2.きっかけはいつも
フォルスに捕まってしばらくの後、ニコは機関長立ち合いの下、彼と助手及び研究協力に関しての契約を交わすことになった。
「俺は今までの奴らみたいに生易しくはない。気になったことは容赦なく追及するからそのつもりでいろ。とはいえ、お前の体調が悪いと研究が進まないのも事実だ。健診に引っかからない程度には管理するから、お前も不調があれば報告しろよ」
傍から聞けば、何をするつもりなのだと突っ込みたくなるだろう。
元々良くなかった機関長の顔色が瞬く間に悪化する。
だがニコは、自身を拾った相手を見つめて頷いた。
一筋縄でいかないのは承知の上であったし、そもそもフォルスを選ばなければ、歩ける道がなかった。
こうして彼女が主の後ろをついて回るようになり――確かそう、ひと月半が経過した頃のことだ。
その日、ニコは一人でフォルスの研究室に居た。
理由は単純だ。
彼が敷地内にある学院で、講義をする日だからだ。
これを知った当初、ニコは変人が教鞭をとっている事に戦慄したのだが、意外なことに彼の魔法への執念は生徒達に受けがいいらしい。
予備軍とか素質があるとか失礼な考えはさておき、何せフォルスは週の頭二日は朝から夕方まで不在だった。
そしてその間放置される弟子はというと、師匠から出された課題をこなしていた。
内容は読み書き計算をはじめとする、一般教養だ。
思いもよらぬところで学習の機会を得られた訳だが、この状況にはひとつ難点がある。
研究室の出入り口に、魔法がかけられているのだ。
それはフォルスが盗難及び妨害行為の防止のためにと施したものだが、残念なことに部屋の内側からでも作動する。
加えて悲報を述べるなら、魔力の扱えない身では解くことも掛け直すことも出来ない。
こうして、弟子は師匠によって監き……保護されていた。
(よし。これで終わり、ですね)
フォルスに提出する用紙に最後の単語を書き終えて、ニコは息をついた。
自身の置かれた状況に馴染み始めたからか、作業効率が上昇傾向だ。お陰でフォルスが戻るまではまだ時間がある。
さて何をしようかと室内を見渡して、すぐ思ったことがこれだ。
(……掃除、できるでしょうか……)
床から、本でできた柱が伸びている。
いくつもあるその所々には何かを書き付けた紙が挟まっていて、積み上げられたものの不安定さを増していた。
そっと続き部屋の扉を開けてみれば、さらに酷い。
簡易の寝台と机、それから本棚もあるのだが、彼らが存在感を失くすほどには荒れていた。
床面はほぼ紙と本で埋め尽くされ、棚の中身を全てぶちまけたような散乱ぶりだ。
事情を知らない人が見れば、物盗りにでも入られたのかと訊ねるだろう。
(……お師匠様に聞きながら進めるべき、ですよね……)
確実に、何かを廃棄しなければ片付かない。
それに万が一これでフォルスが物の位置を把握していた場合、ニコが迂闊に触ることで資料を探させることになってしまう。
悩みながら何とはなしに視線を落とすと、床で伏せの姿勢をとる本がニコの目に入った。
背表紙に記号と数字が書かれていて、中を開いてみれば『機関蔵書』と判が押されているではないか。
(……借り、もの……?)
それに対してこの扱いか。
待てと思い近くを漁れば似たようなものが出てくる。
物は大切に。借りものは特に。
孤児院での習慣がニコを動かした。
(――片付けましょう)
何冊埋もれているか不明だが、全て綺麗な形で返さなくては。
決意を固めた彼女は、早速足元から開拓を始めた。
借りた本は見つける度に重ねて纏め、本人のらしきものは棚へと戻す。
内容が分からないのでひとまず題名の頭文字で並べ、間で出てくる小物類は発掘した箱に入れた。
書きつけは内容で分けておこうとしたのだが、読めないものがほとんどだった。
字の汚さもなくはないが、ニコの知らない言語が使われているのだ。
(……盗用を防ぐため、でしょうか……)
国外に研究を売っていると思われたらどうするのか。
ニコが主の行動に憂慮を抱きつつも、作業を進めていると――。
「何をしてる?」
頭上から、静かな声が落ちてきた。
突然のそれにニコは身体を跳ねさせ、勢いよく振り返る。
「……っ、おかえり、なさい」
そこにはフォルスが居て、いつの間にか終業していたのだと気がついた。
彼は迎えの言葉に軽く返事をしたきり、じっとニコを見下ろしている。
「……あの……勝手ですが、少し整理をと……。すみません」
一応課題は終わっていますと付け加え、現状を弁明した。
歩行可能な床面積は拡張したが、まだまだ完遂には程遠い。そして主の答え次第では、永久にその日が来ない可能性もある。
どうなることかと思いつつ、本の海が広がる部屋を見つめていると、不意にニコの体が浮き上がった。
「机に向かうのが嫌で片付けに走る奴はよくいるが、両方全力というのは中々ないな」
聞こえてきたのはフォルスの楽しげな声。
それにより、ニコは己の行為が主の意に適ったらしいことを察した。
背後にいるため見えないが、きっとまたにやにやとした笑みを浮かべているに違いない。
――などと考えていると、気づけばフォルスがニコを続き部屋から運び出すところだった。
「あ、待って下さい……! 借りものが――」
言いながらそちらを見れば、フォルスも同じ方を向いたようだ。
一拍の後、憂鬱そうな溜め息が落ちた。
「あぁ、そうだった……。早々に返却をと言われていたんだが……うっかりしていたな」
うっかりで済むだろうかという有り様だったが、恐らくこの主に悪気はなく、自身の追い求めることに集中していただけだろう。
結果役目を終えたものが忘れられ、埋もれていく。
成程と一人納得するニコに対し、彼はちらりと時計に目をやって、よしと口を開いた。
「その一部だけでも返しに行くか。個人では所有できない本もあるし、借りられなくなったら堪らない」
何処までも我が道をゆく師匠に、弟子はまた大人しく従った。
頻繁に改稿し、ご迷惑お掛けしております……!
今回もお読み下さりまして、本当にありがとうございますm(__)m
まだニコに可愛げがあり、フォルスが変態でなく変人に留まっていた頃のことです。




