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おわりとはじまり  作者: 白鳥 海
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また今日も朝が来た。寝返りを打つと、遮光カーテンのわずかな隙間から、真っ白な光が一直線に私の顔を照らしていた。無数の粒子が、光の筋にそって踊っている。一度は起きようと顔まではらった布団を元に戻してみたが、階下からママの声がして諦めた。眠い目をこすりながら、けだるい体を無理やり起こした。

季節は春を迎えようとしていた。それでも朝晩はまだ寒い。布団から出た瞬間、身震いがした。

いつものように洗面台で顔を洗っていると、チクっとした痛みが走った。鏡を見ると左頬にニキビができていた。

「昨日は無かったはずなのに」

まいこは眉根を寄せて鏡に呟いた。白い肌に赤い点が一つあるだけで、心がブルーになる。気になって仕方がないとママに言うと、「私にもそんな年頃があったわ」と取り合うそぶりもない。

定期的に起こるそれを何とかごまかせないかと、思い切ってメイクをしようと思ったこともある。クラスの中にはおしゃれでメイクをする子も数人いるけれど、生徒指導の先生にひどく叱られている姿を見ると、途端に面倒に思えて気が引けた。

結局、できることはニキビ薬を塗ることだけだ。「どうか早く治りますように」と心の中で呟いた。

 制服に着替えて1階に降りると、玄関にゴミ袋が2つ置いてあるのが目に入った。「今日はごみの日だっけ」と横目に、キッチンへ向かおうとした時、玄関の扉が「ガチャリ」と音を立てた。

この時間に玄関を開けるのはあの人しかいない。

キジマヨウスケがこの家に来て1週間ほどした頃、夜勤の仕事をしているのだとママに聞いた。

まいこは瞬間的に避けたい気持ちと、そこから逃げたくない気持ちとがぶつかり合うのを感じた。心と体はたちまち分離され、脚に根が生えたようにその場から動けなくなっていた。

キジマヨウスケはいつもと変わらない出で立ちで、〇とも×とも付かない無機質な表情をこちらに向けた。

まいこは知っている。こういう場合はとりあえず笑顔で「おはよう」と言えば何もかもが丸く収まることを。キジマヨウスケがこの家に来た時から毎日してきたことだ。何のことはない。

でも、瞬間的に気付いてしまった自分の心に従いたい気もした。避けるのではなく、立ち向かうこと。でも、一体私は何にどう立ち向かうというのだろう。正しい言葉も、行動も今の私にはさっぱり分からない。

数秒の対峙はママの一声で終わった。

「木島君、いつもありがとう。助かる」

キッチンからひょっこり顔を出したママは胸の前で両手を合わせた。

キジマヨウスケは「いや」と静かな声で返事をした後、おもむろに束ねた長髪を解き、一呼吸置くと、玄関の扉をゆっくりと全開にし、ごみ袋を両手でつかんだ。


南向きの玄関からはまぶしいほどの陽光が差し込み、たちまち玄関は明るくなった。キジマヨウスケの体は漆黒に落ち、輪郭は白い光に縁取られ、波打つ髪の毛の一つ一つが儚いまでに輝いた。陰影の美しいその後ろ姿は、なぜかこれから異世界に旅立とうとしている先導者のように見えた。

扉が「ばたん」と閉まった瞬間、はっと目が覚めた。さっきの不思議な感覚は一体何だったのだろう。魔法にでもかかったようにしばらく呆然としていると、キッチンからママが手招きをした。

「まいこ、ちょっと」


 学校へ向かう道中、まいこはどんよりとした気持ちで自転車をこいでいた。いつもの道を前進してはいるが、ちっとも学校にたどり着く気がしなかった。そんな気持ちとは相反するように、太陽はすべてを暖かく照らし、風は微かな春の息吹を包み込んで、優しくそっと頬を撫でていく。

住宅街を抜け、川沿いの堤防をまっすぐ進む。

この時間は犬の散歩や、歩いたり、ランニングをしている人もちらほらいる。遠くの方で同じように自転車に乗って登校している生徒も複数見える。

いつもと変わらない風景だ。

まいこはさっきのママとのやり取りを思い返して、重い溜息をついた。そして、誰でもいいから、週末私と入れ替わってくれる人はいないだろうかと心底思った。


「仕事で週末出張になっちゃったのよ」

ママはいつものように忙しなく動きながら、朝食やお弁当の準備をしていた。朝は時間との戦いだ。今日は少し時間がおしているのだろう。ママの表情はよく見えないけれど、その背中にいつもより慌ただしい雰囲気を感じた。

「だから家のこと、頼んだわよ」と、冷蔵庫の作り置きや、冷凍食品のストック、洗濯のこと、家事のあれこれを淀みなく説明していく。

ママは営業の仕事をしている。こうして県外に出張になることもしばしばで、留守番には慣れている。

「あ、あと木島君のこともよろしくね」

「えっ?」

まいこは途端に嫌な汗を感じた。

「木島君も料理や洗濯ができない訳じゃないんだけど、まいこの方が詳しいし」

「ちょうどいい機会じゃないかと思うの。もう半年近く一緒に住んでるのに、何だか他人行儀じゃない?」

「木島君も週末は仕事休みだし、まいこも予定無いって言ってたわよね?」

「2人でどこかお出かけなんてどうかしら?」

話をしている間も、ママの手は少しも止まる様子はない。目玉焼きの乗ったお皿をテーブルに並べ、味噌汁の味見をしたと思ったら、隣室の化粧台に向かって走っていく。

7年前にパパが死んでから、ママはずっと忙しい。休日も仕事の電話に出たり、データや書類とにらめっこしている。最近はママとの会話もめっきり減った。

数分後、グレーのスーツに身を包み、重いリクルート鞄とトレンチコートを両手に戻ってきたママがこう言った。


「まいこなら大丈夫よね?」


ママはまっすぐ私の目を見て、その殺し文句を放った。

私は「うん・・・」と微笑んで見せた。

まいこは頬にできたニキビがわずかに痛むのを感じた。


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