おまけ:弟子迷走の一日
自身の課題について方針を修正したニコは、目標とする効果を得るための手段を考えていた。
求めるのは『癒し』である。
ニコ自身が思いつくのは、お茶を飲んで一息つく時なのだが、それを魔法で表現することは難しい。
(お師匠様は……甘いものを食べてるときでしょうか?)
あとはうたた寝をしている時も気持ち良さそうだ。
楽しいという感情が見えるのは、研究が上手く進んでいる時と――弟子をからかっている時か。
どちらにせよ形にはできない。
どうしたものか、とニコが手がかりを探し歩いていると、波打つ黒髪が目に入った。
「クレアさん……」
「あら、こんにちはニコちゃん」
ぽそりと呟いた名が耳に届いてしまったらしく、彼女は振り返ってニコに笑みを見せた。
それに慌てて挨拶を返し、ニコはそうだ、と口を開く。
「あの、クレアさんは息抜きに何をされます?」
尋ねた途端彼女は目を瞬いて、息抜き?と首を傾げた。
流石に唐突過ぎたようだ。
大抵は迷惑にならないうちに、何でもないと言って誤魔化すのだが、ニコはその日踏みとどまることを選んだ。
現状、資料が少なすぎて行き詰まっている。
それでなくても仲の良い相手が少ないのだ。
少しでも意見を得たいと考え、ニコは差し支えなければ、と言い添えて先を促した。
すると、クレアはそうねぇと思案する様子を見せる。
「音楽とかは好きよ。美味しいものを食べると息抜きになるし……雑貨とか、可愛いものを見てる時とかも癒されるかしら」
すらすらと出てくるそれは、どこか彼女らしいと思えるものばかりだ。
直接魔法には出来ないものだったが、ニコは不思議と嬉しい気持ちになる。
「それは、分かります」
同意すれば、クレアの目が丸くなる。
次いで頬を緩めた彼女は意外なことを口にした。
「ふふ、今度一緒にお出掛けしてくれるのかしら?」
「! ……あ、ですがお師匠様の都合がありますので……」
すみませんと断って、ニコは視線を落とした。
だが一瞬の表情の変化と、『でも』が素直な希望を表している。
「……そうよね、分かったわ」
納得したようなクレアの声音に、ニコはまたごめんなさい、と返した。
お邪魔になりますから、と丁寧に遠慮するのが常だった少女の変化に、クレアが変態研究者への直訴を決意しているとは、思ってもいなかった。
***
その後研究室へ戻ったニコは、書き置きを一つ残して家へ戻ることにした。
職場の整頓は必要なく、自身の課題も進まない。
籠っていても埒が明かないので、身体を動かすことにしたのだ。
家を片付けて夕食の準備などしながら、何か得るものを探してみようという魂胆である。
魔法を使えなかった時代には考えられなかったことだ。
技術の進歩をしみじみと感じつつ、ニコが機関の敷地外へと向かって歩いていると――。
「ニコちゃーーんっ! 今日は史上最高に可愛いね!」
そんな声が遠くから近づいてきて、道行く足を止めさせた。
顔を見なくても分かる。ヴィリオである。
「……いつも通りです」
追ってきた彼を見上げて答えると、じゃあいつも最高だねと軽すぎるお世辞をくれた。
嬉しそうに笑うヴィリオの背後に、尻尾が振られているのが見える気がする。
ニコがここまで懐かれることになった記憶がない。
「あの、図書館へ運ぶ途中では?」
「ちょっと休憩。まだこれから働くからねぇ」
鞄を提げたニコに対し、彼は大きな台車をついている。
そこには紙や筆記具などの資材が入っていて、館内業務に使用するのだろうと察せられた。
「ニコちゃんは何処かへ行くの?」
「少し、身体を動かそうかと」
「あっ分かった! 考え事だね?」
「……」
なぜそこが結びつくのだ。
押し黙ったニコに、ヴィリオは機関の人達もよく走ってるから!と元気よく答えた。
確かに煮え詰まった研究者が爆走しているのは、しばしば見かける姿である。
他には実験場で魔法を連発している例もあり、皆思い思いの方法で発散と思考の回転を促していた。
ニコにはそこまで過激な事は出来ないので、今の行動は前者のものに近いといえよう。
否定できず、かといって子細を語りもしなければ、ヴィリオはにっこりと笑みを深めた。
「じゃあさ、ここで巡り合えたのも何かの縁だと思って、お兄さんに相談してみない?」
ね?と誘う彼は、とてもやる気に満ち溢れている。
期待をかけられたニコは、その言葉に乗らなければより面倒なことになると直感した。
息を一つつき、口を開く。
「……では唐突ですが、ヴィリオさんが癒しと思うことは何でしょう?」
「癒し? 勿論ニコちゃんが図書館に来たとき!」
「……」
わー目が冷たい!でもそれもいい!とヴィリオは一人で沸き立った。
予想外に妙な方向へと傾いた相手に、ニコは思わず身体を引く。そうして広めの距離をとり、もう礼を告げてしまおうとした時だ。
あとね、と話が続いた。
「――大事な人と、いるときかなぁ」
浮かぶ、穏やかな笑み。
纏う空気を優しいものに変え、彼は何かを想うように目を伏せた。
普段とはまるで違う姿に瞬いていると、次の瞬間には元の賑やかな笑顔がぱっと咲く。
「因みに先輩は静かに本を読んでるときらしいよ! 見事なまで本の虫だよね――っ痛!」
後輩が油を売っているのを察したのだろうか。
前触れもなく本の虫が沸いて、ニコは今度こそ礼を述べ静かにその場を後にした。
***
(……さて、一体どうしましょうか……)
家に戻ったニコは、道すがら買った野菜を切りながら頭を悩ませていた。
クレアから得られたのは、目や耳、そして舌を楽しませること。恐らくは五感を刺激するのがよいのだと思う。
そしてその中で魔法で出来る事といえば、娯楽や興行で使われるもののように、美しい景色を描き出すことだろうか。
悪くはないが、少し違う気がしないでもない。
となると、あとは――。
(……『大事な人と、いるとき』……)
もはや個人の領域だ。
だがその気持ちは、ニコにも分かる。
普段意識することのないそれではあるが、ひとたび気づいてしまえば、その一時が何よりも温かく失くしがたい。
そんなものを先に出せるヴィリオが気にはなったが、ニコが踏み込む事ではないだろう。
(……と言いますか、そんな方がいらっしゃるのなら、軽々しい発言をしないで頂きたいのです)
期待してしまうから――ということは全くなく、ただ反応に困るのである。そしてもし万が一、その大事な人とやらに誤解され修羅場になったらどうしてくれるのだ。
図書館に気の強そうな女性が殴り込んでくる光景を思い浮かべ、とんだ迷惑ではないかと溜め息をつく。
きっとその時は冷静沈着な司書が吹雪を吹かせ、関係者一同を摘まみ出すに違いない。
徐々に脱線していく思考をそのままに、ニコは手の方を動かした。
煮立たせた鍋の中で、白い根菜が徐々にその色を変えていく。
その間魔法で果物を急冷し、食後の甘味も作成してみる。
そんな風にして馴染みの店の味を再現しようとこだわれば、当然ながら高い位置にあった日も次第に傾き沈むというもの。
そしてとうとう――。
「大人しくしていたか?」
数時間振りにその声を聞き、ニコは調理台に手をついた。
何も進んでいない。
「お疲れさまです。それはもう、楽しく過ごさせて頂きました」
言葉とは真逆の態度で迎える弟子に、フォルスはくつくつと笑った。
「そういう日もある。それにそう簡単に作られたら、機関の奴らが泣くな」
「……すみません」
師匠の言うことは間違っていなかったが、逃避した自覚のあるニコは反省を述べ、助手としての役目に意識を切り替えた。
「食事は出来てますから、もう食べますか?」
「印はどうだ」
「お気遣いなく」
余程の作業を魔法でこなさない限り、印に込められた魔力は一日は持つ。
本日は料理に凝ったお陰で、研究室で試し書きする予定だった分が余裕で残っていた。
ニコが胸元に手をやり答えれば、彼はよしと頷き手を振った。
「なら先に食うか。どのみちこんな手じゃ集中出来ないし」
――その瞬間、ニコは主に駆け寄りその手首を引き寄せた。
外見的な異常は、ない。
皮膚に明らかな傷は見当たらず、発赤や腫脹もない。
ならどこがと思って見ていると、向かいでくすりと声が漏らされた。
「期待に添えなくて悪いが、冷えてるだけだ」
ほら、と言いながら、彼は掴んだ手を解いてニコの頬に触れてきた。
肌を刺す刺激で反射的に目が閉じ、肩が揺れる。
上がった微かな悲鳴に、フォルスが可笑しそうな表情をみせた。
「……少し、驚きました」
温度が低く、そして問題なく動く手を感じながら、ニコはささやかな苦情を訴えた。
フォルスはそれに悪びれもせず、そうだろう、と言って続ける。
「だから集中出来ない」
「それは申し訳ございません」
「全くだ」
全くなのはニコの方だ。
帰ってきて早々に二度も驚かせておいて、それで謝るのがこちらだという。
理不尽だが、主の軌跡が狂って困るのは結局彼女の方だった。
仕方ないなと溜め息をつき、ニコは頬を離れようとした手に自分のものを重ね合わせた。
「なら、お詫びです。これで、少しは温かくなると思うので」
既に体温は奪われつつある。
今更離れても、触れていた部分の感覚は消えないのだ。
ならこのままでいいと、目を閉じた。
「――……、お前は時々、とんでもない事をするよな……」
ややあって飛び出した評価に、ニコは目を開いて瞬いた。
それはむしろ主の方ではないか。
時々どころか日々とんでもないことをする癖に、何故今そのように疲れた様子で額を押さえているのだ。
ニコは熱の移った手を下ろし、少しだけ眉間に皺を寄せた。
「身に覚えがないです」
「だろうな……たちが悪いとつくづく思う」
「自覚のない病を抱えているような言われ方ですね」
「ようなじゃなくてそうなんだ。寒いのも冷たいのも嫌いなくせに」
「前半は知りませんが、私は主を放ってぬくぬくとしているほど恩知らずではないのです」
「だったら――」
先程とは反対の頬が、急な冷感に襲われた。
跳ねた体が落ち着けば、ニコの目にフォルスの楽し気な笑みが映る。
「暖をとらせてくれるんだろ?」
「……ここでなくても良かったのでは」
「片方の頬が被害にあったら、もう一方も差し出せという言葉があってだな」
「何となくですが、使い方を間違っている気がします」
「つべこべ言わずに温もらせろ」
横暴な返答にニコはまた嘆息し、目を瞑って頬に添えられた手に触れた。
自身の肌が温度を下げながらも、彼のものと馴染んでいくのが分かる。
それはとてもゆっくりで――。
「……食事をした方が温まりましたね」
気づいた事実を口にした。
「まぁ、体温を上げるという意味ではそうかもな」
向かいからも迷うことなく同意が返され、ニコはですよねと呟き手を離す。
少しばかり下がった頭に、でもな、という逆接が降ってきた。
「この熱でしか得られないものがあるんだ。俺は、それが欲しい」
思わず、目を見開いた。
誰が、何を欲しいと言っただろう。
聞き違いかと思い瞬けば、見つめる飴色が柔らかく細くなる。
触れた指先に軽く力が籠められて、ニコの肌を弱く掻いた。
(――ちが、い、ます)
そうじゃない、という否定の言葉が咄嗟に浮かんだ。
無意識のうちに、足を引く。
すると主の指先が頬を滑って離れていき、なぞられたような感覚だけがやけに強く残った。
それがますます、騒ぐ心を揺るがせる。
(待って下さい、ちがうんです)
何を待てばいいのか、何が違うか分からない。
けれど、それを繰り返さないと駄目だった。
おかしくなるニコの前で、フォルスが満足そうに笑って口を開く。
「これからは丁度いいよな。防寒の魔法を書く手間も省けるし、いっそ抱えて寝るか」
「――、是非、ご勘弁下されば、助かります」
どこまでも師匠らしい言葉に、ニコはやっとのことで自身を宥めて答えを返した。
そうして声を出してしまえば、徐々に平静さが戻ってくる。
残念だ、という彼の一言で開いた退路へと、知らないうちに逃げ込んだ。
お越し下さり感謝です~✧*。٩(ˊᗜˋ*)و
投稿前にデータがぶっ飛んじゃったのですが、こうしてお会いできて嬉しいです!




