14.事態の把握と考察と
ぐったりともたれ掛かった華奢な体。それは室内と同じく濡れそぼっており、輝く金糸の先からは、ぽたぽたと小さな雫が垂れていた。
状況的に、火を収めたのだろうと分かる。
イルニスは小さく魔法を描いて水気を飛ばし、崩れる体を引き上げた。
「!……っ」
その瞬間、想定以上の軽さと――血塗れた衣服に目を瞠る。
(まさか、ロイが何か――。それとも……)
助手が魔法を使うとき、『研究者』のつけた印が発熱するという。
今、血で汚れているのは印のあった胸元と、触れていたであろう手だ。もしかすると何か他に、把握できていない代償が発生したのではないか。
(……考えるより、早く専門に診せるべきだな)
対応を誤り時間を取るよりよほど良い。早々に結論を出し、イルニスはロイを振り返った。
「医務室に行く。戻るまでの間、片付けを進めておけ」
聞くべきことは多くあるが、最優先は危ぶまれている命を守ることだ。項垂れたままの部下を置き、いつの間にか沸いた聴衆を散らしながら外へ出る。
そこで、思い出した。
「ミュゼット」
「はいぃっ!」
「来い」
「しょっ、うちしました……!」
ミュゼットはイルニスが到着する前から現場にいた。話を聞けば、医務室に着くまでに多少の情報は得られるだろう。
(最たるは、こんなことになった理由か)
人が苦しむのを眺める趣味はない。それ故、イルニスがニコの発作を目にするのはこれが初めてだったのだが。
ちらりと抱えたものに目を落とす。
先程は汗が浮くほどだったのに、今は息をしていないのではと疑うほどに、胸郭の動きが無さすぎる。
冷たくぴくりとも動かない体に、つい眉間の皺が深くなった。
(……これは、いつも、こんなことを……)
本当に、常軌を逸している。魔法のためとはいえ、何故ここまで身を削ろうとするのか理解出来ない。
勿論、それを強いる側の思考もだ。
「……、何があった。知っていることを話せ」
背後に向かって声を掛ければ、ミュゼットがびくりと反応する。
「は、い……っ。その、わたし、い、医務室でニコさんと会ったんです」
「ほう」
己の助手が、特殊体質の娘を苦手としていたことは知っている。
「そこで少し、……お話をして……、それからわたしが返そうとしていた辞書をみせたら、ニコさんが驚いた顔でどうしてって」
「……」
「だからわたし、ロイさんが使っていたんだとお話したんです。そうしたらニコさん、急に用があるって走って行ってしまって……。わたし、何だか心配になって、何とか人に聞きながら追いかけたんです。そうしたら研究室がもう、あんな状態で……」
「それで、この娘は何か言っていたか」
「……、どのようにして、この魔法を知ったのかと……聞いていました。分からないようにしていたはずなのに、どうしてと……。そこからは、イルニス様が見ていらっしゃった通りです」
(成程)
予想以上に、状況が把握できた。
何故これがあの場に居り、あのように怒りを抱えていたか。
全て、主人の魔法が絡んでいたからだ。
そうなれば、次は奴の魔法がロイの手元にあった経緯、だが。
「すみま、せん……っ、わたしが、もっと早く、追いついていれば……!」
「お前が負うことは何もない」
耐え切れなくなったように謝るミュゼットに、イルニスはその事実だけを口にした。
他人の考えや行動、ましてや欠陥品の魔力残量など、予測できるはずもない。
「ですが……っ」
「二度言わせるな」
この事態の責任を負うべきはイルニスの方だ。だが、言葉を遮られたミュゼットは後を追う足を鈍らせた。
いつもの如く、自分に出来たはずのことを挙げ、責めているのだと察しがつく。
随分、これに心を傾けるようになったようだ。
「……、もし何か思うところがあるのなら、お前がこの娘に直接伝えろ。それくらい、出来るようになったのだろう」
「! っ、はい……!」
途端に浮上した声と足音に、イルニスは息をついて前を向く。
そして、再び考えた。
己の部下が、あの男の試作に触れる。そんな『偶然』が起きた理由は。
(……まさか)
図書館でミュゼットに請われて止めたとき、ロイの手はニコの釦に掛かっていた。もしミュゼットが同じ目に遇っていれば、イルニスは相手を半殺しにできるのだが――相手は非常識を極めた変人だ。
あれにそこまでの情緒機能が備わっているだろうか。
(……とはいえ、所有物に手を出されて黙っている人間でもないか)
これまでの助手の扱いを鑑みて、イルニスは一先ずそう結論づけた。
――後にこの認識を、大きく正すことになるとは――この時は思ってもいなかった。
お読み頂き感謝です!
そ、そして……
前回からブクマ下さった方、ありがとうございます……っ(泣
次回は、その頃の師匠をお送りできればと思います❀




