9.進むことの難しさ
……きっと、怒る場面だと思う。
お前に何が分かるんだと声を上げ、身に降る理不尽に泣いても良い。
だが、今のニコにその感情は沸いてこない。不思議なほどに心が落ち着き、そうか、と受け止められている。
どうしてだろうと考えてすぐ、どうしようもない師匠のことが頭に浮かんだ。
そうだな、と思う。
誰に無価値だと卑下されようと。
ニコ自身が己を否定しようと。
それを上回るほど強引に、揺るぎないものを与えてくれる人がいた。
だから考える事が出来ている。
血の繋がりに縛られる苦しさ。四級魔力保有者としての期待と責務の重さ。ニコには分からない重荷が、彼女にはあるのだと。
それに。
(……どうしようもないことを願ったのは、私も、同じです)
終わりを求めたことを、ニコは一生忘れない。
生きたいと願う人がたくさん、たくさんいたはずだ。死に抗う努力をし、明日を掴もうとする人の心をどれだけ踏みにじったことだろう。
でもその瞬間、ニコにはそれしかなかった。
だからミュゼットを責められない。
どうしようもないことを願ってしまう程、苦しいのだと分かるから。
(……こういうところが、ダメなのかもしれませんね)
感情を走らせるより、考える方を優先してしまう。ルーチェに心配をかけたというのに、中々自分の性格を変えられない。
(ですが……)
今は、それで丁度良いと思えた。
そっと、ミュゼットの手に触れる。
びくり、と彼女の肩が小さく揺れた。それでも避けることはしなかった。
だからもう片方の手を重ね、白くなるほど固く握られた手を包み込んだ。
――溜め息を吐く、人がいる。
その度に、自分の世界が黒く、塗り潰される心地がする。
怖かった。
苦しかった。
見捨てないで欲しかった。
でも、その声さえも出せなかった。そんな暗闇に、今彼女はいるのだろう。
だから、どうか。
あの夜、初めて師匠と出会った時に。
ニコは魔法をかけてもらった。
価値を認め、生きて欲しいと言葉をもらった。
(私も、あんな風に、できるなら……)
失敗は怖い。この世には、取り返しがつかないことがあると知っている。
でも今でなければきっと駄目だ。
ニコが救われる機会があの瞬間であったように、誰かの心に届けられるのは限られたほんの一瞬だ。
だから今、ニコは魔法を使いたい。
「――私は」
きゅっと、握った手に力を込める。
涙で濡れた栗色に、澄んだ湖水の青を真っ直ぐ向けた。
「あなたがいて下さって、良かったですよ」
「……、え……?」
「図書館にいたあの日。イルニス様を呼んで下さったのは貴女ですよね、ミュゼット様」
「――」
ご訪問感謝です~!
久々に内臓の具合が入院レベルになり、あと1~2話程度で潜ることになりそうです!
変態師匠が現れるまで駆け抜けたかったです~




