第九話
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「オーレイ!」
王太子が呼びかけるがオーレイは放心したままだ。ついでに言うとアークはコリスを抱きかかえたままオロオロしていて、カガミーミルはまだ倒れている。
「オーレイ! しっかりしろ! 『アレ』を使うぞ!」
王太子はオーレイの肩を掴んで揺さぶりながら謎の指示を出した。まだ何か手があるのか?
「え……『アレ』ですか? しかし…」
「一番大切な事は何だ? コリスを助けることじゃないのか! コリスに仇成すアトーデは今すぐにでも始末しなければ危険だ。そのために『アレ』が必要なのだ!」
「わ、分かりました……」
気が進まない様子のオーレイ。奴がためらうなんて、一体『アレ』とは何なんだ。
オーレイはポケットから歪な形の小箱を取り出した。掌より少し大きめだ。ポケットに収まるサイズじゃないのにどうやって入っていたのだろう。 箱は黄色っぽい金属製で、何かのレリーフが施してある。
「刮目せよ!」
そういうとオーレイは小箱を高く掲げながら蓋をこちらに向けて開けた。つい俺はその箱の中を見た。見てしまった。
箱の中に入っていたのは闇色に輝いている、とでも表現するしかない奇妙な現象を起こしている黒い多面体。所々紅いラインが走っている。それが何本かの支柱で固定されているようだ。
それを目にしたとたん、脳裏に非現実的な風景が浮かぶ。
何処までも続く白い空間。遠くから黒い人影が近づいてくる。
何か喋っている。男のような女のような、子どものような老人のような声だ。それが大きくなったり小さくなったりしながら聞こえてくる。
『…これ……億年……星………で作られた輝……ラペゾヘドロ……間違いございませ…』
このままでは不味い。直感がそう警告する。しかし目を逸らせない、体が動かない、瞼さえ自由にならない。魔法を発動しようにも魔力も動かせない。
「上手く掛かったようだな」
王太子がゆっくり歩いてくる。
「まずはアトーデを斬る。その次は自称コリスの兄だ」
アトーデも動けないのか! きっと護衛たちも同じだろう。何とかしないとアトーデが危ない!
その時突然視界の外から小さな玉が投げ込まれた。玉から朦々と煙が出てくる。フレンの煙玉か! これで箱が見えなくなった。これで動けるか………駄目だ。ピクリとも動かない。
少しして煙が止まり、視界も晴れる。現れるのは勝ち誇った王太子の顔。
「ふっふっふ、ハッハッハァ! 無駄無駄無駄ァ!! 誰だか知らんが目隠し程度でどうにかなる力ではない。残念だったな」
視線が切れても魔法が途切れない。いや、魔法じゃない。魔力を一切感じない。俺たちを拘束しているのは何か異質な力だ。以前見た、召喚された勇者が振るったのと同じような異質な力。一定時間硬直させる能力か? しかしオーレイが未だ箱を掲げている。ということはこの力は箱を媒介にオーレイが維持しているのか。カガミーミルじゃあるまいし維持の必要が無ければあんな腕の疲れる体勢でいる理由はないはず。
考えを巡らせている間にも王太子がゆっくりと恐怖を煽るように近づいてくる。同時に脳裏に浮かぶ風景の中の黒い人影も近づいてくる。不思議な事に近づいても黒いままだ。しかし声だけはよく聞き取れるようになってきた。
『箱の彫刻も見てください。見事でしょう。これ、見ているだけでSAN値が削られていくんですよ』
黒い人が何か言っているが無視する。
とにかく魔法で何とかする、それに賭ける。王太子は視界から外れかかっている。もうアトーデの近くまで来ているのか?
魔力を動かす事に集中する。初めて魔力の扱いを習ったときのことを思い出し、魔力を感じ取り、魔力に働きかける。
自分の中にある魔力を感じる。全く動いていない。動かそうにも動かない。斜め後ろに巨大な鈍色の魔力。アトーデだ。隣の両脇に二人の護衛の魔力もある。みな止まっている。そこに王太子の消耗気味の紅い魔力が近づいていく。
動け! 魔力に働きかけるがピクリともしない。
黒い人はもうすぐそこまで来ている。声がはっきりと聞こえる。
『いや~、いい仕事してますね~』
同時に王太子の魔力が流れ出し、ブーンという音が聞こえた。光剣魔法を発動したのだ。まずい、もう時間が無い!
魔力よ動けええぇぇぇ!!
一際強く念じたとき額に熱を感じ、わずかに魔力が動いた。すかさず力を振り絞り最も使い慣れた魔法――斥力魔法を発動する。
斥力は思ったよりも強い力で箱を弾き飛ばし、オーレイの顔面を強打した。
「目が、目がぁ!」
オーレイが顔を押さえてのた打ち回る。
体が動く! 魔力も戻った。黒い人ももう見えない。急いでアトーデの方を見ると「ぺぎゃっ!」王太子が吹っ飛んでいくところだった。落下地点に護衛のケビーシ兄弟が回りこみ受け止める。王太子を蹴り飛ばしたのは地味子さんか。
危ないところだった。王太子の光剣は蚊鳴剣ではなかったようだしアトーデの硬い魔力は魔法攻撃に強い。とはいえ、あのまま斬られていれば大怪我をしていたかもしれない。
しかしさっきの熱は何だったのだろう。
熱を感じた額を触ると、何かが手に触れた。そういえば侵略者マークを貼ってあったんだった。これに助けられたのか。これは一昨年コリスに貰った誕生日プレゼントだったな。後でお礼を言おう。そのためにもコリスを取り戻さないと。
コリスは未だに気を失ったままだ。アークはコリスを抱きかかえていて、カガミーミルがその近くで横たわっている。王太子とその護衛もすぐ傍だ。
オーレイもそこで顔を押さえてうずくまっている。目はメガネで保護されているから衝突は問題なかった筈だが、あの黒い輝きを間近で見でもしたのか?
例の箱はオーレイの横に落ちている。蓋はもう閉まっているようだ。また使われると厄介だから引力魔法で回収しておこう。
箱が宙を滑って俺の手の中に入る。そのとたん「バチィ!」と音を立てて紫電が発動、思わず取り落としてしまった。
誤動作か? 飛び込んできたのを攻撃だと判定した? それとも実際に箱に攻撃された?
「それはあなた如きが触れてよい物ではありません!」
オーレイが立ち上がってこちらを睨んでいる。
「殺してでも奪い返します! 滅殺!」
片足を上げた奇妙な構えをしたオーレイの目が赤く輝く。そのまま奴は残像が見えるほどの速さで床を滑って迫って来た。何だか分からないがかなり怖い。
「どらぁ!」
横から地味子さんがオーレイに飛び蹴りを叩き込む。綺麗に決まって吹っ飛ぶオーレイ。その先にはオーレイに遅れて走りこんできていた護衛メイドのミーネがいる。
ミーネはオーレイを最小限の動きで躱しながら突っ込んできた。その前に地味子さんが立ちはだかる。地味子さんの両の拳からは短めの光剣が一本ずつ鉤爪状に出ている。
「お前、護衛じゃないな。そしてメイドでもない」
地味子さん、言葉遣いが荒いですよ。
「護衛メイドなら飛んできたオーレイを受け止める筈。唯のメイドならこんな所に出てこない。お前は何だ」
「………」
ミーネに鉤爪を突きつけながら問い質す地味子さん。王太子やオーレイを蹴り飛ばしたことといい、どうやら今の地味子さんは荒ぶる人狼モードの様だ。珍しい。普段前に出るのはくっころさんの役目なのだが、久しぶりに怒りゲージが振り切れたのだろうか。対するミーネは無言で身構えている。
俺の前でにらみ合う両者。
ふと視界の端で何かが動いた。
慌てて飛びのく前をカガミーミルの蔓が通り過ぎ、箱を弾き飛ばした。
ミーネがすかさず箱を掴み取ろうとしたが、今日は全然地味じゃない地味子さんが鉤爪で阻む。あ、少し頬を擦った。
「無理だと解っているだろうに、ずいぶんあの箱に執着しているようだな。それと化けの皮が剥がれかけているぞ」
ミーネは地味子さんを憎々しげに睨む。
ん? ミーネの頬の皮が裂けて、中から別の肌が見えている。あの顔、マスクか!
「返してもらったよ~(ギャィィィン!)」
いつの間にか復活していたカガミーミルが床を滑ってきた箱を確保し謎のポーズをとる。
その様子をちらりと見遣ったミーネは、マスクの裂け目を手で確認するとあきらめ顔になって肩をすくめた。
「あ~あ、しくじっちまったか。折角『アレ』の在り処がわかったのになー」
声ががらりと変わった。男の声だ。
ミーネは自分の服の胸あたりをむんずと掴むと一気に引っ張った。するとどういう仕組みか服も顔のマスクも何もかもが一気に剥がれ、現れたのはやたらヒョロっとした赤いジャケットを着た黒髪黒目の男。顔が細長くもみ上げは太く、鼻の下が長めであまり整っているとは言えないが妙に親しみやすい感じだ。胸にはリンゴが二個括り付けられている。あの立派な胸の正体はリンゴだったよ……
「あなたは何者です! 本物のミーネは如何したのですか!」
どうやら気絶を免れたらしいオーレイが問いただす。
「『本物のミーネ』ねぇ……男爵令嬢ミーネ・フ・ジーコは実在の人物だが、御年七十八歳のおばあちゃんだ。アンタの所に来たのは最初っから偽者だよ」
「なっ………」
「俺の名はルイン。しがない盗賊さ。アンタの所にあの箱があるかもしれないってんで潜り込んでいたのさ。まさか存在確認どころかこんなところで現物を拝めるとは思ってもいなかったがね。ま、ちょっと欲をかいたせいで潜入がばれちまったが在り処がわかったんだ、次来るときはきっちりと頂戴するぜ」
リンゴを胸に付けたままかっこつけた仕草で語るルイン。地味子さんの間合いから外れようとちょっとずつ移動しているようだが、地味子さんも逃がさぬように動いている。さすが地味子さん、地味に活躍している。
「老婆心ながら言わせてもらうと、完全実力主義とやらもいいけど最低限の身元確認くらいはしたほうがいいと思うぜ。こっちも偽の身元を信じさせようと張り切っていろいろ仕込んで置いたのにさ、なーんにも調べられなかったんでちょっとがっかりだったよ」
突然ドゴゴン! と細切れの石材が降ってきた。丁度ルインと地味子さんの間だ。さすがの地味子さんも飛び退る。
石材に続いて人間が飛び降りてきた。
「また、詰まらないものを切ってしまいました……」
降りてきたのはこちらも痩せた黒髪の男。緑色の従者服を着、右手で細身の直刀を構え、左手に白木の鞘を携えている。直刀は光剣ではなく金属製だが濃密な魔力を纏っている。かなり凶悪な代物のようだ。
上を見ると天井に穴。あの直刀で天井材を切り裂いて侵入したのか。地味子さんもまんまと落下位置に誘導されてしまったようだ。
「あ、あの二人は……」
「知っているのかライディ」
「ルイン53世とヒグッチ。間違いない、髭ポテトの一味だ!」
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『髭ポテトの一味』
髭ポテトの一味は国際窃盗団である。犯行現場に髭の生えたジャガイモの絵を残しておくことから髭ポテトの一味と通称される。狙うのは王侯貴族や裕福な商人ばかりで、殺人や傷害に及ぶことなく財貨のみを盗み出すため庶民の間で隠れた人気があるらしい。世界各地で被害が出ているとされるが、貴族などは被害に遭ったことを隠す場合も多いためその全容は不明である。
一味の内情も不明だがルイン53世等一部の構成員はしばしば人前に姿を現す。彼らには各国で懸賞金がかけられているが、未だ捕まったものはいない。 (ミンメー・ショボー著「世界の犯罪組織」より)
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「ごめ~と~!」
ルインが揶揄うような声で宣言する。
「そんじゃま、迎えも来たんで今日はこれで帰らせてもらうわ~」
そういうと徐に右胸のリンゴを取って一口齧り、床に叩き付けた。するとそこから信じられない量の枯葉が噴出し、一気に視界を奪う。
あのリンゴ、魔道具だったのか。どうやってこの量の枯葉を出せるんだ? 齧ったのはどんな意味が? 安全装置の解除だろうか? 俺の頭にばさばさと落ちてくる枯葉を手に取ってみるが幻影でも魔力体でもなく実体のようだ。ああ、あのリンゴを調べたい。
ついついリンゴ型魔道具に気をとられていたが周り中から聞こえる悲鳴や喚き声で我に返った。枯葉は大ホール中に舞い飛んでいるようだ。ユーザンが「料理を守れ!」と怒鳴っている。壁のほうで大きなものが倒れたようなドゴンという音がする。
「木の葉を私の所に! 風で木の葉を私の所に押し流してください!」
こう叫んだのはアトーデだ。その言葉が届いたようで、周囲から風が吹きつけるようになった。
やがて舞っている枯葉が減って見通しが良くなる。髭ポテトの姿はもう無い。ホールの壁には大きな穴が開いていて、その向こうに広大な演習場が見える。地味子さんが外を確認しているが、髭ポテトはあそこから逃げたのだろうか。
あちこちに魔法障壁があるのはテーブル上の料理を守るためのものだろう。見た感じ枯葉まみれになってしまったものも多いようだが。
アトーデの方を見ると、枯葉を回収しているようだ。吹き寄せられる枯葉を円筒状に展開した自分の魔力で絡めとり足元に積み上げている。
もし俺に彼女と同じだけの魔力量があったらもっと簡単に処理できるだろう。魔力体で目の細かい網を作り、風で吸引して濾し取ればいいのだ。網を大きく作れば一気に終わる。
しかし彼女の魔力の質ではそれはかなわない。細かい細工は出来ないし、大気に魔力を浸透させて風を起こすことも出来ない。
だから魔力の質に応じて別の方法を工夫するのだ。細かい細工は無理でも“べたつかせる”ことは出来る。円筒の上部から粘着力のある魔力を下に動かすことで枯葉を着実に回収できている。他人の魔力は近くで分解されるので必要以上に風が強くなることもない。
本当に上手く魔力を運用できるようになった。
アトーデと初めて会ったのは彼女が9歳、俺が10歳の時だ。彼女は家出中だった。自分の魔力の質に絶望し家から逃げ出してきたのだ。その時は魔力を動かすなど夢のまた夢、という感じだった。何より本人が諦めていたのだ。
彼女はしばらく俺の家に居候していた。その間に転機が訪れた。極僅かに魔力を動かすことに成功したのだ。作ってあげた魔道具、魔力の流動性を高めることだけに特化した扇子型のそれの補助があったとはいえ、驚くほどの喜びようだった。
それから6年、重過ぎる魔力という大きな壁を乗り越え彼女はここまで来たのだ。今はもう唯一無二の才能、そう呼んでいいものになっている。そう思うと嬉しさと同時に少しだけ嫉妬してしまう。
しばらくアトーデの作業をぼうっと眺めていた。
読んでいただきありがとうございます。