閑話:研究者の望むもの
ニコが目覚める直前の師匠とイルニスのお話です。
「来たか」
自室の扉を開けてすぐ、目にした眉間の深い皺。何の文句があって来た。そう、相手煽りかねない男を前に、フォルスは淡々と事実確認の言葉を告げた。
「……まだ、目覚めていないのか」
「あぁ、誰かから聞いたか?」
「……」
無言の肯定に、フォルスは確かにな、と返しつつ、相手を部屋の中へと招き入れた。
客の出迎えは、本来助手の役目だ。けれどもフォルスの大事な助手は、今深い眠りについている。だから主自らこうして対応したのだが。
(流石にもう、ニコが出ると思ってたんだろうな)
あれから丸三日が経過した。恐らくイアンからだろう、聞いた話と違う事態に、イルニスの眉間の皺が深くなる。
――そう、辛気臭い顔をされると抉りたくなるな。
扉を背に足を止めた相手に視線を送り、フォルスは内心舌打ちをした。
どれ程這いつくばって謝ろうが、ニコが失った時間は戻らない。あのクズと、それを管理しきれなかったイルニスと――他でもない、フォルスが奪ったのだ。
許すことは出来なかった。
苦しめば良いと本気で思った。弟子に与えた印が何処にあるのか。それを承知の上で暴こうとした手など、焼け爛れてくれて構わなかった。
なのに、用意した『お礼』は何よりニコのことを傷つけた。フォルスにとっては、最悪に近い結末だ。だが、喚いたところで生まれるものは何もない。
(……とにかく今は、この状況を最大限活かすことだ)
腹に溜まる黒い感情を、ぶちまけないよう息をつく。
折角、この男が膝を折っているのだ。恩の売り方としては想定外だが、得るべきものは得ておかねば。
成すべきことをしろ。そう自分に言い聞かせ、相手を椅子に座らせた。
「……まぁ普段なら、もう目覚めていても良い頃合いなんだが……前の検証の休眠時間が異様に短くてな。その代償を払い切れてなかったんだろう」
だから発作を起こしたくなかったのだと続けつつ、フォルスも自身の机へと足を向ける。
「申し訳なく、思っている」
大層忌々しそうな様子だが、意図するところは恐らく違う。重すぎる負荷の掛かった、ニコの体調を慮っているのだ。
そんなことだから誤解されるのだと思いつつ、書類の山から資料を引き抜く。次いで書き付け用の紙を取り出していると、不意に、何故、と問う声が耳に届いた。
「何故、あの形で置いておく? 取り込みを阻害しておく方が、よほど安全だっただろう」
「……、へぇ?」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
だがその意味を理解した瞬間、思わず手にした紙を机へ放った。身の内で治めようとしていた、燻ぶる火種が燃え広がる。
「つまり、あいつには望みを持たせるなということか。誰もが持つ当たり前の事すら許さずに、大っ嫌いな印を体に刻んで、監禁しろということだな」
「そうは言っていない」
孕む怒気を感じ取ったのだろう。イルニスが僅かに視線を下げる。だがフォルスは逃さなかった。
「いいや、そういうことだよ。あいつにとって、阻害の印はそれだけの意味を持ってる。……俺は対抗手段も持たない希少品を彷徨かせるほど、能天気じゃないんでな。それに」
首輪をつける。鎖で繋ぐ。安全で、安心で、誰の目にも触れさせずに済む方法。あの身を離すものかと思った日から、それを何度思い、どれほど願ってきたことか。
閉じ込められるなら閉じ込めたい。
それでなくとも弟子は死に急ぐ。自由など無くした方が、フォルスは心穏かでいられるだろう。
けれど。
「あいつが魔法を使うところを、見たことがないからそう言える」
フォルスの脳裏に焼き付いて離れない。
輝く澄んだ湖水の青。それがきらきらと宙に浮く瞬間の、彼女の顔。
「指先に灯るだけの、小さな火。たったそれだけの魔法を、あいつはどれだけ嬉しそうに描くと思う」
「……」
「どれだけ幸せそうに、俺が与えた印に触れていると思う。……奪えるものなら奪っている。あの瞬間を、あいつから」
焦がされる。そのひとときを重ねる度に、欲しいと思う。
「……軽率な発言をした」
「詫びは働きで貰おう」
今度こそ容赦なく求めれば、イルニスは伏せていた目をフォルスに向けた。
「何をすればいい」
元よりそのつもりではあったのだろう。躊躇なく応じた相手に溜息が漏れた。
「なら……暫く俺の研究に付き合ってもらおうか」
「……、何?」
「聞こえなかったか? 俺の研究に協力しろと言ったんだ」
「――冗談だろう」
「残念ながら俺は本気だ。どうしても、欲しいものがあってな。お前の頭が役立ちそうだなと」
「何を、それほど……」
戸惑いと警戒を強める相手に、フォルスは構うことなく口を開いた。
「印を維持する新たな方法」
「……!」
「お前の前任もしていた研究だよな。魔法の改良を受け持つ部署の長として」
魔石という遺物を解析し、既存の魔法を負担無く、より長く保たせる。フォルスが入職した当時、イルニスの上司はそんな研究をしていた。
だが。
「『前室長以外、誰もその研究に関わっていなかった』だろ? だから機関長に聞いてみたんだが、やっぱり渋られてな」
突然のことだった。抜き打ちと称して訪れた管理局が、前室長の研究を暫く預かると言い出した。関連資料を回収し、聞き取りという名目で前室長を連れていき――。
数日程度で済む見込みのところが、彼は未だに戻っていない。結果、機関の上層部は研究室を解体し、イルニスは扱う主題の変更を余儀なくされた。
「で、部下だったお前なら、前室長の考え方くらいは話せるかなと。勿論、内容を知っている――なんてことがあれば理想だけどな」
「……、目をつけられたのではなかったか」
「ああ。けど、呼ばれてるのは弟子だけだからな。これで俺も招待して頂けるのなら有り難い」
むしろそれを望んでいると暗に示せば、イルニスはいよいよ頭を抱えた。流石に道連れにする気はないのだが、訂正するのも面倒だ。
(このまま悩ませておくか?……いや、意地が悪いと怒られそうだな)
師匠を諌める弟子の姿が頭に浮かんで、仕方ないなと思い直す。
そうして訂正しようと口を開いた時だ。
不意に、続き部屋の扉がかちゃりと開いた。
お越し頂きありがとうございますっ。
お久しぶりすぎて本当にすみません……!
ニコ不在でお師匠様ご機嫌ななめの回でした。
あっ、明けましておめでとうございますもお伝えしてなかった!
皆さまの1年が少しでも穏やかで、ほっと息つく事ができる年でありますように……❀




