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山の中の道なき道で迷うことはあるかもしれんが、と松井は思った。まさか、都会の真ん中で迷子になるとは思いもよらなかった。
とにかく飲みすぎたのが敗因だった。久しぶりに大学の後輩と会い、勤めて三年目の会社への憂さもあって、羽目を外してしまったのだ。
「まいったな。どっちがどこだかわかりゃしない」
時間が遅くなりすぎてしまったので、終電で行けるところまで乗り継いだ。そして、都内のターミナル駅に吐きだされたという状況だった。
深夜だというのに、車はびゅんびゅん走っていた。頭上に載る高速の裏が天井に見える幹線道路の混雑が特にひどかった。音からすると、高速では長距離トラックが幅を利かせているらしい。都会の喧騒というものを、松井は酔った頭に感じていた。とにかく、賑やかなのだ。
賑やかといえば――さすがにエコ対策と経費削減を名目に消えているものもあったが――ビルのネオンもにぎやかだった。まったく、良く工事したなと感心するくらい、ビルの屋上には電飾看板が乗っかっていた。長期不況の時代が嘘のようだ。そしてその多くが、いま流行のモニタ・タイプで、音こそ発しなかったが、テレビで流れるような映像がひっきりなしに映し出されていた。
タクシーに乗ればよかったかな、と、道さえ間違えていなければ七駅先の寮に向かって歩きはじめた松井は思った。道を進んでみると、たまさか見つけるタクシーはすべてメーターが倒れていて、とても捕まりそうには見えなかった。やれやれ、と嘆息して、歩道脇の自動販売機で缶コーヒーを買って咽を潤すと、松井は決して暗くならない都会の四角い空を見上げた。
はじめは酔っ払ったのかと思った。いや、だが、おれはすでに酔っ払っている。じゃ、あれはなんだ。松井は背筋にぞぞぞっとする感触を味わった。
白い幽霊がいた。ビルのモニタ看板に映っていた。すべてのモニタ看板に同じ幽霊が映っていた。しかもそれが松井を見ていたのだ。見ていたということは、幽霊には顔があったということで、その顔は松井に何かを語りかけようとしていた。怖いもの見たさ。いや、そうではないだろう。松井は今日、飲み会の余興でそれに似たことをやっていたのだ。元々はテレビのゲーム番組で流行った遊びだった。
(音楽の鳴る)耳栓をした人物が課題の曲を歌って相手に伝える。相手は、もちろん声は聞こえないから、口パクだけを頼りに、その曲を想像する。ついで、その相手が次の解答者を相手に同じ事を繰り返す。早い話が耳栓をした伝言ゲームで、曲が正しく伝わった人数だけ得点が入る。松井はそのゲームが得意だった。だから、突然現れた白い電影幽霊に心底驚きはしたものの、無意識のうちに、その口の動きを解読しようとしていた。
「い・こ・く・し・□・す・□・か・い・□・つ・ちゃ・□・か・り・つ・が・そ・ち・☐・の・じ・く・□・に・む・かっ・て・い・□・す・。・は・や・く・□・い・お・う・し・□・く・だ・□・い・(間)・け・……」
メッセージは何度も繰り返された。もう少し、ゆっくり、ゆっくり、ゆっくり、と松井は思ったが、やがてその言葉が意味を結びはじめた。松井には、わけのわからぬ意味であったが……
『警告します。怪物チャマカリッがそちらの時空に向かっています。早く、対応してください』