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おわりとはじまり  作者: 白鳥 海
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 まいこの意識が無意識から覚醒したのは、雲が増えた空の隙間から、沈みかけたやたらと大きくて眩しい太陽と目が合った時だった。まいこはその時、自分がこの世界の一部であることを認識して再び無意識へと戻ろうとしたが、雑踏の人の声や車のクラクションの臨場感に飲み込まれて結局諦めた。

そこは駅前の繁華街だった。所々でネオンが灯り、街は夜の顔を見せ始めていた。辺りは仕事を終えたサラリーマンや買い物に忙しい主婦であふれている。ロータリーのバス停には今か今かとバスを待つ人の列が連なっていた。

ママも毎日この列に並んでいるのだろうか。真横を通り過ぎた、スーツを着たママくらいの歳の女の人の顔は険しかった。

この時間に繁華街にいること自体初めてだった。門限は18時だから、通っている塾の日以外、門限を過ぎることはまずなかった。今日は家に帰ってもママは出張でいないし、かと言って誰かそばにいても、さっき起こった悲劇を口にするほどの気力もなかった。キジマヨウスケに至っては顔も見たくない。

まいこは行く当てもなく、繁華街のアーケードや路地を自転車で彷徨った。

開放感と夜の静寂とが入り乱れた人々の中をゆったりとかき分けながら進んだ。薄闇に光る街灯や店のネオンが確かな輪郭を持って迫ってくる。知らない世界の扉をくぐり、その場所の空気を今まさに肌で感じている。日頃まいこが家にいる時も、ここは普遍的にそういう空気が流れていて、そこに生きる人がいて、当たり前の営みが繰り返されているのだと思うと、不思議な感じがした。


日が沈むと少し肌寒く感じて、自販機で温かい紅茶を買った。

そこは繁華街の外れにある小さな神社の前だった。赤い鳥居の奥にはきちんと手入れされた社が控えている。神社の前には二人掛けほどのこじんまりしたベンチがあり、まいこは自転車を脇に停めて腰を下ろした。

しばらく掌で紅茶のボトルを包んだ後、ごくりと口に含んだ。その心地よい温かさが喉元を通った時、ぷつりと糸が切れたように涙が溢れた。

嗚咽が漏れないように口元を無理やり結ぶと余計に泣けてきて、手で口をふさいだ。

たちまち視界はぼやけ、ぽとぽと落ちる涙が地面に吸い込まれていく。

暗闇の中で自分の足が困ったように八の字を描いていた。

「ああ、きっと」とまいこは悟った。無意識で彷徨っているだけだと思っていたけれど、自分は泣き場所を探していたのだと。


今日テレビで見た朝の占いでは乙女座は1位だったのに。ひとしきり泣いた後、ふと思い出したいい加減な占いに笑えた。

暗黒の週末の提案から始まり、親友からの拒絶、おばあちゃんからは犯人呼ばわり。

まいこはできたての傷口の絆創膏をそっと剥がすように、なるべく端的に羅列した。ひとたび考え始めると、頭がおかしくなりそうだったからだ。

「まいこは考えすぎなんだよ」

佳純の声が蘇った。楽天的な佳純からすると、私は物事を深刻に考えすぎているらしい。

難しい顔をしている私に、「しょうがないなぁ。これでも食べて元気だしな」と笑ってお菓子をくれるのが佳純の常だった。

でも、今日はその佳純がいない。

半分空いたベンチのスペースを眺めながら、涙でベトベトになった顔を拭う。

他の出来事はどうにだってなる。でも、佳純を失ったこの悲しみは、パパを失った時のそれと同じくらい、果てしない虚無感と苦しみに満ちている。


目を閉じると、佳純と過ごした日々が走馬灯のように蘇った。

入学初日に隣の席になったこと、教科書を忘れて机を合わせて勉強したこと、いつの間にか当たり前になった中庭のランチタイム、放課後一緒に帰った道のり、たわいもない会話。

言葉にならないほどの、あったかい感情が全身を駆け抜けていく。

再びじわりと涙が戻ってくるのを感じたまいこは、上を向いた。

繁華街の明かりのせいか、夜空の星はほとんど見えない。


こうなっては、佳純を傷つけてしまった自分を呪うしかない。いや、何が原因なのか分からない鈍感な自分を呪うしかないと言った方が適切なのかもしれない。

水島さんのあのただならぬ姿は佳純の痛みをまっすぐに代弁していたのだと思う。

今思い出しても、その気迫にぞっとするものがあった。

一方で、普段水島さんから感じていた、どこか得体の知れない正体の答え合わせをした様な気もする。

ただそれは、これまでの「苦手」という曖昧な気持ちが、真実味を持って「嫌い」に変わっただけのことだった。

本当に怖かったのは、もっと他にある。


水島さんの威圧的な態度、威嚇するような鋭い視線、冷え切った様な口調で語られた言葉。

それらが脳裏に蘇る度に、私の存在価値は口を開けた風船の様に力なくしぼんでいった。


唯一無二の親友だと思っていたのは私だけで、本当は水島さんとの間にはもっと深い絆で結ばれていたのかもしれない。

私なんかより、幼馴染の水島さんの方が佳純のことをずっと理解していたのかもしれない。もっと大事にしていたのかもしれない。

そう思えば思うほど、今まで築いてきた強固で美しい城が、砂のようにもろく崩れていく様だった。作ったのも、壊したのも私だと思うと、自分に呆れて言葉も出ない。

まいこは思い出したように、頬のニキビをつまんだ。当たり前だが、それはひどく痛みを伴って脳天に届いた。

心の奥底で黒い塊が私をあざ笑うのが分かった。

『お前の存在価値なんて無いんだよ。自分がよく知っているじゃないか。もはやお前にはどうすることもできないんだよ』

ネバついた囁き声がどこまでもまとわりついてくる。


今日が終わらなければいいとまいこは本気で思った。明日も明後日もそれ以降も絶望でしかない。こんなに苦しいならば朝なんて永遠にこなければいい。


やけになった心を冷ますかの様に、バックの中で着信音が鳴った。

佳純かもしれないと慌ててスマホを取り出したが、ママからの期待はずれな連絡だった。

「一体どこで何してるのかしら?」

追跡機能を使ったのだろう。いつも私がどこにいるのか把握したがるのだ。出張先でもママに抜かりはない。時々、それが息苦しい。

まいこは鉛色の溜息を吐いた。

吸い込んだ春の甘い匂いとそれは喧嘩して、ひどく気持ちが悪い。

思わず、まいこは持っていたペットボトルを地面に投げつけた。


「何してるの」

暗闇の中でその声は静かに、しかしはっきりとした強さを持ってまいこに届いた。

はっとして振り向いたその先にいたのは同じクラスの鈴木君だった。

小柄な背丈には幾分ずっしりと重そうなリュックを背負い、ようやく足が届く大きな自転車にまたがっている。眼鏡の奥の瞳には読み取れる感情は見当たらない。

ペットボトルがゴロゴロと音を立てて対岸の壁にぶつかるのが分かった。誰かに見られる予定ではなかった行いに、ヒヤリと冷たい物が背中を流れた。

「高橋がどこで何をしようと僕には関係ないけど」と前置きをして、鈴木君は続けた。

「未成年の女子が一人でこんな所にいるのは、あまり賢い選択ではないと思うよ」

ピクリとも動かない鈴木君の眼が、私を鋭く刺した。

ママと同じだ。

適切な言葉は私の心の前で塵みたいに粉々になり、落下した。


「そうだね、ありがとう」

まいこは心にもない言葉を笑顔で返した。


「塾があるから」と言って、鈴木君は何事もなかったかの様に目の前を通り過ぎていった。

暗闇の中に、鈴木君のギラリと光る眼だけが残像の様にいつまでも残っていた。


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