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私とお師匠様との研究記録  作者: やなぎ いつみ
検証実験記録No.156
8/64

8.研究者の思惑

 円形の実験場の中央に歩を進めたニコを見送ってすぐ、フォルスは4級の障壁で自身とクレアを囲った。怪訝そうな彼女に構わず、彼は初めての等級に挑む弟子に目を向ける。


 ごく僅かな緊張を滲ませたニコは、一呼吸ついて顔を上げると共にそれを完全に消し去った。

 すっと静かに腕を伸ばし、起点となるところで一度止める。そして再び動き出した手は迷う事なく宙を滑り、指先から空色の軌跡が紡がれていく。


 その正確さに、フォルスは満足げな笑みを浮かべた。


 魔法への熱意が強いニコが印を描き間違う筈がない。

 軌跡を狂わせない集中力も必要ではあるが、彼女の場合――。


(……忘我、だな)


 ある意味集中しているとも言えるが、どちらかと言えばそちらの方が適切だ。

 何もない空間を彩る魔力が増すごとに、ニコは陶然とした様子を深め、まるで舞う様な動作で繊細な印を描き上げる。


 苦も無く完成された魔法は離れたフォルスにまで熱を届けるほどだったが、彼女は発現したその威力に怯えることなく、新たな魔力を紡ぎ出した。


(今のところ問題ないようだが……)


 その胸元に目を向ければ、薄く輝く飴色の模様。等級の高い魔法程熱くなるというそれが、今どれくらい熱を持っているのかフォルスには分からない。

 本人の忍耐力が高い上、魔法を使っている間はそんな素振りを見せない所為で限界が見極め辛いのだが、彼は許容範囲だという判断を下すことにした。

 だがこのまま上級の魔法に挑み続ければフォルスの印は熱を増し、いつかニコの身に痕を残すだろう。


(痕もそうだが、熱すぎると魔法を行使する妨げになる……。印が燃焼する魔力量を減らせばましか?)


 物理的に焦がす気はない。

 フォルスが魔法の改良を考えていると、呆然としたような呟きが彼の耳に届く。


「……こんな、ことって……」


 その声に誘われるように彼が隣を見てみれば、クレアが目を丸くしてニコを凝視していた。

 驚きを隠せずにいる姿に、まあそうなるよな、と同意する。


 何せこの等級の魔法は、使う事すら叶わない人間が大半なのだ。

 なのにニコは一向に手を止める様子を見せず、次々と魔法を展開させていく。

 魔素の取り込みが異常に速いのは検証で分かっているが、恐らく魔力量も相当に多い。欠陥さえなければ、ニコは間違いなく希少で強い魔法使いになれただろう。


 しかし現実はそうとは違い、彼女は別の意味で希少な存在だ。


「あれは騒がしいのが嫌いでな」


 煩わしさを忘れ、楽し気に宙を踊る軌跡を眺めつつ、フォルスはクレアに声を掛けた。

 すると彼女ははっとし――苦々しい表情で唸る。


 ニコが魔法を使えるようになった時、興味本位でフォルスの目を盗んでいらぬ魔法を使わせようとする者がそこかしこに現れた。

 躱すのを面倒がった本人がわざと衆目を集め、印の魔力を使い切り倒れて見せて以降は落ち着いているのだが、異常の上に規格外だと分かればまた周囲が騒がしくなる。


「……天才からの評価が高くて涙が出るわ」


 ややあって零された言葉から、彼女がフォルスの意図を正しく理解した事が分かる。

 彼はにやりと口の端を吊り上げた。


 少し潔癖なところのあるクレアは、『弱者』であるニコが不利益を被ることを許せない。

 その上『可哀そう』だった相手に『可愛い』と愛着を持ち、信頼を得ようとしているのだ。

 フォルスからしてみれば、これを利用しない手はない。


「心強いなぁ。助かる」

「あんたが巻き込んだんでしょっ」

「巻き込まれたがったのはクレアだろ」


 にやにやとした表情で事実を指摘され、クレアは青筋を浮かべた。

 ニコのためだと分かってはいても、腹の立つ相手の思い通りに動くのは不愉快である。


「……正確なのはどこまでなの」

「主治医は知っているが、機関長は知らないな」

「……、重いわ……」

「余計なことを言わないだけで十分なんだが」


 呻くクレアに、フォルスは珍しくも負担を軽くする発言をした。

 情報の遮断は余計な詮索を生み、虚偽の発言はいつか自分の首を絞める。

 フォルスの理想は嘘ではないが完全な事実ではないというものであり、それが実情として受け入れるよう、第三者(クレア)に協力してもらいたかったのだ。


「そうしたら研究も進みやすいしな」


 笑みを深めたフォルスは、クレアからすれば悪巧みをしているようにしか見えない。


「っ、ちょっと聞くけどあんたは一体――」


 判断を誤ったかと焦った彼女が言いかけた時――突然周囲から明るさが消え去った。


「!!」


 不意を突いた事態にフォルスとクレアがそれぞれに身構える。

 だが目を閉じたかのように真っ暗で、自分の姿勢すら分からない。


 そんな全てを飲み込む様な暗闇に、ぽつり、と水色の輝きが咲いた。


 周囲の色に影響されることがなくなり透明度を増したそれは、まるで静かな夜に降る雪のようだ。

 消えそうな儚さが、見るものをどうしようもなく惹き付ける。


(……ニコが見たがりそうだ)


 フォルスが力を抜いて溜息を吐けば、近くから同じような声が聞こえてくる。


 溜息も出るというものだ。

 この状況で彼の魔法が消えてしまえば、危ないのはニコの方なのだから。


 彼女が全力で魔法を使える機会に、出来るだけ使いたいようにさせたのはフォルスだが、限界がある事を理解しているのか。

 それともどんな状況でもフォルスなら見つけられると――そう思っているのだろうか。


 どうだかなと思いつつ、フォルスがニコの邪魔をしないよう手持ちのペンに小さな光を灯せば、隣でも同様の魔法が使われる。


 そんな風に研究者達が気遣う中、ニコの魔法は順調に完成へと近づいていく。

 だがあと一筆というところで、それは形にならずに霧散した。


(――っ、全く……!)


 見ていた限り彼女が描く印に何一つ落ち度はなく、原因は間違いなく別のところにある。危惧していた事態が起きたのだと分かると同時に、フォルスは暗闇の中を迷うことなく駆け出した。


 失くしはしない。

 何処にいても、どんな状況でも必ず見つける。


 そのためにフォルスはある魔法を作り上げ、彼女の体に印していた。

 毎度本人の与り知らぬ処でつけているので、バレればまた変態と言われるだろうが、今更だ。

 だいたい、フォルスの魔法がなければ何処で野垂れ死ぬか分からないような相手に、所在や状況を把握する魔法の一つや二つ、つけない方がどうかしているのだ。


 そう自身の行動を正当化しつつ進んでいると、苦しそうな息遣いが耳に届く。僅かな光源を向ければ地面に崩れた姿が見えて、フォルスはすぐにその傍らに膝をついた。

 宥めるように背に触れて、そこから腕を伝って小さな手へと辿り着く。

 この状況で最も分かりやすい素肌に、どの魔法よりも簡単なそれを素早く印せばニコの呻き声が落ち着いた。


「あ、……あり、がとう……、ございます」


 愚痴や甘えの代わりに、『良い子』な弟子からは礼が返される。

 重ねた手はひどく冷たく、そして震えていた。

 本当は、体を支えることすら出来ないはずだ。それでも耐え続けようとする彼女の姿に、フォルスは想いを殺すことなく華奢な肩を引き寄せた。

 抵抗する力を失くしたニコは、いとも簡単にフォルスの胸に収まる。


「……今日は終わりだな。もう休め」


 声を掛ければ重さを増した身体に、彼女が素直に力を抜いたことが分かった。



 甘やかすことは誰にでもできる。

 でもニコがそれを受け入れられるのは、限られた相手だけなのだ。









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