「王様目指すにしては見る目が足りてないんじゃない? 私の仲間はちゃんと強いよ」
クウ様の戦闘スタイルは、種族が似ているためかシェリルと同じだ。
目にもとまらぬスピードで縦横無尽に動き回り、鋭い爪で相手を切り裂く。
問題は、その水準がパワーアップしたはずのシェリルさえもはるかに凌駕している。
膨大な魔力を込めているためか、その攻撃の鋭さだけでなく重さまでもが規格外。
地面程度なら簡単にえぐるあたり、あのハイドラや竜の一撃以上の重さだろうし、その爪の鋭さは結界さえも引き裂いてしまう。
しかしそれはまだましだ。
「余裕がないなあ! 神様って、もっとどんと構えているもんじゃないの!?」
「今の私は神ではありません。この森の王に君臨すべく、対抗勢力を倒して回っている一介の獣人にすぎません」
問題は、そのあまりにも速い動きのほう。
紫杏はなんとか対処できている。
クウ様の攻撃をかわし、受け流し、あるいは結界でそらして対処している。――もっとも、結界は紙のように容易に切り裂かれているが。
とにかく、紫杏でさえもなんとか対処できているだけの相手なのだ。
つまり、俺たちが間に割って入ると邪魔になりかねないほどの相手といえる。
大地は先ほどから難しそうな顔で、魔力の構築方法を目まぐるしく変化させている。
しかし、その表情からはどんな毒を扱おうと、クウ様にはまるで通用していないのであろうことがうかがい知れる。
「むぅ……うう……わ、私がついていけない速さなんて」
シェリルも少なからずショックを受けている。
たしかに、シェリルでさえ対応できない速度なんて、想像していなかった。
いや、そうも言っていられない。
紫杏一人で勝てるのであれば、このまま傍観していることも間違いではないのかもしれない。
だけど、相手はさすがは神なだけある。
紫杏が戦いにくそうにしているところなんて初めて見た。
「結界……ですが、脆いですね」
「これでも、十分硬いってみんなは褒めてくれるんだけどね!」
そう、紫杏の結界は十分頼りになる。
これまでも様々な相手の攻撃を完璧に防いでくれていた。
だから、その結界をいともたやすく引き裂くクウ様が規格外なだけなのだ。
「うええ……まだ速くなるの?」
「当然です。母はもっと速く強かった。娘である私がその名を汚すなんて許されるはずがありません」
……しかたない。
できるかどうかわからないし、ぶっつけ本番にはなるけれど、試してみるか。
イメージするスキルは風気祭宴。自身に風をまとって、速度を向上させるための力。
まず、スキルを再現することはできるだろう。
しかし、このスキルは自分にしか効果がないスキルだった。
だから、現世界では、紫杏に効果を付与することなんてできるわけがない。
しかし、今はスキルを使用するわけじゃない。
あくまでも、あのスキルを自分の魔力で再現、構築しようとしているだけだ。
なら、ついでに自分以外へも効果があるように作ってしまえばいい。
大丈夫。俺ならできる。
二年間でどれだけスキルのことを考えてきたと思っている。
チサトも言っていたじゃないか。限界を勝手に決めるなと。
だから、俺にはできる。だって、あの紫杏のために使うスキルだぞ。できない道理がない。
「風気祭宴!」
「おっ!?」
紫杏にはなにも合図していない。
それは、クウ様にばれたくないという理由からだ。
紫杏のスピードが上がれば、下手したらそれにさえ対応しそうなほど底が見えない。
ならば、気づかれないように紫杏を強化することで、一瞬でけりをつけるべきだろう。
紫杏ならば、合図をせずとも意図を汲んでくれるし、すぐに対応してくれるはずだ。
「ここっ!!」
「……ぐっ!」
迫りくるクウ様の攻撃は余裕をもって回避し、カウンター気味に紫杏の攻撃が直撃する。
相変わらず腹部への殴打だが、今の紫杏の最高速度で放った拳は、生き物の体同士の激突とは思えないほどの音を鳴らした。




