2.被験者は黙して語らず
楕円形の建物の造りに沿って、緩やかに曲線を描く廊下を進む。
見えてきた階段を下って二階へ降り、フォルスとニコは一際重厚な造りの扉の前に立った。
「機関長、フォルスです」
訪問を告げる合図に対し、中からは入室を促す声が掛けられる。
それに従い押し開けた扉の先では、男が一人、執務机についていた。
魔窟を束ねる長、ディレクである。
鈍色の髪に灰の瞳を持つ彼は、経歴と立場に反しかなり気遣いの出来る人間でもあった。
「呼び立てて済まないね。ニコ君も座りなさい。君にも関係がある」
日頃頭を悩ます相手すら労い、主の背後に控えようとした助手に席を勧める。
相変わらず胃に穴を空けそうな人だなと思いながら、ニコはフォルスの隣に腰を下ろした。
その次の瞬間だ。
「で、何ですか? 俺の思考時間をぶったぎってする話とは」
飛び出した師匠の発言に、弟子は静かに瞑目した。
言葉尻を丁寧にすれば良いというものではない。
上司への態度とは到底思えないが、変人の管理をしてきた相手にはこれくらい慣れたものだった。
溜め息一つで受け流し、ディレクは再び口を開いた。
「ニコ君の印のことだよ。魔法は使えるようになったが、まだ完璧ではないと言っていただろう」
「ええ。使える魔力は印に込めた魔力量に依存しますし、発熱もありますから」
開発者が迷いなく挙げた問題点に、ディレクが覚えているよと頷き、続けて問う。
「一つ確認するんだが、その熱さというのは具体的にはどれくらいなんだい? 報告では程度が曖昧なんだが、君は問題と捉えている訳だろう」
「そうですね……客観的な事実をお伝えするなら、今のところ熱傷はないとしか言えません。あとはもう個人の感覚になりますので。――なぁ、ニコ?」
もの言いたげに名を呼ばれ、ニコは目を泳がせた。
フォルスの言う通り、現在印の発熱は数値での表現が出来ていない。
温度計を使おうにも脂肪不足で球部が挟めないし、魔力を紡ぐ僅かな間では器具が反応出来ない可能性が高かった。
そうなれば、被検者による評価が重要になってくるのだが――。
「……無い方が良いとは思いますが、自分としては……許容範囲なので」
毎度魔法を使うたび、フォルスに熱いと訴える。
だがいざそれを詳しく尋ねられると、ニコは沈黙してしまうのだ。
強弱は分かるが、それで魔法を描く手を止めるほどかというと……そうでもない。
影響を把握しようとしたフォルスが、人間の表情がいくつか書かれた表を示してきたこともある。
喜びから悲しみまで数段階に分かれた中で、熟考したニコが選んだのは微妙に歪んだ顔だった。
そしてそれが何度か繰り返された時――師匠は弟子の主観に頼ることを止めてしまった。
目を伏せたニコの隣で、フォルスがどうだと言わんばかりにディレクを見る。
「――っ、ニコ君は我慢強いからね。うん。余程苦しい思いをしていないなら良いんだ。具体的な状態が知りたかっただけで」
「……申し訳、ありません」
自身の発言で少女がどんどん追い込まれ、ディレクは慌てた様子で気にするなと手を振った。
そんな上司の様子を楽しそうに見やりつつ、フォルスはゆったりと背凭れに身を預ける。
「まぁそこは俺としても気にはなるので、方法を検討中です。印の方もまだ弄りがいがありますし……本当、色々と飽きませんね」
そう宣い、彼はニコの顔より少し下に目を向ける。
ディレクはその部下の視線を追い掛けて――すぐさま明後日の方を向いた。
「……言っておくが、おかしな方法は避けるんだよ」
「目的の達成のために、最善を尽くします」
「そこははいと言ってくれ……! 今のじゃ何をするか分からないだろう!?」
「安心して下さい。何をしても合法ですから」
「全くもって安心できない……!」
主の掌の上で転がされる男の哀れな嘆きが部屋に響き、ニコは誰もいない、遠くを見つめた。