3.そういう種も蒔いていた
疲れきった上司を満足そうに眺め、フォルスはさて、と背凭れから身を起こした。
「ご用がそれだけでしたら、もう帰りますね」
「ちょっと待ちなさい。本題がまだだから」
「何ですか? 印の公開ならお断りですよ」
用件を聞く前から切り捨てる部下に、ディレクが額に手を当てた。
「少しはこちらに話させる気はないのかい……」
「何度も言いましたから。もう一人くらい同じ症例があれば、登録を検討するという約束でした。その理由も……忘れたとは言わせませんが」
退路を絶つのは主の常套手段だが、否定を封じる物言いは少し強い。
人を食ったような笑みは変わらないものの――。
(……、機嫌が、悪いですね……)
印のことを尋ねられた時から、本題は分かっていたのだろう。
欠陥品が存在することは、箝口令により機関と一部の人間しか知らない。
だがフォルスが作った魔法が広まれば、ニコの背景を察する人間が増え、また面倒なことになる。
その事態を、主は欠陥品が憂う以上に不愉快に思っているらしい。
漂い始めた冷気を受けて、ディレクが渋い顔をしつつも口を開いた。
「分かっているよ……。だが上の考えが変わってね。対応策に大きな問題がないのなら、公表して情報を集めた方が効率的なのではないか、と」
「……ふぅん、成程。つまり新たな魔法で余所に見栄を張りつつ、そろそろ俺には別な研究もさせようと」
「……そういう考えも、なくはないだろうが……」
得るものもあるはずだから、と食い下がる彼は、その利と対価が釣り合わない可能性も十分理解しているのだ。
その証拠に浮かぬ顔つきがより一層、曇りを見せる。
だがフォルスは、そんな上司を逃したりはしなかった。
軽く笑い、ええ、と頷く。
「そうかもしれませんね。それで貴方がたの期待通り、これは立派な見世物として活躍するわけだ」
――その瞬間、ニコは主の裾を摘まんで引いた。
今のは流石に辛辣すぎて、ディレクに申し訳ない。
恐らくこれは、彼が折衝しようにも――もう『上』の間で決定していたことなのだ。
機関に幾らの予算を投じるかを決める偉い方々は、研究者達の造り上げた魔法に対し、有用性に応じた対価を払って運用していくのが仕事だ。
大衆に普及させるか、有事の際の切り札として保管するか等、判断は情勢によって変わるが、何せ優れた魔法が多くあるほど他国との関係で有利に立てる。
普通を超える研究者に期待をかけるのも、やむを得ない事だろう。
「……申し訳ない。不利益が起こらないよう、被験者の保護は徹底する」
約束と共に告げられた、深い謝罪。
やはりこれが、覆せない『命令』なのだと知らされる。
自由な研究者からすれば、こんな気に食わないしがらみなど捨て去りたいところだろうが――。
そっと、主の横顔を伺う。
飴色の見つめる先を思い、ニコは大人しく瞬いた。
すると一呼吸の後、主の口から、はぁぁ、という大きな溜息が吐き出される。
「……何をどうするのかと詳しく抉ってやりたいところですが……分かりました」
そう言って、顔をあげた彼は無駄に爽やかに微笑んだ。
「代わりに希望を聞いてくれますよね」
「……何を、すればいいんだい」
「そうですね……いくつか候補があるんですが、また今度お願いにきます。今から最優先でやることが出来ましたので」
なんだと瞬く上司に、フォルスはそれはそれは楽しそうな表情を見せた。
「弟子が構って欲しがっていたのを失念していました。早々にこの場を辞して、満足するまで相手をしてやろうと思います」
咄嗟に、服を掴んでいた手を引いた。
ニコのその行動が遅すぎたのは、言うまでもなかった。
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状況説明回が続く癖に、忘れた頃に現れるという申し訳なさです(´`;)