第3話 夜明け
今よりも幼いラチラが森の奥で泣いている。俺はラチラの方へ手を伸ばすが何故か手は届かず、徐々に遠くに行ってしまっているようだった。途中までは聞こえていたラチラの泣き声も、今ではもう聞こえていない。あろうことか先ほどまで見えていた姿も暗闇に包まれ見えなくなってしまっていた。――行かないでくれ!
そんな言葉が喉から出かけた時、俺は現実の世界に帰ってきた。
「夢か… しかしどうしてあんな夢を見たんだろうか。昨日のラチラとの会話のせいか?」
ラチラは記憶違いだと言っていたが、少し気になるな。迷子になったのが恥ずかしくて隠しているだけじゃないか?と思ってふとラチラが寝ていた側を見ると、そこにラチラの姿はなかった。
「!?ラチラ!いないのか!?」
俺が慌ててテントから出ると、そこにはあられもない姿で水浴びしているラチラの姿があった。俺の声が聞こえてなのか、ちょうどこちらを振り向いたラチラと目が合った。
「あ、トロ君起きたんだね…って、ちょっと!こっち見ないでよ!」
「すまん!見るつもりはなかったんだ!」
俺がそう弁明するやいなやラチラの水魔法がテント目掛けて飛んでくるのが見えたので、素早くテントを閉じて中に引っ込んだ。
「服着るからそれまで出てこないでね!」
ラチラがそう言うので俺はおとなしく待っている事にした。しかし、ラチラの奴も出るとこが出て成長したんだなぁ、としみじみと感じる。昔は一緒に水浴びもした仲なので今更だろうと思ってはみるが、また水を浴びせられる羽目になるのは嫌なので黙っておく。
「トロ君― もう出てきても良いよー。」
どうやらラチラが服を着終わったらしいので。俺もテントから出ることにした。ラチラの様子を窺ってもどうやらそこまで怒ってはいないようだ。とはいえ謝罪も無しというのはどうかと思ったので、一応謝っておく。
「ラチラ、さっきはごめん。」
「さっきのはびっくりしちゃっただけだから、私の方こそごめんね。トロ君ならいいけど、私にも心の準備ってものがあるからね…」
ラチラは結構とんでもない事を言っている気がするが、兄妹のように過ごしたのならそこまで不思議な事ではないのだろうか。藪蛇となるのも避けたいし、今は触れないでおこう。そのまま朝食(昨日採ったリンゴの残り)を終えた俺たちは、テントを片付けて再びボーチへと歩き出した。
「昨日はテントで寝たから腰が痛いな。出発してから一日目とはいえベッドが恋しいよ。」
「今のうちからそんな事言ってて大丈夫?ベッドで眠れる事なんて町でしかないと思うんだけど…」
「ラチラは寝袋を持ってきていたからなぁ。父さんが用意してくれた荷物には寝袋が入ってなかったから寝心地が最悪だったんだ。」
「確かに、昨日はそのまま横になってたもんね。それならボーチに着いたら寝袋を買おうよ。その方が疲れも取れると思うよ。」
そんな他愛のないことを話ながら進んでいると、目の前に二匹のゴブリンが現れた。武器となる物は持っていないが、目を血走らせていかにもな臨戦態勢である。俺たちも荷物を降ろし、武器を構えた。
瞬間、ゴブリンが咆哮を上げながらこちらに向かって走ってくる。戦闘慣れしていない者ならば足がすくみあがってしまうであろうという気迫だが、日常的に魔物を狩っていた俺とラチラには通用しない。迫りくるゴブリン眼前に飛び込み、まず一閃。それだけで一匹目の首が落ちる。一瞬で仲間が斃されるのを見たもう一匹は予想外の結果にたじろいだようで、足を止めてしまった。そんな隙を見逃す訳もなく素早く間を詰めると、もう一閃で二匹目を屠った。
「ちょっと!私の分を取らないでよ!」
などとラチラが宣う。俺から言わせれば倒すのが遅い方が悪いのだが、ここは機嫌を損ねないのが得策だろう。
「俺は今回の旅はラチラの護衛だからな。お姫様に万が一でもあったら大変だろ。」
「トロ君らしくないね。言い返してくると思ったから、なんか気持ち悪い。」
あれっ!?まさか気持ち悪いなんて言われると思っていなかったからちょっと落ち込むぞ… というか俺らしくないって何だ?普段の俺ってそんなに感じの悪い奴なのだろうか。そんな事を考えていると、ふいにラチラが笑い出した。
「ふふっ、冗談だよ。守ってくれて嬉しかったよ、ありがとね、トロ君。」
「お、おう…」
不意打ちの笑顔に、照れ臭くなって顔を逸らしてしまう。
「トロ君でも照れることあるんだね。可愛い~」
「うっせ、置いてくぞ。」
「私の護衛じゃなかったの?あ、ちょっと、待ってよ~!」
ラチラにからかわれた事に少々腹が立ったので、俺は足早に歩きだした。ラチラの屈託のない笑顔に少しでもドキッとしてしまった自分が悔しい。そんな気持ちを悟られたくなかったのだ。
その後も時々魔物は現れたが俺たちは難なく倒して進んでいった。人の手が届かない場所であるならばもっと強い魔物も出るだろうが、多少なりとも整備された街道ならばそんな事はない。そうして順調に進むうちに、ボーチの入口につながる橋までたどり着いた。対岸には魔物から街を守るための衛兵が立っているのが見える。
「予定よりも早く着いたね。」
「ああ、これなら宿を取る前にちょっと街を見て回っても良さそうだな。」
そういう俺の頭の中はすでに食べ物の事で一杯だった。
「涎、出てるよ。忘れてるかもしれないけど、食べ物よりも先に寝袋を買うんだからね。」
「忘れてないから!そ、そうだよな。まずは寝袋だ、うん。」
「本当に大丈夫かなぁ…」
そういえば朝にそんな話をしていたなぁなどと思いつつ歩いていたが、俺たちはいつの間にか橋を渡り切っていたようだった。というのも衛兵に声をかけられるまで気づいていなかったからである。
「小僧たち、もしかして端っこの村から来たのか?珍しいな。」
「そうだよ。王都まで行かないといけないんだ。」
「王都ねぇ、ずいぶんな長旅の割には子供だけなんだな。ま、問題もなさそうだし通っていいぞ。」
「それじゃ通らせてもらうよ。」
「ちなみに宿を取るなら通りの外れにある”山猫の休息亭”っていう宿が安くて飯も美味いからおすすめだぞ。」
「ありがとう、参考にさせてもらうよ。」
小僧呼ばわりには多少ムッとしたが、宿も教えてくれたし悪い人ってわけではなさそうだった。おっさんの態度からするとやはり俺たちの村から王都まで行くなんて者はいないようで、改めて今回の旅に同行して正解だったと思った。こんな機会を逃したら二度とないだろうな。
今まで暮らしていた村が狭かったせいであろうか、ボーチの街は広大に見えた。まず目につくだけでも歩いている人の数が違う。目前の大通りには露店が並び、何か品定めをしている人や楽しそうに話しながら歩く人、串焼き肉を頬張りながら歩く人などで溢れかえっていた。またそれだけではなく、街の外周には酪農地が広がり、牛や羊が闊歩する姿が見て取れた。そんな、辺りをキョロキョロと見まわしながら歩く俺たちを、周囲の人たちがクスクスと笑いながら見ている事に気づいた途端、恥ずかしさが込み上げてきた。
「田舎者って思われちゃったよね…」
「仕方ないだろ、村にはないものばかりで目移りしちゃうんだからさ。」
「街を見て回るのは明日にして、今日はもう宿に行こうよ。」
「そうだな……」
ボーチの観光をしたいのはやまやまだったが、この場にこれ以上留まるという気にもなれなかったので素直にラチラの提案を聞き入れる事にした。俺たちは足早に大通りを去ると、衛兵のおっさんに教えて貰った宿へと足を運んだ。
「ここが山猫の休息亭か…なんていうか…」
「村ほどじゃないけど寂れてる、よね?」
そう、教えて貰った山猫の休息亭は周囲と比べて明らかに寂れた建物だった。ここで本当に休む事が出来るのか?と疑問に思えるような見た目ではあったが、他に宿の当てもなく今から探し直す気にもなれなかったため、俺たちは諦めて中に入ることにした。