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おわりとはじまり  作者: 白鳥 海
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駐輪場に着くと、かばんからスマホを取り出し時間を確認した。ちょうどデジタル表記が4時19分から20分に切り替わったところだった。

昼休みに「放課後、家に寄るね」と佳純に連絡を入れたが、相変わらず応答はない。

まいこは佳純のリュックを背負い、自転車のペダルを強く踏みこんだ。

歩いて帰る生徒の間を縫うように進み、池の鯉に別れを告げると、右手に満開の白い木蓮の木が現れた。その姿はまるで無数のてるてる坊主が木々のあちらこちらにぶら下がっているかの様だ。


「ティッシュお化けみたい」

昨年の同じ時期、満開の木蓮を見た佳純がそう言った。言われてみれば、おびただしいほどのちり紙が力なくうなだれているように見えなくもない。「お化け」という辺りがいかにも佳純らしくて、つい笑ってしまった。

「今、ちょっと変なやつだと思ったでしょ?」

「ちょっとじゃなくて、かなり」

そんなたわいもないやり取りを思い出した。その日以来、「ティッシュお化け」が頭から離れなくなってしまった私は、木蓮の花を見る度に、白い紙がぶら下がっている様にしか見えなくなってしまった。ただ、こんなにも綺麗に咲いているのだから「お化け」じゃなくて、せめて「てるてる坊主」にしようと思い立ったのだ。

小さい頃、運動会や遠足の前日にパパとてるてる坊主をよく作った。白い布の代わりに、ちり紙で作るお手軽なものだ。パパの描いたてるてる坊主の顔が下手過ぎて、ママと私はいつも笑っていた。

「明日天気になあれ」とお願いすると、翌日はいつも快晴に恵まれた様な気がする。


パパが死んでから、私はてるてる坊主を作らなくなった。そんなのちっとも意味がないと気付いたからだ。てるてる坊主が可愛いと思えたのも、翌日が晴れて嬉しかったのも、パパという存在がいて初めて感じ得る喜びだったのだ。

ママはてるてる坊主を作ろうとしない私に一切触れることは無かった。思えば、ママも私と同じ気持ちだったのかもしれない。

パパとの思い出はすべてがかけがえのない宝物で、いつだって私を笑顔にしてくれる。でも、それは同時にとてつもなく痛みを伴う。まいこはその痛みを振り払うように加速し、校門をすり抜けた。


佳純の家は学校から20分くらいの場所にある。時々遊びに行くから、順路は慣れたものだ。

学校を出てすぐの国道を電車線沿いに進む。

そのまま国道をまっすぐ進めば一番の近道だけれど、車通りが多いこの道はどうも苦手だった。まいこはしばらくするとすぐに踏切を渡り、K公園近くの静かな小道を選んだ。

公園沿いには沢山の桜の木が植えられている。まだつぼみは青いけれど、先がほんのりピンク色をしているものもある。昨日、桜の開花宣言のニュースがやっていたから、ここの桜もほどなく開花するだろう。まいこは満開の桜を想像してワクワクした。その時はきっとここで佳純と写真を撮ろう、そう強く思った。


くねくねとした小道を抜けると、住宅街の長い坂道が待っていた。佳純の家は坂道を登り切った場所にある。見た目はなだらかそうに見える坂だが、上ると結構キツいし距離もある。「何でこんな所に家を建てたんだろ」と佳純が愚痴を漏らすのもうなずける。

まいこは一度止まり、はるか遠くに見える目標地点を捉えた。所々湾曲した道の上を二本の白線がどこまでも続いている。おばあちゃんが坂の中腹をそろそろと歩いている。その横を1台の赤い車が唸る様にスピードを上げてすり抜けて行くのが見えた。

〝この坂を上り切ったら、佳純に会える″

まいこは覚悟を決めて、ペダルを踏み込んだ。

初めは果てしなく長い道のりに感じたが、足を止めなければ確実に進む。通り過ぎた景色が少しずつ背後に流れていく様を感じながら、ひたすら前を見続けた。

坂の中腹まで来ると、ギアチェンジをしてこぎ続けた。呼吸は荒くなる一方だったが、背負った佳純のリュックの存在がエネルギーを供給してくれる様だった。教科書をほとんど持ち帰らない佳純のことが時々心配になるけれど、今日ばかりは軽くて助かった。

夢中になってこぎ続けると、坂の下で見たおばあちゃんの姿が前方にはっきりと見えてきた。白髪で腰は曲がり、杖を頼りに、一歩また一歩と歩みを進めている。

まいこはおばあちゃんの真後ろまで来ると、挨拶をして追い越した。しばらく間が空いて、背後からぼそぼそと声がした。きっと、「こんにちは」と挨拶が返ってきたのだろう。

この時間、人通りはあまりない。聞こえるのは、どこからともなく響く車のエンジン音と犬の鳴き声くらいのものだ。それでも、妙に安心感を覚えるのは、ふいに鼻をかすめる美味しそうな匂いや食器の擦れ合う音、時折空いた窓から漏れ出るテレビの音、それらによって、見えない誰かの存在を感じることができるからだろう。


あと少し、あと少し。まいこは何度も立ち止まりそうになる自分を鼓舞していた。ゴールまであと数十メートルだが、グリップを握る手も、ペダルを踏み込む足ももう限界だと悲鳴をあげている。体中から汗が吹き出し、「しんどい」と思わず声が出た。

ここで休んでも誰かに叱られるわけではない。この足をただ大人しく地面につけてしまえばいいだけだ。

でも、諦めたくない。

そんな心のせめぎ合いをしているとスイッチが入ったように、あのメロディーが頭の中を流れ始めた。

パパが好きだった映画のテーマ曲。古い映画で、私はろくに見たこともないけれど、ここぞという時、自然と頭の中に流れてくるのだ。

そのメロディーを聞くと、頑張らずにはいられなくなる。まいこは曲のリズムに乗って、最後の力を振り絞り、ペダルをこぎ続けた。苦しさはあるものの、もうだめだという気持ちは不思議と消え去り、背中を後押ししてくれる様だった。


まいこはついに坂道を登り切った。

自転車を降りて振り返ると、そこにはこれまでの疲れも吹き飛んでしまうような眺望があった。

雲はまいこの目線の高さで気持ちよさそうにぷかぷかと浮いている。そのすぐ下には高層マンションがいくつか立ち並び、手前のなだらかな山の麓には隣町の住宅街が一面に広がっていた。ちょうどその間を電車が走り抜けている。

よく知っている街なのに、それはまるで違う世界の様に映った。

まいこは段々と呼吸が落ち着くのを待ちながら、その景色を焼き付けるようにじっと眺めた。


佳純の家がもうすぐそこに見えている。交差点を渡った左手、オレンジ色の屋根が目印だ。

まいこは乱れた制服のリボンを整え、さっと髪を結び直し、自転車を押して家の前まで進んだ。


波型の塀で囲まれた白壁の二階建ての家は、妖精が住んでいそうなほどかわいい。至る所に木々や植物が植えられ、あふれんばかりの季節の花々が顔を覗かせている。玄関まで続く石畳のステップの両脇には、色鮮やかなチューリップが風に揺れていた。

「ママの趣味なんだ。パパは嫌がってるけど」

私が初めて家を訪れた時、佳純が笑って言った。いかにも、ほわんとした佳純のママらしい造りだ。

まいこは花の一つもない無機質な自宅を思い浮かべ、うちにもほんの少しだけこの華やかさがあったならと思った。


塀のそばに自転車を停めて、佳純のリュックを肩から降ろした。背中の熱を一心に受けたリュックは心なしかくたっと疲れて見えたが、それも佳純に会えば笑い話になるだろう。

まいこが門扉に近づくと、ちょうど玄関の方角から足音が聞こえてきた。

誰だろう。佳純のママだろうか。

まいこが門の前まで行くと、そこにいたのは水島さんだった。


なぜ水島さんがいるのだろう。

まいこが驚いた顔を見せると、水島さんはピタリと歩みを止め、玄関の方をちらっと振り返る様子を見せた。そしておもむろに腕を組み、わざとらしく大きな溜息をついた。

「さっき佳純と会ってきた。今朝何があったのかあたしも気になってさあ・・・」

何か含んだ様な言い方だった。

水島さんは少しの沈黙の後、こちらを見据えて言った。

「佳純とは幼馴染でずっと一緒だったんだよね。いつも遊んでたし、お互いのこともよく知ってる。だから、佳純に何かあったら絶対に助けるし、守りたい」

一体何が言いたいのだろう。まいこが怪訝そうな顔をすると、水島さんは半ば呆れたような面持ちで、再び溜息をついた。

「もう帰った方がいいよ」

「えっ?」

「まいこちゃんが来ても、佳純は喜ばないから」

そう言うと、水島さんはこちらにつかつかと歩いてきて、門扉を超えようとするまいこを制した。


「どういうこと?」

まいこは恐る恐る聞いた。


「まいこちゃんにはもう会いたくないって」


その瞬間、心臓がドクンと音を立てたのが分かった。重く、鈍い痛みだった。辺りは静まり返り、その場に聞こえるのはまいこの心臓の鼓動だけだ。さっきまで汗ばむほどの体温だった手足が急速に冷たくなるのを感じた。


確かに今朝から不可思議なことばかりだった。

まるで私を避けるかのように佳純は姿を消した。おまけに連絡も返信もない。

なぜ?

薄っすらと嫌な予感はしていた。

疑問を抱きながらも、今の今まで、きっと気のせいだろうと気持ちを上塗りし続けていた。心のどこかで、佳純との友情に亀裂が生じるなんてあり得ない、そう思っていたからだ。

でも、まぎれもなく「校庭の隅でひどく泣いていた」のは、私が原因だったのだ。その事実に心が震えた。

一体私の何がいけなかったのだろう。まいこは必至に記憶のページをめくったが、さっぱり分からなかった。

「もう会いたくない」

拒絶されたその言葉に射抜かれた体は身動きが取れず、ただただその場に立ち尽くすしかなかった。


まいこが呆然としていると、水島さんは佳純のリュックを手から奪うように引き離した。

「帰って!」

水島さんのするどい眼光がまいこを後ずさりさせた。


そこからの記憶はあまりない。気付くと自転車をついて坂道を下っていた。

統制が取れない心の中は、永遠に止まることのないルーレットの様に言葉にならない感情がぐるぐると駆け巡っていた。

今、少しの横風が吹こうものならば、容易く崩れ落ちてしまいそうなまいこの体は宙に浮いているかのように感覚が無かった。

まいこは重たい心と抜け殻の様な体を自転車に預けるようにして立ち止まり、ぼんやりと地面を見つめた。

頭上でカラスが能天気に鳴いている。

悪い夢でも見ているのではないかと思った。

数分前の記憶が蘇る。

それが夢なのか現実なのか分からないほど柔ではない。でも、その現実から猛烈に逃げ出してしまいたい、そう思った。

こんな時、一思いに自転車で坂道を下ってしまえばすっかり忘れてしまえるだろうか。

生憎、そんな図太さは持ち合わせていない。

何をしたって頭の中はぐちゃぐちゃなままだ。


頬に当たる西日が眩しいことに、はたと気付いたまいこは顔を背けた。

その瞬間、

「お前のせいだ!」

突然、大きな声が聞こえた。まいこは自分の耳を疑った。見ると、坂の途中で出会ったおばあちゃんがこちらを指さしている。辺りを見回してみたが誰もいない。明らかに私に向けた言葉だった。おばあちゃんは顔をしかめ、するどい目つきでこちらを見ている。

「お前のせいだ!」

おばあちゃんは何度も何度もこちらに向かって叫んだ。

まいこは言い知れぬ恐怖を感じた。

あまりの出来事に緊張が空回りして、汗の一つも出ない。

体をのけ反らせ、自転車のハンドルをぎゅっと強く握りしめる。

とにかくこの場を離れなければいけない。そう思うより先に体が動いていた。まいこは慌てて自転車に飛び乗ると、わき目もふらず坂道を一気に下った。


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