アヘ顔ダブルピースと世界のフレームについて
Twitterで柴田英理さんが「エロとホラーはきれい過ぎたりクオリティが高すぎない方がエロい&怖いという現象に名前はあるのだろうか」
と言うておってな、これはここ一連の俺が書いたもんの根幹に関わる気がするので考えてみよう。
いちいちきれい過ぎたりクオリティが高すぎたりって言うの面倒だから、それが含む情報量も込みで解像度と言うことにしようか。
解像度が低いがエロ、怖いって確かにある。
エロマンガってさ、好みもあるだろうけどさ、フルカラーになった途端エロさがなくなるつうか、抜けなくならない?
俺はなる。
エロ動画にしてもさ、4K高画質なんてのより昔の、それこそフィルムで撮ってた時代のがエロくない?
昔はエロに対するハードルが高かったから、その高いハードルを越えてくる人はそもそもがエロいってのもあるかもしれんけどさ。
ホラーにしても解像度が低い方が怖いよな。
有名なとこだとリングの貞子とか井戸のシーンはわざと画質を荒くしてるじゃん。
なんでなのか?
エロとホラーってことは懸賞するまでもなく、脳の反応するとこが違うんだろう。
より古い脳、大脳新皮質ではなく大脳辺縁系が活性化しているんだろうってことは別に説明しなくてもいいよな?
分からんかったら別に難しくはないので調べてくれたまえ。
解像度が低い方がエロい怖いってことは、解像度があがるほどに大脳新皮質が反応する割合が多くなり、辺縁系がタッチする割合が低くなるんだろう。
脳内のリソースを100とした場合、そのリソースを新皮質で使うか辺縁系で使うのかって話だ。
新しい刺激が脳に加わったをしても、脳内のリソースは増大せず、割合が変わるのみってことなんだろう。
そういや、前にプログラマーとかそういう系の職業で勃起障害が頻発してると聞いたことあるような。
リソースを新皮質で使いきって辺縁系で使うリソースがなくなったんだろうなあ。
つまり、エロとホラーに関しては脳のどこが反応するかまで考えて、あえて解像度を下げてやらねばならん。
便所で落書きでいいとか便所の落書きを書けという話ではなくて、解像度高いのを原初の本能にヒットするぐらい解像度を下げようぜって話だ。
実話怪談が色んな方面でもてはやされているのもこれだろう。
怪談を創作するとどうしても大脳新皮質の関わり割合は高くなる。
つまり、頭で考えた、怖いだろ?怖いよね?ね?ね?ってだけの怖くもなんともないしなんかどっかで読んだことある聞いたことある話になりがちだ。
辺縁系にアピールするもんがなんもない。
完全創作で辺縁系をぶち抜くのって難しいのよな。
なので、誰かの体験であることが必要になる。
まあ実話怪談つうても、それ創作だろ?って話も多いんだが。妙に辻褄が合いすぎるとかな。
あとちょっと話逸れるけど、映画のエイリアンあるじゃん。初代のやつな。
あれでギーガーデザインのグロ格好いいエイリアンをカメラは舐め回すように撮ったりしないじゃん。
暗い宇宙船の中で示されるのは断片だけで、あラストは違うけど、ラストに至るまではひたすら断片で全体は闇に沈んでいる。
これによっていままでにない異形を提示しながら、全体の解像度は低くなってるんよな。
それが脳の古い原始的な部分に響く。
でもってこの視点を得ることによって、アヘ顔ダブルピースへの理解が可能になる。
あれ、なにがエロいんだがわからんかったのよな。
しかし今ならわかる。
アヘ顔ダブルピースによって人格が剥奪されることによって、解像度を下げる行為なんだ、あれ。
そうして見るとエロにおけるさまざまな趣向が解像度を下げる方向で行われていることがわかる。
コスプレとかさ。
コスプレって解像度あげてるんじゃね?
と思われるかも知れんが、コスプレによってそれをする人の人生だとか来歴だとかがマスキングされ、解像度を下げている。
と同時にそうやって解像度を下げないと女性を直視できない層も増えてるんかなとも思う。
でさメディアによって世界の解像度はどんどんあげられていくけど、だからつうて脳のリソースが増える訳じゃないじゃん。
脳のリソースの総量は人によって違うだろうけど、無限ではないじゃん。
有限な脳内リソースと際限のない解像度の上昇でなにが起きるか。
世界の固定フレーム化だろう。
爬虫類で動いてないもんはエサとして認識できないってのがいるじゃん。
まあ合理的だよな。
全ての視覚情報を処理してそこからエサを識別するより、自分より小さくて動くものはエサと識別する方が使用するリソースも少ないし、ミスもないよな。
それと同じことが人にも起きる。
ある時点、ある視点で世界を見るフレームを固定してしまいアップデートしない。
特に日本に住んでいると震災でもない限り世界を固定フレームで見てるせいで間違った判断したからつうて、命に関わるなんてことが少ないから、動くものしかエサと認識しない爬虫類と同じく合理的だよな。
前に世界の敵について書いたけど、その前段階としてこれが入るな。
世界を敵対的なフレームで固定して見るんだ。
そして固定フレーム化から無縁でいられる人もいない。
誰しも程度の差はあれ、世界を固定して見ている。
だから皆、大なり小なり判断を間違える。
理屈通りにいけば苦労はしないってのもこれよな。
理論を展開するには仮初めであろうと世界を固定化せねばならんけど、世界はそんなん関係なく変化しているのだから再現性のある科学実験でもない限り理論を構築したら、それはそれこれはこれで脇に置いておかねばならん。
でないと世界と遊離していくだけだし。
いるじゃん? 話が通じなくて、話する気もなくなるような奴って。
世界が固定されてソリッドなんだもん、そら話通じないよな。
でもって脳内リソースに限界がある以上、いつのまにか話の通じない奴になっている可能性はかなり高い。
なので世界の固定フレーム化には自覚的にいこうぜ。
ピース、ピース。