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おわりとはじまり  作者: 白鳥 海
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 昼休みになり、まいこはいつも通りお弁当を持って中庭に足を運んだ。「まいこちゃんも一緒に食べない?」と隣の席の梨々花ちゃんが誘ってくれたけれど、一人になりたくて丁重に断った。朝から心が四方八方に飛び回ったおかげで、正直くたくただった。

にぎやかな教室を離れ、中庭までの道のりをゆっくり歩いた。段々と人の気配も声も聞こえなくなった頃、渡り廊下の扉の前にたどり着いた。扉を開けて、校舎と廊下をつなぐ段差を両足でぴょんと跳んだ。踏みしめた足裏がじんじんして、何だか心地よかった。

幸い中庭は誰もいなかった。刈り込んだばかりの芝生からふわっと緑の匂いがする。マフラーをぐるぐる巻きにしていたあの真冬の寒さは嘘のように、ポカポカとした陽気に包まれ穏やかな春風が吹いている。

所定のベンチに腰掛け、黙々とお弁当を食べた。普段は半時間ほどかかるのに、一人だとあっという間に食べ終えてしまい、まいこは時間を持て余すことになった。

ふと頭上に目をやる。

どこまでも薄く引き伸ばされたブルーの上に、白い雲がまだらにかかっている。その中を悠々と飛行機が飛んでいた。ミニチュアみたいな大きさのそれは、機体をキラキラと反射させながら、ゆっくりと高度を上げていく。一体どこに向かっているのだろう。まいこは思い切り腕を伸ばし、指で機体をなぞった。


機体が雲の中に消え、手を元に戻した瞬間、嫌な感覚が襲った。

「ああ、またか」とまいこは目を閉じた。

それは心の奥深くでひっそりと生息している黒い塊の存在だった。重くて、所々ネバネバしている醜いやつだ。いつもは鍵をかけた部屋で大人しく寝ているけれど、突然何かをきっかけに駄々をこねて暴れ始める。


まいこはおもむろに両手を重ね、銃の形を作った。

腕をまっすぐ伸ばし、眼を細めてねらいを定めた。

その先に捉えているのは、あの人だ。


平穏な毎日の中に突如現れた、「パパ」になるかもしれない存在。

その存在に日常を脅かされようとしている今、武器を持って戦うのか、それとも迎合していくのか。まいこにとって「キジマヨウスケ」という存在はエイリアンや、はたまた得体の知れない侵略者のようにも感じられた。

無口で愛想が無くて、何を考えているのかも分からない。大人なら、パパになるなら、普通はもう少し歩み寄ったりするものではないのか。

この半年で「キジマヨウスケ」がまともに発した言葉は「おはよう」くらいのものだ。仲良くなんてなれるはずがない。

ママもママだ。私に何の相談もなく、ある日突然「同居します」だなんてあんまりだ。「友達」だって紹介してたけど、そんな見え透いた嘘をどうして言えたのだろう。恋とか愛とかまだ分からないと思ってるかもしれないけど、二人の間にある特別な空気みたいな物は私にだって分かる。


何より、ママはなぜあんな人を選んだのだろう。優しくてにこやかなパパとは何から何まで正反対だというのに。まいこには到底理解できなかった。


張り詰めた心は熱を帯び、震えていた。


〝ママはもうパパを忘れてしまったのだろうか〟


私が小学2年生の夏、パパは交通事故で突然この世を去った。

その時の記憶は断片的にしかない。

家に帰ると、知らない人が沢山いたこと、

布団で寝ているパパを起こそうとして誰かに止められたこと、

遠くに住んでいるママの妹の奈々ちゃんが来て喜んだけど、すぐにママの部屋に入って行ったこと。


大好きなパパはピクリとも動かない。

ママは全然そばにいてくれない。

その日は誰とも目が合わなくて、

1日中部屋の隅にいて、

何だか寂しくて、不安だった。


一つだけ確かに記憶していることがある。

夜になって、パパが起きているかもしれないと思った私は部屋を抜け出し、パパの眠る和室の襖をこっそり開けた。

そこにはママがいた。

ママは真っ暗な部屋の中、パパの隣で横たわり、声をかみ殺すように泣いていた。


目の前の視界が見る見るうちに霞み、私は瞬間的に溢れ出しそうになったものを必死でこらえた。

そして、そっと襖を閉めた。

なぜ自分がそんな行動をしたのかは分からない。

でも、今思えば、その時はじめてパパの死が私に降りてきたのだと思う。


ママの泣いている姿を見たのは、後にも先にもそれが最後だった。


パパが死んで、再び夏が巡ってきた頃、

「これから二人で頑張っていこうね」

仏壇の前で、ママが私を抱きしめてそう言った。その手はわずかに震えていた。

ママは、私が「痛いよ」というまで、何かを確かめるように、きつくきつくいつまでも私を抱いて離そうとしなかった。



まいこは胸の前で構えた銃を、自らのこめかみに当てた。

「バーン」

引き金を引くと、体の中の黒い塊はわずかに身をよじり、這うようにして元の部屋に戻っていった。


 

待ちに待った6限目終了のチャイムが鳴った。

金曜日ラストの授業は数学だから、最後の最後まで皆の目が冴え渡っている。

数学の東先生はとても怖いから、居眠りをしようものなら、何が飛んでくるか分からない。飛んでくると言っても、巨大なコンパスや分度器が空中を移動するわけではない。

噂によると、教科書の問題をひたすら当てられたり、個別テストが科せられたりするらしい。そんな拷問を避けようと、誰もがいつも以上に黒板にかじりついている。

先生が教室を去ると、一気に皆の緊張がほどけるのが分かった。解放された反動で机に突っ伏している子も何人かいる。

その中でただ一人、まいこだけは不思議と達成感すら感じていた。

はやく佳純に会いたい、その一心だった。

あと少し。まいこは教科書を手早く片付け、一番に席を立った。


掃除の時間を知らせる放送がかかり、快活なクラシック音楽が流れ始めた。

「もう、早く移動しなよ」

掃除に向かわない、だらだらしている男子の尻を叩いているのは学級委員の心音(ここね)ちゃんだ。さすがにしっかりしている。

1組は真面目な子が多い。もちろんやんちゃな子もいるけれど、学年の中でもまとまりのあるクラスだと、先生達の間でも評価が高いらしい。


教室当番だったまいこは、すぐに掃き掃除に取り掛かった。

掃き掃除が終わりモップで床を拭いていると、突然2組の水島さんが背後から声を掛けてきた。

「きゃっ」と驚いた私は思わずモップを床に落としてしまった。

「ごめん」と笑った水島さんの手にはしっかりと箒が握ってある。先生に見つからないようにこっそり教室を抜け出し、廊下を掃くふりをして1組の教室にきたらしい。

水島さんは佳純の幼馴染だ。時々、二人が廊下で談笑しているのを見たことがある。

水島さんは頭の先からつま先まで、意識が行き届いている。さらさらのロングヘアにバレない程度にメイクもしている。膝上丈のスカートからは細く白い脚がのぞいていた。


佳純に言ったことはないが、まいこは水島さんがどこか苦手だった。


「佳純のことなんだけどさ、知ってる?」

水島さんは猫の様にピタっとこちらに体を添わせて、こっそり耳打ちした。

私が何のことかと首を振ると、水島さんは一瞬意外そうな顔をして話を続けた。

「今日の朝、校庭の隅ですごい泣いてたらしいよ。2組の子が見たって」


「えっ?」

まいこは驚いて、反射的に水島さんから少し離れた。


「まいこちゃんでも知らないことがあるんだね」

水島さんは明らかに挑発するような笑みを浮かべて、去って行った。


体中の血の気が引いていくのが分かった。

朝感じた、どこか釈然としない嫌な感覚が再び蘇った。

一体佳純に何が起こったというのだろう。

まいこは心がえぐられるような気持ちに襲われた。

水島さんの言っていることがもし本当なら、その場に真っ先に駆け付けたいのは私だった。佳純が泣くなんて、よっぽどのことがあったに違いない。私の登校がもう少し早ければ、事態は防げたのかもしれない。

「ごめん」

佳純を思い、二度、三度心の中で繰り返した。


掃除があらかた終わり、下げられていた机が音を立てて一斉に戻され始めた。

下校が近いせいだろう。心なしか皆の足取りも軽く、早々に机は元の場所にきれいに並べられた。

まいこは一人、教室の隅でモップに体を預けたまま佇んでいた。


「高橋さん、具合でも悪いの?」

声を掛けてきたのは平岡先生だった。ベージュのスーツはどうやらお役御免となった様子で、いつものスエット姿に戻っている。胸の位置にはハンバーガーがでかでかとプリントされていて、いかにも先生らしい。

「いえ、大丈夫です」とまいこが応えると、

「今日この後、原口さんのお家に行くでしょ?」

まいこの考えていることはすでにお見通しだと言わんばかりに、先生は満面の笑みを浮かべてそう言った。

「悪いんだけど、連絡プリントを渡してもらえないかしら?」

まいこが快く承諾すると、先生はころんとした丸い手でグッドサインを作った。


夕方が近づき、少しだけ傾きかけた西日が頬を照らす。わずかに開けた窓からは、囁くような風がカーテンを揺らしている。


「最後まで、人の話を聞きなさい」

終礼中、数人の男子が椅子からほとんど立ち上がっている姿を見て、平岡先生が一喝する。誰かがくすくすと笑っている。

まいこはそれを横目に、配られたプリントを素早く折り畳み、そっと荷物をまとめ態勢を整えた。いつもと違う、内心そわそわしている自分が何だか可笑しくもあった。

連絡事項が終わり、最後に先生が良く通る声で言った。


「さようなら。また来週」


まいこは佳純のリュックを持って、颯爽と教室を後にした。

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