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10.歩き始めてみたものの

 

 商業区は王都を斜めに蛇行する通りによって、大きく北西と南東に分かれている。

 大通り沿いは地価が高く有名店が軒を連ねているが、一つ通りを中へ入ると土地も細かな区画となり、店の構えも小さくなる。


 だがどこもここも規模の差にかかわらず、建国の日を祝う気持ちは同じらしい。

 商いをしていると(おぼ)しき建物は、ほとんどが祭りに合わせて同じ意匠の旗を掲げ、窓辺に色とりどりの花を飾っていた。


 ニコは師匠と共にそんな街を歩いては止まり、陳列された商品を眺め、時には店の中も覗いていく。

 

 普段巡り会えないような品物達の出迎えに、ニコの心は素直に踊った。ただ、不意に発揮される師匠の無駄遣いにはとても困った。


 それに――。


(……見られて、ますね……)


 ちらちらと向けられる視線。

 特に若い女性からが多いそれは、辿ればニコという看板に行き着く……ことはなく、ほとんどが隣の詐欺師に向いていた。

 

 ――でもこの人変態ですよ。


 などと心の中で呟きつつも俯けば、突然師匠に手を引かれ、再びニコの瞳が彼に向く。


 その行動に、深い意味はないらしい。

 だが瞬き見上げた飴色は、満足そうにとろりと溶けた。


(……なん、なんでしょう……)


 沸き上がる、もやもやとむずむず。それを繰り返しているうちに、陽は中央を通りすぎていた。




 ***




「ん、美味い!」

「お勧めして下さった屋敷の方に感謝ですね」


 感嘆の声を漏らした師匠に、ニコは息をついてそう返した。

 時刻は午後一時半を回ったところ。休憩だ、という師匠の一声で、ニコは彼と共にベンチに荷と腰を下ろし、遅めの昼食を手にすることになった。

 隣で師匠が美味しそうに頬張っているのを少し眺め、ニコも紙に包まれた軽食をひと齧りする。


(……!)


 それは柔らかく焼いたパンに、肉と野菜を挟んだ簡単なもの。だが、その美味しさは一言では表現できなかった。

 パンは温かくてふわふわで、野菜はシャキシャキしていて新鮮で、丸い形に焼いた挽肉からは肉汁が溢れてくる。

 何より甘辛い調味料(ソース)が絶品だ。


(これは、凄いです)


 間で試食だなんだと腹に入れていたので、さほど空腹ではなかったのだが、あっという間に平らげてしまった。

 若干物足りないくらいだ。

 店の名前を心に刻みつつ包みを畳んでいると、横から手が伸びてきた。


「捨ててくる」

「いえ、私が行きますよ」


 丁度そうしようと思っていた。

 だが――。


「座ってろ」


 そう言うと同時に、師匠はニコの手から紙屑を奪い取り、席を立って行ってしまった。

 慌てて荷物を纏めてみたものの、その僅かな(あいだ)で後ろ姿がどんどん遠退く。

 ニコが足を踏み出そうかという頃には、師匠の背中は人混みに紛れ、すっかり見えなくなっていた。


(……足、長すぎです……)


 呆然として文句を零し、ニコは再びぽすりとベンチに座った。

 背が高いので当たり前だが、師匠の股下は弟子より長い。結果生まれる歩幅の差には、翻弄されることが多かった。


 追うときにはそこそこ必死で、追われる時にはすぐ捕まる。

 後ろからは見えない顔に、怒っていないかとはらはらする。


(今は、そんな風に気を揉むことはないですけどね)


 発する声音や歩く速度で機嫌が分かる。師匠と長く過ごすうち、気付けばそんな能力が身についていた。

 それに最近は後頭部より、むしろ横顔を眺める機会の方が――……。


(……、あれ、……)


 何かがおかしい、ような気がした。

 どこがそう感じさせたのか、違和感の原因を考え始めた、その時だ。


「――ん、ニコ様?」

「っ……」


 悩む頭に掛かった声に、ニコは弾かれたように振り向いた。

 目に飛び込んできたのは、赤墨色の長い三つ編み。快活な性格を表す、橙色の瞳。そして、ぶかぶかの白衣を着た姿。


「……ルゥ?」


 ニコが導き出した愛称に、彼女――ルーチェはわぁ、と嬉しそうに破顔した。


「やっぱりだ! いつもと全然違う髪型だから、あれー?と思ったけど、肩幅と首の長さがニコ様だったし」

「……そうでしたか」


 相変わらず独特な。

 街の空気をまるっと無視した装い通り、ルーチェは一風変わった女子だった。

 年齢はニコのひとつ上の十九歳。取る言動は相応よりも少しばかり幼いが、その頭脳には医薬の知識が詰まっている。

 そんな彼女が欠陥品をニコ様と呼ぶ理由。


 それは、彼女が閑古鳥の鳴く医務室の一員であり――ニコがその大事な『客』であるからだ。


「それで、ルゥはどうされたのです」

「えへへ、お薬と、器材の調達に。でもアン先生が迷子になっちゃって、待ち合わせ場所にいくところー」

「そうですか……」


 恐らく迷子なのはルーチェの方だ。興味のあるものと事象、それらに突っ込んでいくと、保護者の方がその姿を見失う。

 ニコの主治医であるアン先生――ことイアンが何処かで発狂している姿を思い浮かべた。


「ニコ様は変態とお出かけ?」

「まぁ……そのようなところです」


 もはや修正はしない。ルーチェはイアンを尊敬している。そんな相手が下す評価は、彼女にとって絶対だ。


「そっかぁ。うん、いいね。その格好も、とっても可愛い。あれの浮かれ具合が目に浮かぶなぁ」

「……そんなことでお師匠様は浮かれませんが」

「えぇ、そう? なら隠してるな。あの変態研究中毒者、結構むっつりだもんね。研究以上に中毒な癖に――あぐっ」

「ただいま、ニコ」

「! お師匠様」


 噂をすればなんとやら。戻った師匠が笑みを浮かべて立っていた。

 要らぬ労働をこなした後だが、機嫌は変わらず良いらしい。片手でルーチェの頭を沈めてはいるが。


「……すみません、お手数を。それからルゥが潰れそうです」

「本当か、気づかなかった。てっきり手頃な肘かけだと」

「なん です とぉぉ!」


 唸るように声を上げ、ルーチェがぶん、と腕を振り上げた。

 暴走娘が爆発したが、師匠は余裕の表情だ。ひらりと距離を取りつつ、弟子との会話を続行する。


「そうそう、ニコ。足、少しは楽になったか?」

「……え……っと、はい……随分、と……?」

「だったら良い。無理はするな」


 そう言って、師匠はふっと目を細めた。


「……」


 なんだ、それは。

 固まるニコに代わって、ルーチェが尋ねた。


「……ねぇ、ちょっと……どういう風の吹き回し?」

「思うところがあってな、少し方針を変えることにした」

「! うっそ、それってむっつり卒ぎゃぅ」

「あんまり要らないことばかり言ってると、俺もそろそろ怒るぞ?」


 ルーチェの頬をつまみ上げ、師匠が笑顔で宣告した。


「ふぃぃっ、ほうほほっへうひゃん!」

「当たり前だ。崇高な忍耐と言え」

「ふぇぇ……ひんはいぃ……? ――っは、ひぇっ、ほへん!ほへんははい!」


 じたばたと、長い袖を振り回し、ルーチェは謝罪らしきものを口にした。その途端、ぱっと師匠の手が離される。


「――っうぅ、アン先生に言ってやる……!」

「言う気力があればな。――お前、アイツとはぐれてどれくらい経ってる?」

「えぇ……? 何言ってるの、全然そんなに経ってな――」


 どうだろう、とニコが心の中で思った瞬間に、広場の鐘が二回鳴った。午後二時だ。

 ルーチェの顔がさあっと青くなっていく。


 ……どれだけ寄り道してきたのだろう。

 

 当初彼女が思ったであろう、ちょっとくらい、が大幅に過ぎていることだけはよく察せた。

 イアンの綺麗な笑顔が頭によぎる。不思議なことに、人間は怒りがある点を越えると笑うものだ。


「――うぁ、あ……っ、る、ルゥ、そろそろ行くね! ごめんニコ様また明日っ、健診で!!」

「あ、はい、また……」


 脱兎のごとく走り去る嵐を、ニコはまた呆然として見送った。そしてそっと、傍に立つ師匠を振り仰ぐ。正確にはその、意地悪そうな横顔を。


「……仲、良いのですね」

「ん? まぁ、多少はな」

「多少……」


 多少どころではないだろう。

 気安く触れたり、罵り合ったり――見る限り、とてもよく通じ合っていた。助手のニコが全くついていけなかったというのに、だ。


「大丈夫だ、安心しろ。俺とお前の仲には及ばない」

「――そ、ういう話をしているのではなくてですね」


 一体何の気遣いだ。うっかり返事を詰まらせれば、師匠は軽く笑ってニコの方へ体を向けた。


「なら、どういう話だ?」









お久しぶりです!

途中で切れててすみません(´□`;)

一話のつもりが長すぎて……

明日中には続きを投稿できたらと思ってます……!

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