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6 迫る危機と母の余裕

 総合病院。その外来用の駐車場は、平日であるにも関わらず盛況だった。辛うじて見つけたスペースに頭から突っ込みながら、“黒”は周囲と病院を素早く確認する。

「……まだ業者が来ている気配はありませんね。さっさと移動しますよ」

「業者?」

「殺し屋なり攫い屋なり、そういった御仕事の方々ですよ。ですがのんびりしていると本当に来てしまうでしょう。急ぎますよ」

 言うなり“黒”は車を降り、速足で入口へと向かう。さなかも慌てて、今度はスマホやら財布やらを忘れずに引っ掴みながら後に続く。

「お母さんはD病棟の三階、三〇六号室よ」

「ちょうど棟の真ん中あたりですね。個室ですか」

「ええ」

 応答しながら、ふたりはどんどん奥へ入っていく。どちらとも受付には見向きもせず、その余りにも堂々とした素通りは誰に見咎められることなく、通過していく。

 廊下を渡り、外来棟から入院病棟へと向かう。途中、患者や看護師とすれ違うが、平日の昼間を堂々と歩く制服姿の高校生と漆黒長身の男という奇妙な組み合わせに怪訝な顔をするばかりで、声を掛けたりはしない。エレベーターで三階へ。

 三〇六号室。セットされている名札プレートは、洲崎・由乃よしの

 さなかの母だ。

「お母さん!」

 ノックもなしに、さなかは勢いよくスライドドアを開けた。ズドンッと音を立てるのにも構わず、ずんずんと部屋へ入っていく。さりげなくドアを閉めながら、“黒”も続く。

「ちょっとお母さん――!」

「あらあらさなか、急にどうしたの? 学校は? そちらのイケメンさんはどちら様?」

 ベッドに上体を起こしていた由乃は、開いていた文庫本を伏せてニコニコ笑みながらさなかと“黒”を見た。“黒”は軽く会釈を送るが、さなかは構わず母に迫り、

「そんなことより、」「そんなこととは何よさなか。大事なことよ。私はあなたの母親として、是が非でも訊かなければならないわ」

 さなかを遮った口調は穏やかだ。しかしその目には有無を言わさぬ圧力があった。

 ……この娘にしてこの母親か。どうやらあの威容は母譲りのようだ。

 そんなことを思う“黒”の眼前で、むぐ、とさなかは黙った。そんなさなかに、よしよし、と由乃は頷き、

「――で、そちらのイケメンは誰なの? お母さんに紹介しっ・てっ」

「え、そっち? そっちなの?」

「あったりまえでっしょ~! さなかちゃん、忘れたの? お母さんめっ――――ちゃ面食いなんだから。あ、お父さんは別よ。あの人に関しては人格重視」

「そんなことはどうでもいいの! それよりあたし、お母さんに訊きたいことが」「で、お兄さん、お名前は?」「……“ヘイ”です」「! け!」

 あのね、とさなかは母に迫る。今はそれどころではない、と。

「今朝のニュース、見た?」

「見たわよ~お母さん、一日中本読んでるかテレビ見てるか窓の外で散っていく葉っぱを数えるかしかすることがないんだもの」

「この部屋の窓から見える範囲に落葉樹なんて一本もないでしょうが……でも、それじゃあ」

「ええ。――あの新進気鋭の若手俳優くん、不倫してたんだってね。残念だわ~お母さんあの子推しメンだったのに」

「じゃなくて!」

「あ、じゃあ行方不明になってた中学生が遺体で見つかったって話? 心が痛いわよね~何があったのか絶対に究明してもらわなくっちゃ」

「じゃ、な、く、て!」

 ギャーギャーと騒ぐばかりで話が進まない。はあ、と“黒”は後ろでため息をついたが、不意につと視線を上げた。

 窓の外。そこから見えるのは病院の駐車場への入り口だ。そこに、三台ほどの車が連なって入ってくる。

「…………」

 車種はバラバラだ。三台程度、タイミングが重なることくらいいくらでもあるだろう。――しかし、“黒”はため息を重ねた。

「お楽しみのところ失礼しますが」

 ギャースカ騒いでいるふたりに割って入り、“黒”は両者に言う。

「私は仕事があるので少し離れます。戻るまで何があっても決してここを出ないでください」

 どうやらもう手遅れだ。ならば、始まる前に準備をしておかねばならない。ふたりに部屋を離れないことを念押しして、“黒”はきびすを返した。

「――ねえ」

 と、ドアに手を掛けたところでさなかが声を投げてきた。何か、と振り返ると、さなかが顔だけこちらへ向けていた。

「関係ない人は、ひとりも巻き込まないでね」

 無茶を言う。けれど、さなかの瞳に妥協の余地はない。仕方なく“黒”は頷いた。そして今度こそ出て行こうとするも、

「私からもいいですか? お兄さん」

 まだ何か、と若干の苛立ちを含めながら見る。今度はさなかの母親だ。

 にっこりとした、笑み。

「手間を掛けさせて御免なさいね。私からもよろしくお願いします」

 はあ、と頷く。そしてようやく病室を出た。

 後ろ手にドアを閉め、廊下の左右を確認し、非常階段の表示のある奥へと足を向ける。

「…………」

 さなかはともかく、あの母親は状況について何も知らないはずだ。さなかはまだ何ひとつとして説明していない。それなのに、何をお願いしようというのか。

 歩きながら、手首のスナップで廊下の壁、足首程度の高さのところに何かを放つ。小さなブロック状のそれは、壁に衝突するとやや形を崩しながらもぴったりと付着した。それを確認することもなく、“黒”は歩を進める。

 ……あの母娘おやこに特異な係累はない。それは間違いない。

 “黒”の調査だけならばともかく、ヨハネスのおこなっていた事前調査においても、何ひとつ特殊な要素は存在しなかった。あれは十世代前から中流層であり、親戚一同どれを取っても政界・財界に関与している人物はいない。その親戚がほとんど生きておらず、当人同士すら把握していない遠縁が残る程度だが、変死・不審死を遂げている人物は皆無。

 一切疑問の余地のない中流家庭。無論、ヨハネスとの繋がりなど微塵もない。なればこそ、どうしてヨハネスがさなかを名指ししたのかという謎は深まるが、それはそれとして、あの母娘は疑う隙のない普通人だ。

 ……それなのに。

 あの母娘の持っている奇妙な空気は何だ。

 世の中の裏側を歩いてきた“黒”をして時にたじろがせる、無形の圧力。何だかんだと言いながらもさなかの適応力は高い。急変する状況を呑み込みながら、さらに上を行こうとでもするかのような思考と、それを敢えて裏切っていくような蛮行。ちぐはぐだ。

「……はあ」

 何度目かわからないため息をつく。翻弄されるのには慣れていない。考えてもわからないことを考えても時間の無駄だ。天井、火災時鎮火用のスプリンクラーと、その横に設置してある感知器の近くに、先程まで壁に接着させていたものを投げ上げる。それは色がやや異なるだけで、他のものと同様に天井に付着した。そうしながら、頭を切り替える。

 ……思っていた以上に、動きが速い。

 襲撃者だ。誘拐・人質の手を取るにしても、事に及ぶのは夜間であろうと踏んでいた。こんな昼日中から、しかも公共の総合病院で事件を起こすとはなかなか考え難い。だからこそ、さなかの主張に渋々ながら従ったというところもあるのだが。時間が時間であれば初めから問答無用で切り捨てていた。

 ……それだけに、大した準備もできてはいないだろう。

 お互い様ではあろう。これだけの短時間で情報を入手して行動を起こすことができるのは国内の、それほど大きくない連中か、逆に相当大規模な組織だ。いずれにしても、実際に運用されている人数は大した人数ではない。

 対処のしようは、ある。

「しかし、だ」

 廊下奥、他の病室とは雰囲気の違う戸を無造作に開け、中を確認する。

 ……この場を首尾よく切り抜けたとして、その後はどうする。

 開けた部屋は、どうやら物品庫であるらしかった。ふむ、と頷き、どこからともなく取り出した棒状のものを軽く抛り込む。これと同様の作業を、階下でもやらねばならない。要所においてはさらに手を入れねば。何よりも、迅速に。

 誰にも気づかれることのないままに、また後ろ手に戸を閉めながら、“黒”は何度目かわからないため息をついた。

「ヨハネス氏だってこれほど厄介じゃなかったぞ、全く」


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