5.師匠が楽しむ夕御飯
例のごとく胸の印を書き換えてから、ニコはフォルスと共に研究室を後にした。
機関には食堂も宿舎もあるが、優秀な研究者は機関に近い街中に持ち家があったりする。
ニコが来るまでは移動すら面倒がって全く使っていなかったようだが、今では検証で眠っていない限りはそこへ帰り、夕食を摂って休むのが習慣だ。
本日は時間の都合上、家への道中にある料理屋へと立ち寄っていくことになった。
「相変わらず時間を忘れるな?」
「……誠に、申し訳ありません」
卓を挟んで、師匠がにやにやとしながら弟子を責める。
人のことは言えないだろう。
そう思うものの、待たせた自覚のあるニコは大人しく言葉を飲み込んだ。
「気を付けますが、お師匠様も声を掛けて下さい」
フォルスよりは音に対する反応は良いつもりだ。なのでそう頼んだのだが――。
「気が向いたらな」
「何故顔は向くのにそれが向かないのです」
「お前を見ながら色々と考えるのも楽しいから」
「……お師匠様の頭の中で、私はどんな目に遭っているのでしょう」
遠い目になりながら呟けば、フォルスが笑みを深めた。
「知りたいか?」
「不要です……」
聞かなくてもいつか実行されると知っている。考え付いたことは、自身で確かめねば気が済まない質なのだ。
(頼んだ私が間違いでした……)
彼相手に、そう簡単に望む返答を得られるはずがない。
自身で何某かの対策をと考えていると、店員の明るい声と共に頼んだ料理が運ばれてきた。
彩り溢れる皿から湯気が立ち、香草の良い匂いが漂ってくる。
切り替えの早いフォルスが嬉しそうに食事を始めるのを見て、ニコも諦めて自らが注文したものを切り分けて口に運んだ。
(……美味しい、です……)
適度に利かせた香辛料が、疲労した頭と身体に染み渡る。
感嘆からくる息を漏らしつつ味わっていると、向かいからフォークが伸びてきてニコの楽しみを一欠片奪っていった。
これは、研究対象が摂取したものを把握する作業の一環だそうだ。
主と別のものを食べるたび、彼女の皿の中身は少し減る。
諦観するニコに対し、フォルスは口に入れたものをむぐむぐと動かし、笑みを溢した。
もはや自分が食べたいだけだろう。
そう突っ込みたくなるものの、分かりやすく気に入った様子を見てしまえば、ニコが口にするのはこちらになる。
「今度、作ってみます」
「それは楽しみだ。魚は頭にも良いそうだしな」
「そうなんですか?」
「ああ。種類にも依るが、魚類には脳を構成する細胞の成分が他より多く含まれている、という記憶がある。魔法を使う構造があっても頭は基本は同じだろう」
「……相変わらず、色んな知識が飛び出しますね」
「希望すればいつでも知恵を貸してやるが?」
尋ねる彼のそれが課題への助け船なのだと気がついて、ニコはふるふると首を振る。
「もう少し、自分で考えたいです」
弟子が出した答えに師匠はふっと笑って、中々甘えないなと溢した。
出来るわけがない。
ニコが作ろうとしているものに彼の助けを借りるのは、本末転倒な気がした。
「まぁ、悩みすぎるなよ。足して駄目なら引いてみろ。それでも難しければ内容を変えても構わない」
そう言って、彼はニコに師匠らしく助言をする。
何かを追うと狭まりがちになる視野を、広く持てと示すのだ。
知識といい、助言といい、彼はこういう時はまともになる。
「……有り難く、覚えておきます」
ただ、内容を変えることだけはしないだろう。
そう簡単に放り出すような姿は見せたくない。
フォルスはずっと、諦めたりはしなかったのだから。
(それにしても、足し引きですか……)
疲労をなくそうという介入の仕方を考え直しても良いのかもしれない。
疲れは『とる』以外にも解消方法があったはずだ。
そちらの方面で検討しようかと思った時、不意に自身の印へと思考が飛んだ。
それは要素なり維持なりを、足せば足すほど魔力を使い熱も増す。
だが引くことは出来ない。
ならばと理想を考えた時、フォルスがどうしたと声を掛けてきた。
「いえ、何でもないです」
「師匠相手に偽証するとはいい度胸だな?」
笑顔で詰る師匠の姿に、ニコは内心、顔をひきつらせた。
こういう、明らかに『攻めたい気分』の時は下手に隠すと逆効果だ。
已む無く吐かされる前に口を割る。
「……私自身の魔力で印が動けばいいのにと、夢のようなことを考えただけです」
「あぁ、それな。考えてみたが、魔石を探すよりはましかと思った」
「だから言いたくなかったのです……」
そんなものができれば、ニコが死なない限り永遠に動き続ける魔法になる。
一方で魔石とは、年単位で魔法を維持できるという魔力の固まりだ。昔々には存在したが、今は文字の中でしか現れない。
つまりは、非現実的な案だということだ。
所詮素人の浅知恵なのだと溜め息をついたニコに、フォルスはそれでもいいだろ、と笑った。
「どんなことでも、考える事をしなければ何も始まらないんだ」
「……」
本当にこの師匠は。
いつもこうならもっと素直に尊敬できるのにと思いつつ、ニコは料理を口に運んで表情を隠した。
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