4.希少品の運命は
そんなこんなで、ニコは階下の作業部屋へと足を向けた。
変態師匠は弟子の試着に随伴してきたが、いざ脱ぐという時に美容薬の開発者に身柄を拘束されてしまった。
なんでもご婦人向けの美白液の売れ行きが好調なので、今度は若年向けの面皰予防を開発してみたいのだとか。
はじめは気のない返事をしていた主も、会話するにつれて興味が沸いてしまったようだ。
流石はメルの部下、研究者の扱いを心得ている。
わいわいと語らいながら遠退く背中を見送って、ニコは言われるがままに指定の衣服に袖を通した。そして無心でくるりと一回転。
その度発揮される職人のこだわりに、弟子は師匠と同じにおいを感じていた。
***
皮膚が擦りきれるかというほど着替えを繰り返した、一日の終わり。
「長い金髪の、女性だそうですわ」
世間話でも始めるように、メルがゆったりとした様子でそれに触れた。
日の入りと共に商会店舗は門を閉め、一家は住居の方へと移動している。
「他には?」
「大層生意気な研究者が管理しているとかいないとか」
「どうしようもないな……」
「公表しちゃうとつい口が滑るよね。どうせいつか分かるだろうってさ。ディレク氏には同情するよ」
そう言ってティエンが苦笑した。
内容は町で噂の新たな印と欠陥品に関することだ。
目の前には香り豊かな夕食が存在するが、それよりも口にされる頻度が高い。
(……勿体ない、ですね……)
切り分けた肉をぱくり、と口に入れる。
強く噛まずとも解けるそれは、普段の食卓には上らない高級品だ。鼻に抜けたハーブも、流石支部長厳選の品だと感心する。
――本当に、勿体ない。
現状はメルが始めたことだ。だから気にする必要はないと分かっている。
ただ、ニコが勝手に申し訳なく思っているだけだ。もう少し和やかな話で食卓を囲めるとよかったな、と。
もくもくと口を動かす間にも、話は先へと進んでいく。
「容姿に属性、個人の背景……どれをとっても、特徴的な部分が流れてますわね。覚えやすいし、伝えやすいのでしょうが――」
「まぁ特定はしやすいよね。特に君が絡むとさ」
義父の指摘に、高名な天才研究者は舌打ちをした。
そっと隣を伺えば、案の定苛立ちを示す主がいる。だが飴色が含む感情はそれだけではないような気がした。
「おやおや、そんな顔をして。分かっていたことだろう?」
「だからといって不快にならないわけじゃない」
口だけで笑って問うた義父に、主が低い声で返す。纏う空気の鋭さに、ニコは僅かに瞬いた。
(……何の、話を……?)
単に情報の広がりを確認している――にしては、主の態度がやけに険しい。
戸惑いと共に視線を動かすと、目が合ったメルがふわりと微笑みかけてきた。
「お義兄様はね、街の噂を聞いて地下のことを考えたのですわ」
「地下、ですか……?」
「ええ。一般には扱えないものを売買する場所――といえばよろしいかしら。指定を受けた保護獣や人を惑わす秘密の花……。特に希少品には蒐集家がおりますから」
特異体質にも相当の値がつくでしょう――。
そう言って、商人の娘は猫のように目を細めた。
(……成程……)
そういう話だったか。
様々な事が腑に落ちて、ニコはふっと息を漏らした。
「……敬遠されるものと思っていました」
蔑まれるのは日常だ。そうでなければ、扱いに困って距離を置かれる。
機関でも世間でも――異物の扱いなど、そんなところだろうと思っていたのだが。
「世の中、奇特な方がいらっしゃるものですね」
笑って言えば、向かいでティエンがそうだねぇ、と同意する。
「しかもそういう人ほど我慢できなかったりするからさ。当分はフォルスの言うことをよく聞いて……あぁ、あと、海沿いのお散歩は一人で行かないようにね」
「分かりました」
ニコは大人しく頷いた。
泣き叫んで喚いたところで、纏わりつくものが消えることは決してない。また歩くと決めたその日から、全てを連れていくのだと覚悟した。
「――ニコ」
「はい?」
味の消えた主菜を咀嚼していると、主が唐突に名を呼んだ。
「こっちに来い」
(こっちって……)
思わず彼の周囲に目をやった。
ニコの身は既にフォルスの真横にあり、呼びつけられるほどの距離はない。
回り込めば良いのだろうか、などと考えていると、斜向かいでメルがあぁ、と声を出した。
「ニコ、一度立って。椅子の隣に……そう」
主の向かいからだと、行くべき場所が見えるらしい。彼女に頼り、言われた通りに動いてみる。
「そのまま身体を九十度回転させて、半歩後ろへ――はい、そこで腰を下ろす」
指導者の言葉に合わせてぽすりと座れば、そこは主の膝だった。
(ええ、と)
状況を理解しようと瞬く間に、『椅子』の一部がニコの腰を拘束する。
一方でその自由な利き手は義妹の料理を食べるために動いていた。
「……何ゆえ……」
「お前の顔が悪いから」
「言葉の選択に棘が感じられるのですが……」
「刺さって痛いなら大人しくしていろ。聞かないならもっと締め上げるぞ」
「……」
別に痛くは、ない。
けれど主が狂気を向けるので、静かにしておくことにした。
目を閉じて、自身を捕捉する腕に身を委ねる。
そうして一息ついて、気がついた。
「……ご飯が食べられません……」
自分の皿が遠退いた。
ぼやけば分かったと声がして、ふかした芋が口に当たる。
(む……)
引く気配は全くなくて、やむなくそれにかじりつけば、ほどよい塩味が舌の上に広がった。
「落ち着かれました?」
「多少はな」
「それはようございました」
ため息をついてフォークを手放した兄に、メルがにっこりと微笑む。
「それでは破壊衝動が再燃する前にこちらをどうぞ。情報を集めているらしい方々を一覧にしておきましたの」
「……仕事が早いな」
「ありがとうございますわ。とかく猫好きな部下が熱心で」
言いながら差し出された紙を、主は片手で受け取った。もぐもぐと口を動かすニコの脇でそれを眺め、ふんと鼻をならす。
「聞くところによると皆様、常軌を逸した天才をかなり警戒していらっしゃるようですのよ」
「それは有り難いことだ」
「ええ。ですが中には十割善意の方もおられますの。なんでも利用されるだけの場所から解放し、望む道を選ばせたいとか……」
「ふふ、中々に傲慢だよねぇ」
ティエンが笑って切り捨てた。
ニコも心の中で同意する。しかもそれが正義と信じて動くのだから、面倒さは割り増しだ。
「全く、あっちでもこっちでも好き勝手言ってくれるもんだ」
「本当に。専門家の方も厄介ですわねぇ」
義妹のしみじみとした声を受け、主が疲れたように弟子の肩にもたれかかる。
その重みを感じつつ、ニコは『専門家』のことを思い起こした。




