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私とお師匠様との研究記録  作者: やなぎ いつみ
検証実験記録No.156
2/64

2.研究に至るまでの問題把握

 推定12歳の初夏、ニコは運命の日を迎えていた。


「ニコ姉、今日は行くんでしょー?」

「帰ってきたらニコ姉の魔法見せてねっ! 絶対だよ!」

「とにかくすっげーやつやれよっ。カッコいいやつ!」


 出掛ける準備を整えた彼女を見て年少の子供達がはしゃぎ、纏わりついては帰宅後の魔法を強請った。

 当の本人などよりも遥かに高揚した様子に、ニコは苦笑して彼らの頭を撫でてやる。

 そして――。


「じゃあ最初は水撒きにしましょう。畑にも水をやって、あちこち草引きしないと」


 期待を裏切る夢のない返答をした。

 案の定、その答えを聞いた子供達の顔が歪む。


「えぇーっ、面倒くさっ」

「ニコ姉のばかー!」

「どうせ使うなら役に立つことをした方がいいですから」


 少ない語彙で不満をぶつける彼らに折れることなく返答し、ニコは自身の『家』を振り仰いだ。


 皆で手入れをしていても、年月の経過とともに傷む箇所は増えている。

 物好きな有力者と地域の人の援助を受けてはいるが、いつの間にか増える子供達で孤児院は常に貧しい。

 当たり前のように年上が下の子の世話をして、孤児達全員で内職をし生計を立てていた。


 その暮らしは仕事が見つかって孤児院を出ていくまで続く。しかしニコは屋根のあるところで安全に暮らせるだけでも有難いことだと思っていた。


 自分の行動を無駄にせず、今の安定した生活を守りたい。

 そう考えるニコに、ふんわりとした声が掛かった。


「ニコの考え方はとても大人っぽいわ。私は、その撒く水で虹を見られると嬉しいかしら」


 ニコが振り向けば、そこにいたのはもうすぐ独立する予定の年長者だった。優しくて芯の強い、皆の『姉』だ。


「等級が低いと難しいですが……」

「その時は一緒にやりましょう?」


 それもきっと楽しいわ、と言って微笑んだ。

 彼女はほとんど表に出てこないニコの内心を読むのが上手い。

 その彼女に言葉として出されると、ニコは何故か素直に従えた。


「なら、そうします」


 水を撒きつつ、年少者達を喜ばせることが出来る。

 考え方や扱い一つで、魔法は無限の可能性を持つのだ。それを使える日を、ニコはずっと待ち望んでいた。

 らしくなく忘れられない日にしたいと思った彼女は、知らずに口元を緩めていた。




***



 この世界の大気中には魔素というものが存在しており、全ての人間は自然にそれを取り込んで魔力へと変換し貯蔵する機能を持っていた。

 貯めた魔力は各々の意思でインクのように紡ぎ出すことが出来、それで定められた印を形作れば、魔法という現象も起こせる。


 労して為すことがほんの一瞬で済む力なのだが――誰にでも平等というわけではない。


 保有できる魔力量に個人差があり、人によって扱える魔法に限界があるのだ。

 これは生涯変わることがなく、たとえどれだけ魔素を取り込もうとも、個人の許容量を超えた魔力は体外へ排出されてしまう。

 容量の少ない者が強大な魔法を使うことは、絶対に不可能なのだ。


 そしてこの理は、国が作り上げた等級制度に利用されている。 


 十二歳を迎えた子供に対し、それそれが全力で一度使える魔法をもとに級を割り振って、段階に応じて義務を課す。

 因みになぜその歳かと言うと、幼少期は器官の機能が不安定だからだ。

 上手く魔法を使えないくらいならまだ良いが、排出できなかった魔力が小さな身体に負荷をかけ、死亡する例もある。

 そのため、身体の成熟を示す二次性徴あるまでは、魔素の取り込みを阻害する魔法をかけることが決められていた。


 そしてその日はニコを始めとする同年代の子供の、制限が解除される日だった。




***




 孤児院の院長に連れられ、ニコはその土地を管轄する役所を訪れた。


(とうとう魔法が使えるのですね……)


 そのために今まで仕事の合間を見つけては読み書きも、魔法を発現するための印の種類も覚える努力をしてきた。

 魔法さえ使えれば身を立てていくこともできるし、世話になっている孤児院のために働くことも出来るのだ。


 先に制限を解かれた子供が魔力を紡ぎ出すのを感動と共に見つめ、ニコは期待に胸を膨らませて自分の番が来るのを待っていた。


 暫くすると係の者が目の前に現れ、制御魔法の刻まれた頬に触れてくる。それに緊張しつつも、ニコは口元が緩むのを感じていた。


 少しひんやりとした手が頬をなぞり、離れていく。

 もう制限が解除されたのだ。


 待ち望んだにしてはあまりにも呆気ない瞬間だったが、それでもニコの心は浮き立って、彼女は珍しくも満面の笑みを浮かべて礼をした。

 顔を上げれば微笑ましそうな相手の顔が目に入り、ニコが少し照れ臭さを感じた――その時だった。


「――っ」


 急激に、ニコの全身が沸騰するような熱さに襲われた。

 今まで経験したことのない苦痛に、思わず顔を歪める。


(――な、にが――)


 戸惑う間にもニコの心臓が痛いくらいに走り出し、息苦しさに胸を掴んで俯いた。それでも耐えられず、ニコの身体がその場に崩れる。熱さと苦しさで玉のような汗がいくつも浮かび、流れて床に染みを作った。


 異常に気付いた大人が咄嗟にニコの手に魔法を刻み、彼女の魔素の取り込みを閉ざした。

 魔素と魔力の流れが未熟な時の症状だったからだ。

 過剰になった魔力をニコの身体から抜き取る作業が進む中、彼女はあまりの負荷に耐え切れず、その場で意識を失った。




 この結果を、役所の人間も孤児院の院長も、制限の解除が早くて起きた事だと判断した。

 翌日目覚めたニコも説明を聞いて納得した。二次性徴が訪れていても、器官が未成熟なことはごく稀だが聞く。

 ニコは桶にできた水鏡に自身の頬を映しながら、思ったより自身の年齢が幼く早熟だったのだと軽く驚いていた。


 気持ちを切り替え、ニコは仕事に戻る。

 すべきことは今までと変わらない。

 そして年を越せば、ニコも普通の人間としての経過を辿るだろう。


 そう考えていた彼女は、翌年再び死にかけることになった。






お読みいただき有難うございます。

激甘を目指しているのですが、雲行きが怪しくなってきました。

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