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習作

掲載日:2022/06/28

 銀鼠(ぎんねず)行儀(ぎょうぎ)柄の江戸小紋を着こなしている小柄な丸メガネの男が一人、ファンと(おぼ)しき人波に囲まれている。


「先生! 今回の小説も素晴らしいですね!」


「うむ。ありがとう」


「先生! わたし、感動しました! 特にラストのあの展開は素晴らしいものがありました!」


「ありがとう。あなたのようなファンがいてくれて私も幸せだ」


「先生! 最高でした!」

「先生! 良かったです!」


「先生!」


「先生!」


「先生!」


 大型書店で開催されたサイン会は今回も大好評だった。


 しかし、この男、小さな賞を受賞後、期待に胸を膨らませてプロの作家としてデビューはしたものの、数年は鳴かず飛ばずで貯金も無い生活が続いていた。


 そこで男は立ち止まり、思考を巡らせた。結果、自分の作品には何か足りていないのではないかとの結論に至り、そして売れ行きが特に多い本を徹底的に研究したのだ。


 研究した上でこう思った。


 研究したものを活かしたとして、それは果たして自分の作品と言えるのだろうか、と。


 金縁眼鏡をかけた髭の男が耳元で囁く。


「やっちゃえよ。儲かるかも知れないだろ?」


 銀縁眼鏡をかけた若い男が耳元で囁く。


「それはやはり自分の作品とは言えないのではないでしょうか?」


 セルフレームの眼鏡をかけた中年の男が耳元で囁く。


「評判の良い作品から(なら)うのは創作活動をする者にとっては当たり前のことじゃあないか。とりあえず発表してみて、駄目だったらまた考えれば良いではないか」


 何度も何度も巡るように囁かれ、苦悩した。

 呻吟(しんぎん)した。

 懊悩(おうのう)した。

 (もだ)えた。

 逡巡(しゅんじゅん)した。

 葛藤(かっとう)した。

 決断することをためらった。


「よし、やれるだけやってみよう。どうせ明日をも知れぬ身なのだから」


 書き始めてもなお、男の心は是非の(はざま)彷徨(さまよ)い続けていたが、存外に担当編集者の評価が高く、実際に刊行されてみれば大ヒットとはいかないものの、男の飢えを一時的にしのぐには十分な売れ行きを記録した。


 嗚呼(ああ)、私の考えは、決断は間違っていなかったことが証明されたのだ!


 それからというもの、男は書いて書いて、寝る間も惜しんで書きまくった。大ヒット作の研究も並行して欠かさず。

 その甲斐あってか、大きなヒット作品に恵まれてはいないものの、安定した売り上げを記録するようになっていき、生活にも徐々に余裕が出てきた。それと比例するかのように、男の葛藤は些末(さまつ)なものとして、心の片隅に追いやられていったのだ。



 小ヒット作家として少しずつ地位を固めていたそんな或る日、最新刊の出版記念サイン会でファンの一人がこう言った。


「先生。最近の作品も面白いんですけど、何か物足りないんですよね。デビューの頃の作品の方が、良い意味で尖ってて好きでした」


 男はまた前に進み始める。


 しかし、男はもう迷わない。


 男には大ヒット作を研究して身に着けた技術と、あの頃の、何かを成し遂げてやろうとしていた鋭利な(やいば)があるのだから。


 やってやろうじゃあないか。




お読み頂きましてありがとうございます。

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